終わらない夜に堕ちて


甘い嘘と歪んだ愛

雨上がりの夜道は、冷たく澄んでいて、胸の奥に溜まった泥まで洗い流してくれそうだった。
傘を差すほどでもない霧雨が、細い針のように頬を刺すたび、私は無意識に顔を背ける。
石畳に滲む街灯の光は、見慣れたはずなのに、今夜はひどく歪んで見えた。

校舎の窓から漏れる灯りが、どこか遠く感じる。
人気のない廊下を早足で歩くたび、足音だけが冷たく響いて、寂しさがひたひたと胸を満たす。
忘れ物を取りに来ただけ。
それだけなのに、どうしてこんなにも心細いのだろう。

そんなとき、不意に背後から降りてきた声。
低くて、柔らかくて、耳元を甘く撫でるようなその響きに、反射的に振り返ってしまった。
「こんな遅くに、一人?」
そこに立っていた彼は、黒いコートに身を包み、まるで夜の帳に溶け込んでしまいそうな佇まいで。
けれど、その瞳だけは街灯に反射して、やけに冷たく光って見えた。

驚いて声も出せない私に、彼は微笑む。
その笑顔はあまりに優しくて、胸が痛いほど高鳴った。
「夜道は危ないよ。送っていこうか?」
あまりに自然なその誘いに、断るという選択肢が浮かばない。
気がつけば、小さく頷いていた。

おかしい、こんなはずじゃなかった。
もっと警戒しなきゃいけないのに、その瞳に見つめられるだけで、足がすくんでしまう。
どこか夢を見ているみたいな感覚に、胸の奥がざわつく。
——この手が、嘘じゃなければいいのに。
そんなことを、ほんの一瞬でも考えてしまう私は、きっとおかしいんだ。

彼の隣を歩くたび、足が地に着かないような感覚に襲われる。
夜風はひどく冷たいのに、頬が火照って仕方がなかった。
ふと視線を横に向けると、彼は穏やかに微笑んでいて。
その顔があまりに優しくて、胸の奥がきゅっと締め付けられる。

「名前、教えてくれないかな?」
その言葉はひどく柔らかくて、拒む理由が見つからない。
気がつけば、掠れた声で名前を告げていた。
それを反芻するように、彼は小さく頷く。

「素敵な名前だね。……もっと、話がしたいな。」
その声は甘くて、耳に触れるたびに意識が揺れる。
知らないうちに、呼吸が浅くなっていた。
どうしてこんなにも、心がざわめくんだろう。

「私も……もっと、あなたと……」
震える声で告げるたび、胸の奥で何かが疼く。
彼はその言葉に満足げに微笑んで、そっと髪を撫でた。
その手のひらはひどく冷たくて、でも心地よかった。
——こんなに優しくされたことなんて、今までなかったから。
だからこそ、余計に怖い。
その優しさが、まるで罠みたいで。

寒さに思わず肩を抱くと、彼はためらいもなくコートをかけてくれた。
その仕草はあまりに自然で、胸が苦しくなる。
柔らかくて上質な布地と、ほのかに漂う甘い香り。
それだけで、鼓動が速くなる。

「寒いだろう? ほら、もう少しこっちへ。」
低く囁く声が耳に触れるたび、背筋が震える。
その言葉に抗うことなんてできなくて、気がつけば彼の腕に縋っていた。
おかしい、こんなはずじゃないのに。

「そんな……迷惑じゃ……」
掠れた声で否定しようとすると、彼はふっと微笑む。
その瞳はどこか冷たくて、でも優しくて、底が見えない。

「迷惑なんかじゃない。むしろ、もっと頼ってほしい。」
その甘い声に、心が溶けるようにふわりと霞む。
——だめ、信じちゃいけない。
そんな警鐘が胸の奥で鳴り響くのに、その手を離すことができなかった。

どこかで聞いた童話の中の毒林檎みたいに。
甘くて、香り高くて、それでいて底に毒がある。
それでも、その手が離せないのは、きっと私が弱いからだ。
こんなに優しくされたことなんてないから、信じてしまいたくなる。

夜道を並んで歩く私たちだけの時間。
街灯に照らされるたび、彼の横顔が薄く浮かび上がる。
柔らかく微笑むその顔は、あまりに優しすぎて、どこか作り物みたいに思えた。

——本当に、こんなに優しくされていいのだろうか。
胸の奥で不安がざわつくたび、彼はそっと手を伸ばしてくる。
温かくて、包み込むような掌。
その手に触れた瞬間、心臓が跳ねて、呼吸が浅くなる。

