自己紹介|「違う」と感じる人生を手放し続けたら、運氣が味方になった話
この記事では、わたしの人生の体験を通して
運氣を味方につける人と、運氣に嫌われる人の違いについてお話しします。
わたしは、全く分野の違う職種を二つ経て
その後、最も否定的だった仕事をしています。
そして、この仕事を全うすることこそ、自分の天命であり、幸せだと確信しています。

「なぜ、あの人はいつもうまくいくんだろう」
そう思ったことはありませんか?
努力している。学んでいる。それなりに真剣に生きている。
なのに、何かが噛み合わない。流れが来ない。現実が変わらない。
わたし自身、そう感じた時期が長く続いていました。
でも今振り返ると、あの「噛み合わない時期」にも、ちゃんと意味がありました。
むしろ、すべてがつながっていました。
これは、わたしが運氣というものをいつの間にか理解し、導かれるように進むべき道に軌道修正されていった話です。
今更ですが、自己紹介がわりに以前書いた記事に追記するような形でお話しします。

使命感に従う
岡山大学の環境理工学部に入学した日のことを、今でも覚えています。
「環境を守りたい」という気持ちは、なぜか子どもの頃からずっとありました。
テレビで地球温暖化や砂漠化のニュースを見るたびに、これはやばい、何とかしなければと。人間の我儘で無関係な生き物がどんどん生きる場所を奪われている。
理屈ではなく、使命感に近いものとして、あの頃は本気で地球を救うと思っていました。
大学でその学問を学べることが、純粋に喜びでした。
そして
自分が進むべき方向に、ちゃんと歩き出せた気がしました。
これが、最初の「正しい選択」でした。
使命感に従うこと。
それだけで、人は正しい方向に向かえます。

違和感という心の声
就職活動は、正直なところ、適当でした。
学生生活が楽し過ぎて、環境問題のことは頭の片隅に追いやって蓋をしていました。
活動時期に入ったため、なんとなく教授の推薦をもらい、「ダメ元で受けてみるか」で受けた会社に採用されて、配属された先が、全く興味のない設計部門。
環境部門もある会社でしたが、希望は通らず。
専門性の高い部署のため、ヘッドハントされた経験者のみで構成されていました。
リサーチ不足です。
毎日、図面を引く。数字を出す。構造計算をする。

仕事自体は、それなりにこなせました。
社会人としての礼儀や、コスト意識、段取りの仕方。気づかぬ内に、大切なものを吸収していました。
でも、心のどこかでずっとひっかかっていました。
「ここは、自分がいる場所じゃない」
その声は、最初は小さかったけれど。
でも、ある程度仕事を任せられるようになった頃、その声はもう無視できなくなっていました。
先のことを考えたのかと言われれば、正直そうじゃありません。
でも、ある日突然違和感に耐えられないと思い、会社を辞めました。
「自分の役割ではないと感じるものは、手放す」
これが、運氣を味方に付ける法則の一つだということを、その頃のわたしはまだ知りませんでした。

さまよった一年と、運命の出会い
退職後の一年は、ブラックな働き方をしていた反動か、のんびりと過ごしました。
大学の同期は役職に就き始める頃でしたが、そこは見て見ぬ振りをして。
設計のバイトをしつつ、今度は本当にやりたいことを見つけるまでは焦らず次の道を見定めようと。
バイトは割りが良かったので、自由な時間が沢山とれました。
なので、色々なボランティアを経験して、様々な人と触れ合いつつ、自分の人生をゆっくり見つめ直していました。
介護施設の手伝い。子どもの支援。地域のイベント、家庭教師など。
給料はない。肩書もない。
それでも、不思議と清々しかった。
やりたいことをやっている人たちと関わるたびに、自分の中の求めていたものが、少しずつ目覚めていく感覚がありました。
そんなある日、ボランティア活動を通して「理学療法士」という仕事を知りました。
ピンときました。
なぜか理由もなく「これだ」という感覚が来ました。
全く知らない医療分野。
今まで学んだことも活かせない。
しかも、今まで知りもしなかった職種。
そんな国家資格があることすら知りませんでした。
でもなぜか、
〝あ、この仕事やるんだな〟
という感覚だけが鮮明にありました。
意志と目的を持って動いていると、必要なご縁は向こうから引き寄せられてきます。
あとから思えば、あの一年のさまよいも、大切で必要な時間でした。

