小説「LOVERS」星の欠片編② 魂で感じる星の欠片の鼓動
本作は、これまで芸術だけで繋がってきた画家のさくらとピアニストのリオンが、真に魂を一つにする試みの中で生まれた「地上での奇跡」を描く物語です。
<さくら> 子供の命が「紙一枚」で管理されることへの違和感
産婦人科を受診したのは初めてだった。
あたたかみのあるピンク色の内装。待合室にいるのは9割が女性で、その半分ほどが妊婦とわかる体型をしている。受付で問診票を受け取り、記入する中で様々な戸惑いが生まれる。
未婚か既婚か。出産を希望するか否か……。
今日は一人で来院している。ここで「未婚」を選択し、結婚の意思もないことを話せば当然、一人で生み育てるのか、その前に堕胎するのかを尋ねられるだろう。早くも現実を突き付けられた氣がして嫌になる。
だいぶ待たされ、ようやく診察の順番が回ってくる。内診の結果、確かに妊娠していることがわかった。順調に行けば出産予定日は翌年の1月30日になるという。
「おめでとうございます」
看護師からそのような声をかけられて氣恥ずかしくなる。その脇で、医師が私の問診票とにらめっこをしている。
「妊娠を機に、ご結婚される予定は?」
「……相談してみます」
診察待ちの間にさんざん考え抜いた、当たり障りのない返答。それを聞いた医師は安堵したのか、机の上でペンを走らせる。
「役所で母子手帳を受け取って次回の検診時に持参してください。もし、パートナーと来られるなら、次は超音波検査で赤ちゃんの様子を一緒に見ることも出来ます。検討してみてください」
渡されたのは「妊娠届出書」と書かれた小さな紙だった。それを受け取り、待合室に戻る。
ソファに腰掛け、紙を見つめながら思う。高潔な命が、紙一枚、提出することによって行政の管理下に置かれていくのか、と。存在の証明が、その人自身ではなく紙の上にあることの恐ろしさに氣づいている人が、果たしてどれほどいるだろう。
「おめでとうございます」
会計の際、受付の人にも言われた。しかしその感情のかけらもない祝いの言葉は、私の耳に虚しい響きを残しただけだった。
<リオン> この世に生まれることは本当に幸せなのか?
一人で行ける、というのでおれはアトリエでピアノを弾きながら待っている。だけど、どうして落ち着いていられるだろう。結局、弾いてはやめ、外に出ては室内に戻り……を繰り返しながら午後を過ごした。
***
夕方になってようやくさくらが帰ってきた。浮かない顔をして。嫌な予感がして、すぐに歩み寄る。
「……どう、だった?」
「妊娠してるって。役所に届出書を提出して、母子手帳を受け取るように言われたわ。だけど……」
「だけど?」
「なんか、この世の中での命って軽いな、って思っちゃって」
「さくら……」
「私はただここで、リオンくんと二人で自由に、平穏に生きていたいだけなのに。この紙を出すことによって、私はその自由を奪われてしまうような氣がして……。私だけじゃない。生まれてくる子供の自由をも奪い取ってしまうんじゃないかって。そう思ったらなんだか悲しくて」
「それって……やっぱり出産したくないって意味?」
「二人の細胞を一つにしたい――。その思いが重なり合って宿った命を大切にしたいという氣持ちに嘘はないわ。でも、それが生まれてくる子供にとって幸せなことなのか、私にはわからないの」
さくらがこの世界に抱いている不信感の強さを改めて思い知る。おれたち二人がどれだけ頑張っても――愛と調和の世界を、自分たちの芸術で創り出そうと奮闘しても――変えられる現実には限界はある。“生まれないのが一番いいが、生まれてしまったからにはすぐ死ぬのが好ましい” という、古代ギリシャの賢人の言葉もあるくらいだ。さくらの憂いは決して的外れではない。
元氣を出して、と言いかけてやめる。それも、今のさくらにとってはなんの慰めにもならないと感じたからだ。
「……おれは、さくらの意思を尊重するよ。どんな決断を下しても、おれはさくらに寄り添う。未来に不安があるならいくらでも言って。これは二人の、いや……3人の問題だから」
そう言いおいてから、静かにピアノを弾く。
<さくら> 魂の喜びを体で感じながら……
暮れかかる空。部屋に差し込む初夏の西日が、今日は何故か秋のような切なさを感じさせた。
女に生まれたからには、一度は子を産んでみたいと思うもの。魂を共振させられるパートナーに出会ったなら尚更だ。本来であればこの妊娠は、一人の女としてはとても喜ばしいもののはず。なのにそう思えないのはきっと、お腹に宿った子供が、普通の感覚ではなくなってしまった私たちの「魂の結晶」だからだ。
目には見えなくても、感じる。水晶のように透明で、天の川のようにまばゆい光を放つ魂が、このお腹に宿っていることを。そして早くもその命が、リオンくんのピアノに反応して喜んでいることを。
(あなたにも分かるのね。父親であるリオンくんの、宇宙の星々を集めたような旋律の美しさが。そして彼の指先からあふれる優しさと喜びが。)
彼の脇に寄り添って言う。
「赤ちゃん、喜んでるよ。リオンくんのピアノが聴けて」
「えっ、妊娠したばかりで、もう赤ちゃんの動きを感じるの?」
「ううん。なんて言えばいいのかな。ただ……そんな氣がするの」
看護師さんからもらった胎児の成長過程の冊子によれば、胎動を感じるのは妊娠4ヶ月以降。自分の中にもう一つの命が宿っていることすらわからない時期に、赤ちゃんの感じていることがわかるだなんて、普通ならありえないことだろう。でも、たしかに「ある」のだ。自分のものではない喜びの感情が、この体に。
一層日が傾き、さっきより部屋が暗くなる。感じていた切なさは夕日と共に去っていき、昇ってきた月が、今度は私に勇氣をくれる。
「……私、ちゃんと産むよ。この命を、ここで育てる。リオンくんとなら、出来るって信じてる」
「……さくらは強いな」
「ううん。私は強くはないわ。ただ……母親が強いと言われる理由、なんとなくわかった氣がする」
この世の中での扱いが「紙一枚」だったとしても、私が感じている命は、他の何者にも替えられない「重み」がある。この手に抱くことが出来ないほど小さい命でも、それだけははっきりとわかる。
リオンくんはピアノから離れ、一度月を見上げてから私に寄り添う。
「出産予定日、聞いたの?」
「うん。来年の1月30日頃だって」
「そうか、じゃあ冬生まれになるんだな」
リオンくんは少し考えるようにまた月を見上げる。
「冬の月って書いて『ふづき』はどうかな。子供の名前。まだ性別もわからないだろうけど、今、そんな名前が降りてきたんだ」
「ふづき。いい名前ね。私たちのもとにやってきてくれた、高潔な魂にぴったりな、りんとした雰囲氣を感じるわ」
「よかった、喜んでくれて」
微笑んだ彼は、私のお腹に手を当てて「冬月」とつぶやいた。
「こうして呼びかけてたら、おれも親になった実感を持てる。生まれる前から、おれたちの愛情をたっぷり注いでやろう」
「ありがとう、リオンくん。あなたと出会えて、本当に良かった」
彼の手に自分の手を重ねる。半径1メートルの幸せが、ここにある。
第3話:「名乗る姓を『じゃんけん』で決める芸術家の決意」はこちら
↓ 二人が福岡で「ワライバ」を作り上げるまでのお話。
前作「LOVERS」サクライロ編はこちら ↓
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