別れ際、彼はふと足を止めた。
驚いて見上げた私に、彼は穏やかに微笑んでいる。
けれど、その瞳はどこか冷たく光っていて。

「少し、付き合ってくれる?」
甘く囁かれるたび、足が自然と動いてしまう。
誘われるまま、人通りのない路地へと進むと、彼はふっとため息をついた。
そして、ゆっくりと顔を近づけて——

「Kneel」
低く、穏やかで、抗えないほどに強い声。
その言葉を耳にした瞬間、頭が真っ白になる。
理解が追いつかないまま、膝が自然と折れていく。

冷たい石畳が、薄いスカート越しにひやりと伝わる。
驚いて顔を上げた私に、彼はふっと笑って、そっと髪を撫でた。
優しいのに、ひどく支配的で、逃げることさえできない。

「……どうして?」
掠れた声で問いかける私に、彼は微笑んだまま囁く。
「いい子だ。」
甘く、低く、耳元を撫でるような声。
その言葉に、胸が焼けるように熱くなる。

膝をついたまま見上げる視界の中、彼は満足げに微笑んでいた。
その顔はひどく優しくて、でもどこか冷たい。
本能が危険だと告げるのに、その言葉がひどく心地よくて、逃げられない。

私、どうかしてる。
なのに、その言葉をもっと聞きたいなんて。
彼の甘い声と、優しい瞳に支配されるたび、頭が霞んでいく。
逃げなきゃ、だめ。
そう思うのに、膝が震えて立てない。

唇がそっと触れた瞬間、背筋が震えた。
柔らかくて、甘くて、心が溶ける。
彼は満足げに微笑んで、耳元で囁く。

「いい子だ。そのままでいて。」
その言葉に、胸が締め付けられる。
心がぐらぐらと揺れて、甘くて苦い熱が、全身を焼き尽くす。
抗えない、抗いたくない。
もっと、支配されたい。

家に帰っても、彼の声が耳から離れない。
「Kneel」「いい子だ」。
その言葉が頭の中で何度も繰り返されるたび、胸が甘く疼く。

ベッドに沈み込み、震える指先でスマホを握りしめる。
画面には、彼からのメッセージ。
「今日はありがとう。またすぐ会いたい。」
短い言葉。それだけで、胸が満たされていく。

「……私、どうかしてる。」
掠れた声で呟いても、その熱は引かない。
もっと、もっと支配されたい。
あの甘い声で囁かれて、膝をつくたび、心が溶けていくみたいで。

おかしい、こんなの、愛じゃない。
わかってる。
だけど、その優しさに縋りつきたくて仕方がない。
もっと愛されたい、もっと支配されたい。
その囁きはひどくかすれて、悲しい響きだった。

次の日、授業中もふとした瞬間に思い出す。
「Kneel」という低い声と、「いい子だ」という甘い囁き。
その言葉が耳に蘇るたび、顔が熱くなって、胸がきゅっと締め付けられる。

まるで、彼の声が耳元で囁いているみたいで。
その甘い支配に、ずぶずぶと沈んでいくしかない。
抗わなきゃ、逃げなきゃ、そう思うのに、もう遅い。

教室の窓の外、青空があまりに遠くて、胸が苦しくなる。
私はもう、戻れない。
あの甘い声と、優しい瞳に支配されるまま、堕ちていくしかない。

偽りの微笑

放課後のカフェ。
窓際の席で、揺れるカーテン越しに夕陽が差し込む。
コーヒーの香りと柔らかな音楽、落ち着いた店内。
穏やかで、あたたかくて、いつもなら心が安らぐはずなのに。
胸の奥がひどくざわついて、指先が冷たい。

ふとカフェのドアが開いた。
思わず顔を上げたその先に、彼の姿。
胸が跳ねて、指先が震える。
やっと会える。そう思った瞬間、呼吸が止まった。

——彼の隣には、見知らぬ女性。
艶やかな髪と、大胆な服装。
挑発的に笑い、親しげに彼の腕に触れるその仕草。
楽しげに微笑む彼の顔。
まるで、私が隣にいるときと同じように。

