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傾いた湯呑みと、受け取るタイミング ― 世界はそれでちょうどよく回っている


不動の滝へ

祠(ほこら)の前に行くと、湯呑みが半分だけ傾いています。
前回は完全に倒れていたはず。

そんなに頻繁に人が来る場所ではないのに、誰かが起こしてくれたのでしょうか。それがまた、少し傾いている……。
不思議な光景でした。


それを見ていると、どこからともなく、ふっと頭にこんな声が湧いてきました。
「直したらいいことがあるよ」

あぁ、そうなのか、確かに恩恵はあるのかもしれない。そう思いつつも、私の体はまず動きませんでした。体が動かなかったから「これは、今の私の役割ではないのかもしれないな」と思いました。

私はその場を離れ、少し上にある湧水へ向かいました。山から湧き出る水を、ペットボトルに頂きます。

水を持って戻ってきたとき、また湯呑みが気になり、目をやりました。

その声は何度も形を変えて呼びかけてきます。
「楽して恩恵を受けれるのに何を拒んでいるの?」

それが自分の思考なのか、それとも別の何かなのかは、今もわかりません。ただ、その何度も提案してくる声を、私は静かに観察していました。
そうして眺めているうちに、ふと「一度、直してみてもいいかもしれないな」と気持ちが動いたときです。

手に持っていた2リットルの重い水を、少し先に置いてから戻ろうとしました。ところが、置こうとした場所が濡れていて、水が入った布バッグを置くことを躊躇することが起きたのです。

その瞬間、ふっと感覚が降りてきました。
気になっていることを気になったまま、そのままにしておくことの自由さみたいなものに、心が惹かれたのです。

頭で考えたのではなく、状況そのものが、答えを置いていってくれました。

参道を下りながら、ふと、湧いてきたこと。

一つは、「恩恵はいつも、誰にでも降り注いでいる」ということ。
太陽の光と同じです。キャッチしようと何かをしなくても、私たちはすでにその光の中にいます。

もう一つは、「受け取るタイミング」のことです。
もし湯呑みを直して、本当にすぐに恩恵が起きたとしても、それは今の私には「早すぎる」気がしたのです。

たとえば、車が欲しいと思っていて、急に車が手に入ったとします。嬉しくても、ガソリン代、駐車場代、税金……手に入れるのが早すぎると、そのあとの維持が大変になってしまいます。

現実で何かを受け取るということは、その後の現実もセットで引き受けるということ。
焦らなくても、本当に必要な恩恵なら、自分がその「維持費」も含めて軽やかに受け取れるタイミングで、自然にやってくるはずです。

誰かが起こし、また少し傾いている湯呑み。
それすらも、今の私には「それでいい、そのままで自然なのだ」と思えました。世界は最初から、それでちょうどよく回っているのだと思います。


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