超絶に厳しい実習と、人生を変えたスカウト
理学療法士の養成校に入れてからは、毎日が楽しく過ごしていました。
同じ志を持つ仲間がいる。同じ方向を向いている人間が周りにいる。
それだけで、人はこんなにも充実感があるのかと思いました。
そして、学生時代最大の山場が来ました。
医療業界では有名な厳しい臨床実習。
わたしが選んだ実習地は「特に厳しくて怖い」という噂が学校中に広まっていました。
実際、わたしの前の実習生は開始後1週間で実習中止(=留年確定)に。
でも、どうしても学びたい先生がいる病院なので、覚悟を持って臨みました。
幸いなことに、その先生(厳しさ最高峰)がスーパーバイザーをしてくることになり、毎日、その先生に認められたい一心で必死でやり切りました。
無茶な宿題にも徹夜で対応し、
課題があっても先生からの飲みの誘いは断らず、
飲みの席では先生への憧れと敬意を語り、
そのまま終電がなくなったら病院に泊まってリハビリ室のベッドで朝まで課題をやり、
寝てなくても気合いで普通以上の成果を提出する。
そして先生は酒とニンニクの匂い(高知なのでとにかく飲むし、カツオの叩きに生のニンニクを山程のせて食べる)をさせながら、朝はのんびりリハビリ室でゴルフの練習。
、、、元気に挨拶して課題の提出。
努力の甲斐あって、実習は高評価で無事終了。
わたしのデイリーノートは全てコピーされ、先生が今後の実習生のお手本として使ってくれることとなりました。
そして最終日の挨拶の後に先生が言いました。
「うちに来い」
憧れの先生からのまさかのスカウト。
でも、わたしは関東での就職を希望していました。
そう正直に伝えると、先生は笑ってこう言いました。
「ほんじゃあ、関東の親友を紹介してやるき(高知弁)」
紹介された先生は関東では有力者で、良い就職先を斡旋してもらえることになりました。
今やることに集中すること。そして、ご縁をつなぐこと。
その二つが重なったとき、思いもよらない扉が開きます。

異例の出世と、かつての経験が活きた時
最初に勤めた病院での仕事は、かなり順調でした。
いや、順調というより、過去の経験が予想以上に活きました。
建設コンサルタント時代に身につけたコスト意識。段取りの作り方。報告・連絡・相談の徹底。
医療従事者の中では、そういった「社会人としての当たり前」が抜けている人が、意外と多く
ただそれをやるだけで、「できる人」として評価されました。

そして2年目で主任。3年目で科長に抜擢されました。
あの遠回りに見えたサラリーマン時代が、ここで初めて活きた感覚でした。
リハビリ業務においても、設計で獲得した物理的なものの捉え方は、人体に置き換えてもかなり有効に活用できました。
なにせ、人体も骨格や筋肉には物理的な力が影響しているし、それを深く理解して運動学や解剖学的な視点を持っている理学療法士はほとんどいませんでした。
辛い経験も、すべて意味があります。
すべて必要なことだったのだと、この時初めて腑に落ちました。

再び心の声を聞いた時
立場も、待遇も、申し分ありませんでした。
でも、また心の声が聞こえてきました。
「もっと、やりたいことがある」
当時、わたしは整形外科分野、しかも外来のリハビリに特化した仕事がしたくて仕方ありませんでした。
業務内容としては整体に近い感覚です。
とにかく治す技術を極め、ゴッドハンドになるのが夢。
科長に抜擢されてわずか半年後
その想いが極まったタイミングで、外来整形外科の立ち上げ事業にヘッドハントされ、わたしは退職を決めました。
周りは驚きました。
「もったいない」という声もありました。
でも、心の声はそれよりずっと大きく、もはや抗うことは不可能。
執着しないこと。心の声に従うこと。
これも運氣を味方につけるために大切な選択でした。
ちなみに、退職から1年後、在籍していた病院は経営不振で閉院しました。
あの時、心の声に従っていて本当に良かったと思いました。

闇落ちの日々
二つ目の職場では、リハビリ室の立ち上げリーダーを任されました。
立ち上げ当初は、最高に楽しい日々でした。
仲間と週2日は飲みに行き、毎週末には遊びにも行っていました。
勤務後に院内で勉強会をしたり、遠方のセミナーに皆でよく参加したり。
患者さんのために、スタッフ全員が同じ方向を向いていました。
が、それがある日一変しました。
事務長が連れてきた一人の非常勤が入職してから、職場の空気が変わりはじめました。
詳しくは書きませんが、その人物は患者さんを「治す」ことよりも、自分の立場を優位にすることを優先しました。
彼に対する患者さんからのクレームが頻発し、でも、なぜか事務長に気に入られ、過度な優遇を受けていました。
やがて、その人物を起点にスタッフ内で陰口が広まり始めました。
標的は、わたしでした。
無視される。嫌がらせをされる。私物に悪戯される。
仲良かったスタッフたちが、少しずつ離れ、事務長と非常勤の派閥のようなものに取り込まれていき、更に嫌がらせは規模拡大。
毎日、通勤の電車に乗ると襲ってくる頭痛。
頭にモヤがかかったような感覚が、何日も続きました。