膝の上で握りしめた手が、冷たく震える。
胸の奥がひどく痛くて、鼓動がうるさい。
——だって、彼は私だけを見てくれているはずなのに。
私だけに優しくしてくれているはずなのに。

「……嘘、でしょ?」
掠れた声は、誰にも届かない。
震える視界の中で、彼は女性と笑い合っている。
その仕草は、私に向けてくれるものと同じくらい優しくて。
その手は、私に触れるときと同じくらい柔らかくて。

逃げなきゃ。
そう思うのに、足が動かない。
その光景が目に焼き付いて、頭が真っ白になる。
膝が震えて、立っていられない。
まるで支えを失った人形みたいに、崩れ落ちそうになる。

彼がふと顔を上げた。
その瞬間、視線が絡んだ。
驚いたように目を見開いて、すぐに柔らかく微笑む。
その微笑みが、あまりに優しくて、胸がきゅっと締め付けられる。

でも、彼は何も言わずに、女性と共にカフェを出て行った。
その後ろ姿は、まるで私なんて最初からいなかったみたいに。
——嘘だ、嘘だ、嘘だ。
掠れた声で何度も呟いても、現実は消えない。
涙が滲む視界の中で、彼の背中だけが遠ざかっていく。

息が詰まる。
震える指先でスマホを握りしめたまま、立ち上がるのもやっとだった。
冷たい風が頬を刺して、薄いコート越しに身震いが伝わる。
逃げなきゃ。
だって、このまま見ていたら、胸が壊れてしまいそうだから。

街灯の光が揺れて、足元の影が長く伸びる。
足音だけが響く夜道で、心臓の鼓動がうるさい。
喉がひどく乾いて、息が苦しい。
どうして、どうしてこんなことに。
頭の中で同じ言葉がぐるぐると回る。

震える手でスマホを開く。
画面には彼からのメッセージ。
「今日は忙しくて会えない。ごめん。」
たった一言。
それだけで、胸がひどく抉られる。

だって、さっき見たのは幻じゃない。
優しく笑いながら、あの女性の腰に手を回していた彼。
私の知らない顔をしていた、あの人。

「……嘘つき……」
掠れた声で呟くたび、涙が頬を伝う。
でも、問い詰めることなんてできない。
だって、もし嫌われたら。
その考えが浮かぶたび、膝が震えて崩れそうになる。

その夜、スマホが震えた。
画面には彼からの着信。
胸が跳ねて、喉が詰まる。
スピーカー越し、甘く低い声が耳を撫でた。

「どうしたの、震えてる?」
優しくて、甘くて、心が溶ける。
——やっぱり、私の見間違いだったのかもしれない。
そう思わせるほどに、彼の声は柔らかくて甘い。

「……なんでもないです。」
掠れた声で返すたび、胸が締め付けられる。
彼は、ふっと甘く笑った。
その笑い声が、ひどく優しくて、でも底が見えなくて。

「ほんとに?」
スピーカー越しの声は、あまりに柔らかくて、耳に溶ける。
——だめ、騙されちゃだめ。
そう思うのに、その声に縋りつきたくて仕方がない。

「Stay」
低く、甘く、スマホ越しでも抗えないほどに強い声。
その言葉を耳にした瞬間、足が止まる。
動いちゃだめ。
その声が甘すぎて、もう離れられない。

「いい子だ。そのまま。」
耳に絡む甘い声が、ひどく心地よくて、背筋が震える。
だめ、逃げなきゃ。そう思うのに、その甘い声が心地よくて、もう離れられない。

「Look」
スマホ越しの声が、あまりに甘くて。
顔を上げた瞬間、画面に映る彼のアイコン。
その向こうで、彼が微笑んでいる気がして、胸が甘く疼く。

「僕だけを見てればいい。」
その言葉が、甘く耳に溶けていくたび、胸が苦しくなる。
愛じゃない。こんなの、愛じゃない。
そうわかっているのに、もう抗えない。

「……うん。」
掠れた声で返事をすると、彼は満足げに笑った。
「そう、いい子だ。」
その言葉が甘すぎて、胸が焼けるほど熱くなる。
——支配されているのに、その甘さに溺れてしまう。

冷たい夜風が頬を刺す。
街灯の光が淡く揺れて、ビルの影が長く伸びている。
震える足で帰り道を歩きながら、胸の奥がひどく痛くて、呼吸が浅い。
耳の奥で、さっき彼が囁いた甘い声が何度も反響している。

