【映画感想】良質ミステリ「ひつじ探偵団」は問いかける。羊にできたことが、君たち人間にできるか?
すっげぇー面白い映画でした!!!!!
まず最初に、素直にこう言いますね。
もう少し、ふわふわした(羊だけにね)話かと思っていたら、がっつり笑えて、がっつりキャラが死に、がっつり感動して、そして何よりがっつりミステリー!
おはずかしいことに、俺はひつじ探偵団がたどり着いた真相に、あんなにヒントをもらってなお!
最後の最後まで犯人がわかっていませんでした!!!
俺があの村の警察官じゃなくてよかったよな。
フェアなミステリー映画なんだよ。
情報は全て開示されていた。
羊たちが得られて、俺たちに見せてくれなかったヒントなんてなかったから、素直に脱帽ですね。

どんな映画かをざっくり、ネタバレなしで紹介しますね。
舞台はどこかヨーロッパの田舎の牧場だ。
羊飼いのジョージは、たくさんの羊たちと共に楽しく暮らしていた。

ジョージは人付き合いは苦手だ。村人との仲はあまりよくない。
でも、羊たちを心から愛し、育て。
毎晩、ジョージの大好きなミステリー小説を、羊たちに読み聞かせしてやってるのだった。
「そして、探偵はこう言った。
『犯人は、この中にいる!!!』
…
…
…
なんてな。
お前たちは静かに聞いてくれるが、言葉が通じてるはずもないのにな。
続きはまた明日だ。おやすみ、みんな」
そして、ジョージは家に入り、広場には羊たちだけが残される。

そう。
ジョージの言葉は、めちゃめちゃ羊たちに伝わっていたのだ。
ただし、羊たちの言葉はジョージにはメーメーとしか伝わらない。
だから羊たちは彼らの寝床、小屋の中で、眠りにつくまで口々に、誰が犯人なのかを熱心に話し合うのだった。
ある朝、そんなジョージが死んだ。
死んでいるのを、羊たちが見つけた。
ジョージは家の外で倒れており、二度と動かなかった。

心臓麻痺かな、で済ませようとする田舎の警官は頼りにならない。
『警察は何の役にも立たない』
ああ本当に、ミステリー小説のとおりだった。
羊たちの中で、最も犯人当てが得意なおねえさん羊のリリーと、最も記憶力に優れるモップルを中心に、愛する主人を殺した犯人を見つけるため、『ひつじ探偵団』は動き出すのだった。


というのがザッとしたあらすじだ。
書きたいことはまだまだあるが、もう映画を見てくれ!としか言えない。
俺としては、伏線回収がめちゃめちゃ丁寧だったよね!というのが評価ポイントだ。
序盤から散りばめられた伏線を、事件に関わるものもそうでないものも、これはこうなる、これはこう、とぜんぶ綺麗にまとめてくれるので、見終わった後のスッキリ感が半端ないんだよね。
もちろん、何度もいうけど良質ミステリなので、ぜひぜひ、君もひつじ探偵団より先に犯人を当てられるかチャレンジしてみてほしい。
予告編としては、公式のこの動画を見るのがわかりやすいだろう。
ひつじがとにかく可愛く愛らしい。

