地を這う祈り
少女?の遺体の局部が無修正で掲載されている、珍しい書籍
紹介
悲惨な発展途上国の貧困層を写真付きで紹介しています。
冒頭にも書いたのですが、少女のように見える知的障害の売春婦の遺体画像が掲載されており、局部に修正などが入っていません。
なぜそんなひどいことを?
少女のように見えるけど少女ではないから?
汚らわしくて、性的な価値がないから?
異国の知的障害者かつ売春婦ごときに、羞恥の概念などはないだろうから?
死んでいるから?
この本には学術的な価値があるから?
昭和発行ならともかく、2010年発行の本で、どういう理屈でこのような掲載が許されたのでしょうか。
薄汚れた遺体なので、性的な惹起はないのですが、さすがに哀れで気になりました。
発展途上国の貧困層の暮らしは地獄と隣り合わせ
おぞましい身体障害があることをアピールして物乞いをする障害者や、病院に行く金がないため路上でただ死ぬ老婆などが掲載されています。
このように、世界にはいろいろな地獄がありますが、やはり、少年や少女が体験する地獄には、特別に心をえぐるものがあります。
例えば、病院に行く金がないため路上で死ぬ老婆は、あるいは性格が非常に悪く、これまでの人生でろくな善行をしなかった報いだったのではないか、と、無意識に因果応報の結果だと理由付けして、なんとか受け入れることができるのです。
おぞましい身体障害があることをアピールして物乞いをする障害者も、何か自業自得の原因があったから、そのような障害を持ったのではないか、それに、お金を稼いで生きていけるなら、それも一つの生き方ではないか、と納得しようと思えばできます。
しかし、少年と少女。本来であれば、無邪気で、幸せに生きられるはずの存在。それら大人と社会によってひどく痛めつけられ、汚される姿には、合理的な理由を付けづらく、ただ哀れな気持ちにさせられます。
少女は売春婦になる
結局、貧しい国で家族を失った場合、少女は売春婦になるしかないのでしょう。
少年の場合は、マフィアに腕を叩き落とされ、その怪我をアピールする物乞いになることで、小銭を稼ぐことができます。その少年は傷口にわざと泥をぬりつけ、傷口が醜くより悪化することを望んでいました。傷がひどければ、稼げる小銭も増え、マフィアが褒めてくれるからだと。
少女の場合も同じことをして小銭を稼ぐことができるかもしれません。しかし、それよりも、売春をさせたほうが儲かるのでしょう。
そして不潔な環境で、少年が傷口にわざと泥を塗りつけるように、体を痛めつけられながら、客を喜ばせるのでしょう。
果たして、貧しい国で少女が売春婦になった場合、何%くらいが、売春から足を洗い、老境に至るまで生き延びることができるのでしょうか。
そもそも、生き延びられて、嬉しいのでしょうか。
少年は人殺しになる
住んでいた村が反政府組織に襲われて、無理やり少年兵にさせられるために、父親の頭をナタで叩き割らないといけなかった少年のエピソードも掲載されています。
12歳の少年を脅迫して、無理やり父親の頭をナタで叩き割らせることで、住んでいた村にいられなくして(自分の父親の頭をナタで叩き割った子供など、誰も世話したくないですよね)、少年兵として戦力を獲得できる。それが敵対勢力の支配下の村なら、一石二鳥どころか一石三鳥くらいの効果的な手法といえます。
考えた人の賢さには感心させられますね。もっとその賢さを、良いことに使えないのでしょうか。
おそらく、生まれた時代が、国が、地域が、その選択をさせてくれなかったのではないでしょうか。
日本に生まれて良かった?
結局のところ、日本に生まれたことで、私は父親のナタを頭で叩き割らずにすみました。マフィアに物乞いになるために腕を切り落とされ、しかし一応は庇護してくれるマフィアのために嬉々として傷口に泥を塗りつける必要もありませんでした。
日本に生まれて良かったです。おしまい。
ではなく、そんな目に遭わずに済んだからといってまともな人間に育ったわけでもなく、私は発達障害を抱え、いい歳になってなお、孤立と孤独の日々を送っています。
少年少女のうちに、苦しみ抜いて死んでいった彼ら彼女ら。
家族を養っていたら、最愛の息子に頭をナタで叩き割られることになった父親。
最愛の父の頭をナタで叩き割ったあと、無理やり参加させられた戦闘中に一瞬で死んでいった少年。
危険とはほぼ無縁の平和な国に生まれながら、人と違う異常を持ち、無縁として生きなければならない男。
選んで転生しなければならないのなら、どれを選ぶべきでしょうか。
やはり私は、恵まれていると日々、神に感謝し、祈りを捧げるべきなのでしょうか。