「Stay」
スマホ越しに囁かれた甘い声。
その言葉に抗えず、立ち尽くしたまま、涙が頬を伝った。
「いい子だ。」
満足げに囁かれたその言葉が、ひどく優しくて、胸が甘く痺れる。

——でも、ほんとうは嘘だ。
だって、彼はあの女性と親しげに笑い合って、私の知らない顔を見せていた。
優しく笑いながら、腰に手を添えて、甘く囁いていた。
その姿が瞼に焼き付いて、涙が止まらない。

「……信じたくない。」
掠れた声で呟くたび、喉がひどく乾く。
だって、信じてしまったら、もう戻れなくなるから。
あの優しい声も、温かい手も、全部嘘だったって。
そんな現実、耐えられない。

足が震えて、ふらついて、視界が滲む。
冷たい風に涙がさらわれて、ひどく冷たい。
それでも、足は自然とカフェの方へ向かってしまう。
もし、もしも、勘違いだったら。
そう思いたくて、甘い希望に縋りたくて、踵を返す。

胸がひどく痛い。
喉の奥が焼けるように苦しくて、涙が頬を伝うたび、胸が締め付けられる。
だって、もしもあれが勘違いだったら。
彼があの女性と親しげに笑い合っていたのが、幻だったら。
そう思わないと、胸が壊れてしまいそうだから。

——確かめなきゃ、だめだ。
だって、私は彼に「愛してる」って言われたから。
あの甘い声で、優しく微笑んで、「君だけだ」って囁かれたから。
あれが嘘だったなんて、信じたくない。

カフェのドアを開けると、柔らかな灯りとコーヒーの香り。
温かい空気が頬を撫でて、涙で冷えた顔がじんわりと熱くなる。
視線をさまよわせて、胸がうるさいくらいに跳ねている。
——そこには、彼だけがいた。

窓際の席。
女性の姿はどこにもなくて、彼だけが、穏やかに微笑んでいる。
胸が跳ねて、呼吸が詰まる。
さっき見た光景が、幻だったみたいに思えて、頭が真っ白になる。

「あ……れ……?」
掠れた声が震えた。
目の前の光景が信じられなくて、何度も瞬きを繰り返す。
だって、さっき見たはずなんだ。
彼があの女性と笑い合って、優しく触れていた姿を。
でも、今、そこにいるのは彼だけで。

彼がふと顔を上げた。
その瞬間、視線が絡んだ。
驚いたように目を見開いて、すぐに優しく微笑む。
その微笑みが、あまりに優しくて、胸がきゅっと締め付けられる。

「……こんばんは。」
穏やかに笑って、そっと手を差し出す。
その手が温かくて、無意識に指を絡めてしまう。
だめ、だめだよ。こんなの信じちゃいけない。
だって、さっき見たはずなんだ。
でも、その手があまりに優しくて、心が甘く蕩けていく。

「……あの、さっき……」
掠れた声で尋ねかけた瞬間、彼はそっと指で唇を塞いだ。
優しくて、甘くて、抗えない。
「……考えなくていい。」
耳元で囁かれるたび、頭がぼんやりと霞む。
その声はあまりに甘くて、抗えなくて、支配されているのがわかるのに。

「Shush」
低く、柔らかく、甘い声。
その言葉が耳に触れた瞬間、口が塞がれる。
喉の奥にまで甘さが染み込んで、声が出せない。

「いい子だ。」
満足げに微笑む彼が、そっと頬を撫でる。
その指先はひどく冷たくて、でも心地よくて、抗えない。
だめ、こんなの、愛じゃない。
そうわかっているのに、その手が甘すぎて、もう離れられない。

「……何も考えずに、俺だけを見てればいい。」
その言葉が甘く耳に溶けていくたび、胸がひどく痛い。
——逃げられない。
彼の甘い声に、優しい手に、ずぶずぶと堕ちていくしかない。

涙がひとしずく、零れ落ちる。
それを見た彼は、そっと唇を寄せて、涙を拭うようにキスを落とした。
「泣かないで。……ほら、いい子だ。」
甘く囁かれるたび、胸が焼けるように熱くなる。
支配されているのに、心が甘く満たされていく。

