① 櫻井孝(IPCC顧問)著「ロンドン万国発明品博覧会1885 について」を読む
今年(2025年)といえばIPCC は「40周年」ですが、世の中のトレンドですとやはり日本では20年ぶりとなる国際博覧会である「EXPO 2025 大阪・関西万博」でしょうか。国際博覧会は万国博覧会、つまり「万博」と呼ばれることも多いですね。
この記事を執筆している広報担当のHも先日今回の「万博」を訪れ、最先端の展示技術や趣向を凝らした建築や会場デザインを筆頭に、その醍醐味を味わいました。
あらためて、EXPO 2025 大阪・関西万博公式サイトの「開催目的」ページを読みましたら、「万博」とは
世界中からたくさんの人やモノが集まるイベントで、地球規模のさまざまな課題に取り組むために、世界各地から英知が集まる場
であり、
新しい技術や商品が生まれ生活が便利になる「きっかけ」
となることが記され、また、「2025 大阪・関西万博で実現すること」にも
最先端技術など世界の英知が結集し新たなアイデアを創造発信
とありました。
(そもそも、国際博覧会条約に基づいているので、その定義を確認してみると「博覧会とは、名称のいかんを問わず、公衆の教育を主たる目的とする催しであって、文明の必要とするものに応ずるために人類が利用することのできる手段又は人類の活動の一若しくは二以上の部門において達成された進歩若しくはそれらの部門における将来の展望を示すもの」とありました)
国際博覧会(万博)「国際博覧会条約」抜粋|外務省 (mofa.go.jp)
開催となれば大変長期にわたって準備がなされ、開催都市ではその前後で都市の有り様すら大きく変化する一大イベントの「万博」。
人々を引き付けるその中身の中心は、いつの時代も最新技術、多種多様な発明やアイディア。IPCC 職員としては、この「万博」をきっかけにどれほどの「特許」や「発明」が生まれたのかが気になるところです。

さて、イントロダクションが長くなってしまいましたが、IPCC の櫻井孝顧問が、「発明」誌(※)で、2023年7月から12月まで6 回に渡って発表した「ロンドン万国発明品博覧会1885 について」を読む機会がありました。
※ 発明誌は、明治38 年(1905 年)創刊の「工業所有権雑誌」を前身とし、特許、実用新案、意匠、商標のみならず著作権、不正競争防止法等、知的財産権全般に亘る情報を網羅し、100年以上の歴史を持つ専門誌です。
今年「万博」開催国であった日本が、明治時代、鎖国体制が終了してから20 年も経たない1885年に、列強の大国に交じり参加した「万博」。
とりわけ「発明品」に特化した「万博」である「ロンドン万国発明品博覧会(INTERNATIONAL INVENTIONS EXHIBITION)」。
「ロンドン万国発明品博覧会1885について」で、第回目の見出しに書かれているとおり、
わが国ではまだ発明の保護も始まっていないのに、どうして参加することにしたのだろう
本邦から誰が何を出品したのか
その評価はどうだったのか
気になることばかりです。
「わが国ではまだ発明の保護も始まっていないのに」という点。
(これより以下、「ロンドン万国発明品博覧会1885 について」からの抜粋を多々使用いたします)
ロンドン万国発明品博覧会が開催されたのは1885年5 月(6か月間の会期)。明治政府が博覧会への参加を決めたのはなんとその約半年前ほどの、前年1884年11月。日本の特許制度は1885年7月に施行されているので、「わが国ではまだ発明の保護も始まっていないのに」というわけですね。
なお、1881年に特許制度の所管が新設の「農商務省工務局」ということに決まり、発明や商標を保護するための法律案を作成するにあたり当時20代後半で任官したばかりの高橋是清がその役に任命され、3年の歳月をかけて全37 条からなる発明専売特許条例案を作り上げたのは1884年2 月。さらに、制度取調局による審査では特許行政を担う独立した官署として特許院を設けることなどを含む48条となって手直しが入るが、財政の状況から特許院創
設は難しいこともあり、いったん大幅に簡略化した専売特許条例案(全27 条)にし、再び上申したのが12月。他方、商標条例案は順調に審議が進み、10月に施工され、工務局に設置された商標登録所に高橋是清が所長に就任。開設当初から商標登録出願は多数なされ、そうするとさっそくユーザーから指摘が入る規定があり、その改訂に高橋是清は奔走。1884年の日本は、発明品の博覧会参加以前に、特許制度の設立前夜で大忙しでした。
「どうして参加」することにしたのかについては次回ご紹介することにし、今回は、開催側の「ロンドン万国発明品博覧会」について少し触れておきます。

58ページ目に会場地図があり、左ページ真ん中あたりにブルーの四角でJAPAN とあります。

イギリス・ロンドンは1851年に世界で初めて万博が開催された土地であり、1883年からは「ロンドン万国漁業博覧会」1884年「ロンドン万国衛生博覧会」、1885年「ロンドン万国発明博覧会」と3年連続で博覧会が開催され、日本は「漁業」「衛生」博覧会にも参加していました。
博覧会場はロンドン西部のサウスケンジントン。
ここは1851年の万博が生んだ利益をもとに作られた博物館や音楽館などがある文化的なエリアで(現在の「V&A」ことヴィクトリア&アルバートミュージアムがその名残ですね)、その周辺はロンドン市内でも高級エリア、貴
族紳士の居住地でした。交通手段もすでに豊富で(日本より64年も早く地下鉄ができています)、ロンドン市内のいずれの場所からもアクセスが良かったそうです。
この1885年の万国発明品博覧会の開催目的は、同時期にイギリス国内において資力に乏しい発明家層に役立つよう改正された新しい特許法が公布されるなど、発明の奨励による産業振興を図る中、1862年に開催された第2回ロンドン万博以降の発明の進歩を披露すること。
この目的を踏まえ、出品については、審査によって高い公益性また重要性があると判断された発明品が許され、出品物の区分は、その大部分が特許庁の分類システムに基づいていました(※)。
開催日数は6か月間。会期終了までには300万人超の来場者があったようです。
「東京都の統計」サイトによると1885年の東京の人口が約116万人とありますから、当時のロンドンの街の人口や活気が、当時の東京より遥かに上回っていたことがわかります。
現在の万博と異なるのが、展示品の買い取りも自由であったこと。どうやら当時の慣習として、出品物は売却処分することが通例だったそうで、売買の場であったことも、のちほど触れる出品物の傾向を理解しておくために大切な情報です。
(※)これはまだ特許制度も整っていなかった日本と比べると、17世紀からすでに制度化し、産業革命の中心地となったイギリス、さすがです。ちなみに、 私たちIPCC は、ロンドン万国発明品博覧会が開催され、かつ、日本で特許制度の前身である「専売特許条例」が交付された1885年からちょうど100年後にあたる1985年、特許文献データベースを構築するための分類(F ターム)付与を行う組織として設立され 、現在も分類付与事業を担う唯一の登録調査機関として、日本の特許審査を支え、特許制度を支えています
産業財産権制度の歴史 | 経済産業省 特許庁 (jpo.go.jp)
次回は、当時の日本が
参加した理由や背景
日本からは誰が何を出品したのか
について触れたいと思います!