それでも、辞めませんでした。
自分がいなくなったら困る人がいる。
他に管理業務をできるスタッフも居ない。
そう思っていました。いや、そう思いたかったのかもしれません。
これが執着だということを、その頃のわたしは分かっていませんでした。
そんな日々が、2年続いた頃
ある日、内科の先生に言われました。
「きちんと診断しないとわからないけど、君は鬱だよ」
その言葉を聞いた瞬間、何かがぷつんと切れました。
「アホらしい。もう、知らんわ。」
そう思えた瞬間、自然と転職活動を始めました。
すると、不思議なことに
動き出したとたん、事態が急転換しました。
非常勤が辞め、事務長の不正が院内全体に発覚し、ある日突然、事務長は消えました。
派閥のスタッフたちも、逃げるように去っていきました。
その後、わたしは信頼できる人たちを一から採用し直しました。
一年後、職場には元の活気が戻っていました。
そして、気がついたら、鬱の症状も消えていました。
執着と、「自分がいなければ」という思い込みが、運氣を遠ざけていました。
それを、身をもって学んだ出来事でした。

メンターとの出会いと、神社参拝という謎の修行
転職を決めたその年、一人の人物と出会いました。
自己啓発と才能開花を教えるメンター。
圧倒的なIQと人格の持ち主で、ユーモアのある人でした。
「スピリチュアルは大嫌いだ」が口癖。
わたしもそれには同意で、根拠がなくフワフワした印象で、願うだけで全て望みが叶うみたいな、当時はそんな偏ったイメージをしていて、否定的でした。
なのに、なぜか日本中の有名神社に連れて行かれました。
玉串として大金を納め、古事記の隠された話を語り、神様とのご縁を説く。
鳥居をくぐれば、空気感の違いをレクチャーされます。
本殿では、立つ位置によって感覚が変わると教えられます。
心の中でずっとツッコんでいました。
「それ、思い切りスピリチュアルやん」
「あんた、スピリチュアル嫌いっていつも言ってるやん」
でも、恐れ多くて口には出せませんでした。

伊勢神宮で、何かが変わった
メンターに連れられて伊勢神宮を訪れた日のことは、今でも鮮明に覚えています。
その日は、御垣内参拝といって通常の参拝客よりも内側の、より正殿に近い場所で参拝できる予定だったので、気合いを入れて正装で臨みました。
駐車場に着いた瞬間から、何やら身体中がビリビリする感じ。
そして鳥居をくぐった瞬間。
なぜか、涙がこぼれました。

意味が分かりませんでした。悲しいわけじゃない。なのに、勝手に涙が出てくる。
境内を歩いていると檜のお香のような香りがして、「やっと来たね」と言われたような感覚がありました。
ただただ心地良い感覚で、境内の空気感と巨大な杉の樹林に圧倒されながら本殿まで歩きました。
そして本殿に近づくにつれ、視界がどんどん開いていく感覚が。
メンターに「めっちゃ眼が開いてるやん」と言われました。
そして本殿で参拝中、また涙が出てきました。
ふと隣を見ると、メンターも泣いている。
大の男が二人、並んで泣いています。
「ちょっと気持ち悪いな」と思いながらも、それを笑い飛ばす余裕もありませんでした。
あの日から、何かが変わりました。
理学療法士として患者さんを診るとき、「なんとなく見える」ものが増えました。
「肝臓がモヤモヤしている感じがする」
そう感じながら深掘りすると、食事の乱れが見えてきます。
さらに掘ると、トランス脂肪酸の摂りすぎ。
触診すると、肝臓の重みで右の骨盤が落ちていました。
そして骨格の調整ではなく、栄養指導であっさり改善。
見えない感覚と、解剖学・生理学の知識が組み合わさることで、これまで治せなかった症状に対処できるようになっていきました。
科学と非科学は、対立するものではありません。
本来は、統合されて初めて本質が見えてきます。
頭で考え過ぎず、感覚を研ぎ澄ませ、時に身を委ねる。
これも運氣という見えないものを味方に付けるための大切な要素です。