もう、戻れない。
彼の甘い声と優しい指先に、ずぶずぶと沈んでいくしかない。

真実と偽りの狭間

朝。
窓の外は晴れ渡っていて、カーテン越しに差し込む陽射しが眩しい。
けれど、その光はどこか冷たくて、胸の奥にこびりついた闇は消えない。
まぶたを開けた瞬間、昨夜の甘い声と優しい指先がフラッシュバックする。

ベッドの上、彼のシャツを握りしめたまま、震える指先でスマホを開く。
画面には、彼からのメッセージがひとつだけ。

「昨日はありがとう。またすぐに会おう。」
たったそれだけの言葉。
でも、それだけで胸が甘く満たされていくのがわかる。
震える指でその文字を何度もなぞるたび、息が詰まりそうになる。
——愛されている。
そう思い込みたくて、必死にその言葉に縋りつく。

でも、頭の片隅で冷たい声が囁いている。
あの女性の笑顔と、親しげに笑い合っていた彼の姿。
その光景が、瞼の裏に焼き付いて離れない。
——あれが嘘じゃないなら、私はいったい何を信じればいいの?

胸の奥で甘く疼く不安と、彼の甘い声の余韻が絡みついて、呼吸が苦しい。
顔を埋めた枕からは、まだ彼の香りが微かに残っていて、それが余計に胸を締め付ける。
だって、信じたくない。
あんなに優しく笑って、あんなに甘く囁いてくれた彼が、嘘をつくはずがない。
——信じたい、信じたくない、どちらが本当の気持ちかわからなくて、頭が痛い。

「……私、どうかしてる……」
掠れた声で呟いても、その熱は引かない。
もっと、もっと愛されたい。
そう思うたび、胸がひどく痛い。
どんなに支配されてもいい。だって、彼の甘い声を失う方がずっと怖いから。

放課後の廊下。
窓から差し込む夕陽が、赤く長い影を落としている。
薄暗い空気と、微かに聞こえる教室のざわめき。
ひとりで歩くたび、コツコツと響く足音が妙に耳に障って、胸がざわつく。

スマホを握りしめた手が、ひどく冷たい。
彼からのメッセージはまだ来ない。
あれから何度も確認したのに、画面は沈黙したまま。
震える指で何度も更新を繰り返すたび、胸が締め付けられる。

ふと、聞こえてきた甘い声。
艶やかで、甘くて、どこか挑発的な声。
——あの女性だ。
胸が跳ねて、思わず足が止まる。
壁越しに聞こえてくるその声は、あまりに耳に馴染んでいて。
喉がひどく乾く。
逃げなきゃ。そう思うのに、足が震えて動けない。

そっと壁越しに覗いた視線の先。
彼と、あの女性が親しげに笑い合っている。
甘く微笑んで、そっと肩に触れる彼の手。
その仕草は、あまりに自然で、私に向けられるときと同じで。

胸がきしむ。
喉の奥が焼けるように苦しくて、涙が滲む。
だって、こんなの、愛じゃない。
私だけを見てくれているはずなのに、どうして。

「……あ、れ……?」
掠れた声が震えた。
涙が滲んで視界がぼやけるたび、彼が見えない。
でも、耳に張り付く甘い声と、楽しげな笑い声だけは、嫌でも聞こえてくる。

視線の先、ふと彼が顔を上げた。
その瞬間、視線が絡んだ。
冷たく光る瞳と、微かに持ち上がった唇。
背筋に冷たいものが走る。

逃げなきゃ。
そう思った瞬間、足がふらついて、膝が崩れ落ちる。
震える足で逃げ出そうとした背中越しに、微かに笑う声が聞こえた気がして、喉が詰まる。
——嘘だ。
そう思っても、現実は消えない。

次の日、教室。
窓の外は灰色の空。
重く垂れ込めた雲が、まるで逃げ場のない檻みたいで、胸がざわつく。
授業の内容なんて頭に入らない。
——彼の甘い声と、優しい微笑みが頭から離れない。

ふと、視線の先。
廊下を歩く彼の姿。
あの女性と並んで歩く姿が、嫌でも目に入る。
胸がきしむ。
喉がひどく乾いて、涙が滲む。

——どうして。
私だけを見てくれているはずなのに。
愛してるって、あんなに甘く囁いてくれたのに。
あの女性と笑い合って、優しく触れているその手は、私に向けられるときと同じで。

震える手でスマホを握りしめる。
彼からのメッセージは、まだ来ない。
もし、今ここで問い詰めたら。
——嫌われてしまうかもしれない。
その考えが頭をよぎった瞬間、膝が震える。

