違う文化の人に学ぶ日本語中心の感覚を見直すということ
手話通訳士のあらかわいおりです。
手話に関することを幅広く発信しています。
現在6冊の本を出版し、
2026年中に10冊の手話の本を出版するべく執筆中です。
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そのロールモデルになるべく奮闘中です。
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手話通訳のように、日本語と、背景(文化)の違う言語を行き来する場合、
母語(日本語)が自分を助けてくれることがあります。
反面、母語が異文化の理解を妨げることがあります。
自分の取り扱う言語が(単語が)イコールの関係だと思っているとしたら、
それを疑うことが必要です。
日本言の「かまわない」と、手話の「かまわない」。
意味が重なっている部分もあるでしょう。
でも、完全に重なっているのではない。
辞書を引いたらイコールの関係だと思ってしまう。
聞こえない方との交わりの中で「イコールの関係ではない実感」をつかむことは、とても大切な経験です。
母語の理解だけで、それを手話に持ち込んでしまうと「意味のズレ」が生じてしまい、それが情報保障に影響してしまう。
そんなことを一緒に考えてみましょう。
「ちゃんと伝えたはずなのに、なぜか伝わっていない」
そんな経験、ありませんか。
私たちは普段、日本語を「当たり前のもの」として使っています。
しかし、その“当たり前”は、実はとても日本独特の感覚に支えられているのかもしれません。
今回紹介する記事では、異なる文化を持つ人たちが日本語をどのように受け止めているのかが取り上げられています。
そこには、日本人が気づきにくい「ズレ」がはっきりと見えてきます。
日本語は「察する言語」
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