障がい児との奇跡と、もう否定できない現実
スピリチュアルを受け入れ始めた頃、メンターから声がかかりました。
「障がい児支援の活動を、一緒にやらないか。そして全く新しい障がい児支援事業を立ち上げよう。」
そこで出会ったのが、子育て支援の有名団体の副理事の方でした。
この方が、とんでもない能力者で
落とした財布の場所を言い当てる。人の才能を一瞬で見抜く。
その方に言われた言葉が、今でも忘れられません。
「あなたは身体に関しては天才だから、その道はこれからも続けなさい。
見えない世界の感覚も本物。活動を通して、その感覚を活かしなさい。
必要な時は、あなたが答え合わせをしてあげなさい」
その言葉をきっかけに、不思議な変化が起きました。
障がいのある子どもたちを見たとき、その子が「なぜ今の身体で生まれてきたのか」が、なんとなく感じられるようになりました。
コロナ禍でリハビリに通えなくなった、脚の不自由な子がいました。
「もう手術しかない」と言われていた子でした。
その子が本当に望むこと、将来やるべきことを感覚的に読みとり、それに合わせて、お母さんと一緒に今できることをお伝えしました。
2ヶ月後。
装具なしで、普通に歩けるようになりました。
久しぶりにリハビリ病院を受診した時、担当の先生がドン引きするほどの回復ぶりだったそうです。
もはや、スピリチュアルは否定できませんでした。

ご縁がご縁を呼ぶ、雪だるま式の加速
科学とスピリチュアルを統合し、もっと深く学ぼうと思っていた矢先、また「偶然」が重なりました。
当時所属していたコミュニティの中で、誰もが認めるカリスマ霊能者さんのコミュニティを紹介されました。
直感的に、すぐに入会を決めました。
普通ではなかなか巡り会えない場所でしたが、ありがたいことに入会させていただけることに。
そこでエネルギーワーク、チャクラ調整、気功を習得し、遠隔での施術もできるようになりました。
そして気づいてしまいました。
「病院という枠の中だけで理学療法士をやるのは、もう違うかもしれない」
自分独自のセッションを提供したい。本当に必要な人に、届けたい。
そう思っていた矢先、またご縁がつながりました。
偶然紹介された実業家のコミュニティに入り、独立のためのコンサルティングを特別な条件で受けさせてもらえることになりました。
そこからは、本当にご縁がご縁を呼ぶ展開でした。
必要な行動をとると、必要以上に良い出会いがあります。
学びたいと思ったことを、ピンポイントで教えてくれる人と出会います。
クライアントさんを紹介していただく。一生縁がないと思っていた世界に連れて行っていただく。
運氣が、雪だるまのように加速していきました。

そして、いま
こうして今、わたしは病院勤務とダブルワークで「ioRe⊹(いおり)」というサロンを開いています。
身体・心・魂を三位一体として整えるセッション。
延べ80,000人以上の臨床経験と、科学と霊的感性の統合。
振り返れば、あらゆる出来事に意味がありました。
適当な就職も。感覚に従った退職も。鬱になりかけた2年間も。
伊勢神宮での涙も。メンターとの出会いも。
すべてが、今のわたしをつくっていました。
そして気づきました。
人生は「頑張って変えるもの」ではなく、
整えることで自然と流れ出すものだということに。

運氣を味方に付ける人と、嫌われる人の違い
長い文章を読んでくださり、ありがとうございました。
振り返ってみると、わたしが運氣を味方にできた時には、必ず共通点がありました。
そして逆に、運氣に嫌われた時にも、共通したパターンがありました。
運氣を味方に付ける行動の共通点は
・使命感や「ピン」とくる感覚に従う
・自分の役割でないと感じるものを手放す
・目の前のことに集中し、ご縁を大切につなぐ
・辛い経験も「必要なことだった」と受け入れる
・心の声に従い、執着しない
そして運氣に嫌われた時の行動は
・違和感を覚えつつ惰性で続ける
・立場やプライドへの執着
・自己都合の思い込み
・心の声を無視して頭だけで判断する
運氣は、勝手に味方してくれるものではありません。
整えた積み重ねの結果として、味方になってくれるものです。
まずは身体を整える。
次に言葉と感情を整える。
正しい行動と決断を積み重ねる。
それが習慣になると、自分の醸し出す空気が変わります。
そして自然と、運の良い人と出会うようになります。
流れは、整えた人から変わります。
・
・
・
ここで、少しだけ時間をください。
ほんの1分でかまいません。
この記事を読み終えた今、あなた自身の人生を少し振り返ってみてください。
これまでの人生の中で
運氣が味方してくれた瞬間はありましたか?
逆に、
運氣に嫌われてしまったように感じた瞬間はあったでしょうか。
そしてこれから、
あなたはどんな選択をしていきたいでしょうか。
人生は、日々の小さな選択の積み重ねです。
その選択が、少しずつ運氣の流れをつくっていきます。

もしよろしければ、
運氣を味方につけるヒントになる記事を、いくつかこちらに載せておきます。
気になる記事があり、そして少しでも何かを感じていただけたなら。
それはきっと人生の分岐点です。