さっき、この画像を貼ったでしょ。
こんなにひつじ探偵団のメンバーが出るのか…と最初はクラクラするかもしれないけど。
でも不思議と、見ているうちにどんどん羊のキャラ見分けがついていくし、ひょっとしたら名前まで覚えてしまうかもしれないくらい、羊たちに愛着が湧いてくるんだよな。
それは、映画のキャラ紹介描写がとても上手いのもあるし、ビジュアル面での見せ方が上手いのもあるよな。
たぶんだけど、原作小説だったらもっと、羊のキャラ見分けがつかなかったと思う。
これは映画化大成功の例だよね。
この白いふわふわが「クラウド」よね。
とか、
このよく似てるアホ二人が双子なのよね、とか、
『アイ ハブ クエスチョン!!!(質問があります!!!)』
って叫ぶ小柄な羊とか、画面に誰が映ってもニコニコできるようになるよ。とにかく可愛いからね。
で、羊たちが人間にたいして
『自分達とは違う生き物だけど、大好き』
って思ってくれてるのも嬉しかった。
羊飼いのジョージが羊たちの常識から外れたことをしても、
「なんでジョージはあんなことするのかなぁ」
「だって、ジョージはひつじじゃないものねぇ」
「そうだねぇ」
で流してたの、あー、多文化共生の理想的な態度ってこういうのじゃねえのかなぁ、と思わされた。
ひつじにできたこと。俺たち人間もそうありたいこと。
それでもやはり、羊たちは羊だから。
人間とは異なる感覚で生きている。
たとえば、いつも草の上で生きているから、アスファルトの道路を踏むことが怖かったりする。
羊には「死」はなく、いつか雲になって空に登るのだと信じている。
そんな羊たちの中で。
主人公のリリーが劇中で見せた、俺たち人間が見習うべき点を2つ挙げて、この記事のまとめにしたい。
考え続けること。
羊たちは、恐怖を嫌う。
恐怖を嫌うから、恐ろしい記憶をすぐに忘れようとするのだ。
幸い、みんなで3つ数えると、記憶をさっぱり忘れることのできる習性があるので。
嫌なことがあっても、すぐに忘れてまた楽しく草を食べる生活に戻れるのだ。
そうだ。
忘れられる。
3つ数えれば忘れられる。
ジョージが殺されたことも。
人間たちが見当違いの推理で、無実の人を犯人にしようとしていることも。
リリーだって、何度もそうしようとする。
全てを忘れて、もう恐いことを考えずに、ただの無害な羊に戻ろうとしたけど。
それでも、リリーは忘れることを選ばなかった。
考え続けることを選んだ。
恐怖と真っ向から戦い続けることを選んだのだった。
俺たち人間もそうだ。
難しいこと、恐いこと、複雑なこと。
考えない方が楽に生きれることはたくさんある。
でも、それでも。
忘却しないで。
考えることを止めないで。
必死に、少しずつでも、より善き方へ、真実の方へ向かっていきたいと思わないか。
俺はリリーの姿を見てそう強く思ったのだ。
前提を疑うこと。
そしてもう1つ。
リリーはすごいな、と思ったことがあった。
羊たちの中には、当然の常識がある。
『冬に生まれた羊とは交わるな』
だ。
あの聡明な名探偵のリリーですら、その常識の中で生きているのだ。
リリーが。
群れで最も賢く思慮深いリリーが。
冬に生まれた小さな子羊の言うことを聞かない。
話す価値のない相手と見なしている。
群れの仲間だと思っていない。
『だってその子は、冬生まれの羊だから』
どの羊もその常識を疑わない。
排斥されているその子羊自身ですら、
『ぼくは冬生まれだから、群れには入れない』
と内面化し、ひとりぼっちで、小屋の外で生きている。
でも、終盤で。
リリーはその常識を乗り越えるタイミングがあった。
「本当にそうだろうか?」
と疑うことができた。
このことが何より尊く、そして困難な行為だと俺には感じられた。
人間で言えば「1+1=2」を疑うようなものではないのか。
かつてダーウィンが「進化論」を唱えた時に、人間は神様が作ったのだ、という常識の中で生きてきた人たちが「人間が猿から進化したなんてことがあり得るはずがない!」と激昂したのも頷けるじゃないか。
それでも、未来を開くのはいつだって
「前提を疑える者」なのだと思う。
地球は平面だという前提を疑い、船を出した人がいたように、だ。
全てを常に疑え、というわけではない。
ためしに全ての物を疑ってみれるような、柔軟な思考を常に持ちたいよな、という話だ。
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リリーができたように、俺たち人間も。
苦しくても考え続け、固定観念に縛られずに全ての可能性を追い、よりよい未来へと進んでいきたいよな。
わしからもたのむ。