教室の中、誰もいない場所でスマホが震えた。
画面には、彼からのメッセージ。
「今、どこ?」
たった一言。
それだけで、胸が甘く痺れる。
震える指で返事を打つたび、鼓動がうるさくて仕方がない。

「教室……」
送った瞬間、スマホが震えた。
「すぐに会いに行く。待ってて。」
その言葉が甘くて、胸が焼けるほど熱くなる。
だって、会いに来てくれる。
私だけを見てくれる。
——それが、たとえ嘘でも。

数分後、開いたドアの向こうに彼の姿。
微笑んで、そっと手を差し出す。
その手があまりに温かくて、無意識に指を絡めてしまう。

「泣いてたの?」
そっと頬に触れる指先がひどく冷たくて、でも心地よくて、抗えない。
「……なんでも、ない……です。」
掠れた声でそう繰り返すたび、胸がひどく締め付けられる。

「Come」
甘く、低く、抗えないほどに強い声。
その言葉を耳にした瞬間、全身が甘く痺れる。
だめ、支配されている。
そうわかっているのに、その声が甘すぎて、もう離れられない。

彼は満足げに微笑んで、そっと耳元で囁く。
「……いい子だ。」
その言葉が甘くて、胸がひどく痛い。
支配されているのに、心が甘く満たされていく。

もう、戻れない。
彼の甘い声と優しい指先に、ずぶずぶと堕ちていくしかない。

余韻と破滅

夜の街。
冷たい風が頬を刺す。
人通りの少ない路地を歩くたび、足音だけが響く。
震える指でスマホを握りしめたまま、胸の奥がひどくざわついている。

彼との待ち合わせ場所。
灯りの消えたカフェの前。
ふと見上げると、そこには彼の姿。
月明かりに照らされたその笑顔は、ひどく穏やかで、甘くて、逃げ場がない。

「……どうしたの、震えてる?」
耳元で囁かれる甘い声に、胸がきゅっと締め付けられる。
だめ、問い詰めちゃだめ。
そう思うのに、涙が止まらない。

「……私……あなたに……」
掠れた声で、震えながら問いかける。
喉の奥が焼けるみたいに苦しくて、膝が震える。
でも、確かめなきゃいけない。
あの甘い声が、本物かどうか。

「……私、あなたに愛されてないんだよね?」
涙に滲んだ声が震えた。
喉がひどく乾いて、息が詰まる。
胸の奥で甘く疼く不安と、さっき見た光景がこびりついて離れない。

その瞬間、彼はふっと微笑んだ。
穏やかで、甘くて、底が見えない微笑。
——冷たい。
そう思った瞬間、そっと唇が重なった。

「愛しているさ、他の誰よりも。」
甘くて、優しくて、心が溶ける。
その言葉が真実か嘘か、もう確かめる術なんてない。
でも、その声があまりに甘くて、逃げられない。

涙がひとしずく、零れ落ちる。
彼はそっと唇を離して、微笑んだまま、髪を撫でた。
その指先はひどく冷たくて、でも心地よくて、抗えない。

「ほら、泣かないで。」
甘く囁かれるたび、胸が焼けるように熱くなる。
支配されているのに、心が甘く満たされていく。
もう、戻れない。
彼の甘い声と優しい指先に、ずぶずぶと堕ちていくしかない。

朝。
窓の外は晴れ渡っていて、眩しい光がカーテン越しに差し込んでいる。
でも、その光はどこか冷たくて、胸の奥の闇は消えない。

ベッドの上、彼のシャツを握りしめたまま、震える指先でスマホを開く。
画面には彼からのメッセージがひとつだけ。

「昨日はありがとう。またすぐに会おう。」
たったそれだけの言葉。
でも、それだけで胸が甘く満たされていくのがわかる。
震える指でその文字を何度もなぞるたび、息が詰まりそうになる。

でも、頭の片隅で冷たい声が囁いている。
あの女性と親しげに笑い合っていた彼の姿。
甘く囁く声と、優しく触れる手。
それが夢じゃなかったことは、痛いほどわかっているのに。

——それでも、もう戻れない。
甘くて、痛くて、逃れられない支配の中で、終わりのない夜に沈んでいく。
彼の甘い声と優しい指先に縛られたまま、終わりのない支配に堕ちていく。

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