発達障害が「社会性の障害」と言われる、本当の意味
発達障害について調べると、
「コミュニケーションが苦手」
「人間関係が苦手」
「社会性に課題がある」
みたいな説明が出てくる。
これ、かなり軽く書かれているんだよな。
人付き合いがちょっと苦手とか、雑談が下手とか、そういう話に見える。
違う。
社会で生きるために必要な大量の「見えない処理」を、
人より高いコストでやらなければならない。
こっちのほうが実態に近い。
ASDは、そもそも診断基準の中心に「社会」がある
まずASDはかなり分かりやすい。
DSM-5の診断基準でも、ASDでは社会的コミュニケーションと社会的相互作用における持続的な困難が中核に置かれている。
具体的には、相互的なやり取り、非言語コミュニケーション、
人間関係の形成・維持・理解などだ。
つまり、「友達を作るのが苦手です」という程度の話ではない。
人間社会って、ものすごく曖昧なんだよ。
「今度飲みに行きましょう」が、本当に誘っているのか社交辞令なのか。
「できれば今日中に」が、17時までなのか退勤までなのか。
「ちょっと考えておいて」が、
資料を作れという意味なのか、本当に考えるだけでいいのか。
会議で反対意見を言っていい場面なのか、今回は黙って従う場面なのか。
誰もルールブックをくれない。
普通の人は、表情、声色、過去の関係、その場の空気、
周囲の反応を組み合わせて、なんとなく答えを出している。
ASDでは、この「なんとなく」の処理にズレや負荷が生じやすい。
だから社会に出ると急に難易度が上がる。
学校なら時間割がある。先生がいる。宿題の期限も決まっている。
会社には「空気を読んで動け」が大量にある。
そりゃ詰まりやすい。
ADHDは少し違う。「分からない」より「間に合わない」
ADHDをASDと同じ意味で「社会性の障害」と呼ぶのは、医学的には少し乱暴だ。
ADHDの中核症状は不注意、多動性、衝動性であって、
社会的コミュニケーション障害そのものが診断基準の中心ではない。
成人ADHDでは仕事上の問題や人間関係の悪化が生じやすい。
こっちは、「相手の気持ちが分からない」というより、
分かっているのに、その瞬間に適切な行動ができないという事故が多い。
返信しなきゃいけない。分かっている。
三日経つ。
話を遮らないほうがいい。分かっている。
思いついた瞬間に喋る。
締切前に報告したほうがいい。分かっている。
「もう少し自分で何とかしてから」と粘って、期限直前になる。
約束を忘れたら相手が嫌な気持ちになる。
そんなこと本人だって分かっている。それでも忘れる。
ここがきつい。社会は「理解していたか」ではなく、
実際に何をしたかで人間を評価するからだ。
社会では「一回の大失敗」より「小さな違和感の蓄積」が効いてくる
発達障害の人が孤立する過程って、
ドラマみたいな事件が一発起きるとは限らない。むしろ小さい。
挨拶のタイミングがおかしい。
話が少し長い。
冗談を真に受ける。
LINEを返さない。
会話に割り込む。
同じ話を何度もする。
急な予定変更で機嫌が悪くなる。
相談が遅い。
自分の好きな話になると止まらない。
一個一個なら大したことじゃない。
ところが、人間関係ではこれが100回積み上がる。
すると、「なんとなく話しづらい」になる。
さらに、「悪い人じゃないんだけど」になる。
そのうち誘われなくなる。
これが社会性の怖いところなんだよ。
試験なら60点取れば合格と書いてある。
人間関係には採点表がない。
ある日突然、不合格だけ通知される。
本人には「何が悪かったのか」が分からない
ここが発達障害のかなりしんどいところだと思う。
仕事ならまだいい。
Excelを間違えた。締切を破った。数字で分かる。
人間関係は違う。
昨日まで普通に話していた人が、なんとなく冷たくなる。
グループLINEへの反応が減る。
飲み会に呼ばれなくなる。
上司から突然、
「もう少し周囲とのコミュニケーションを意識してください」と言われる。
いや、何をどう直せばいいんだよとなる。
この「理由の分からない失敗」を幼少期から繰り返す。
友達から浮く。
先生から怒られる。
恋愛がうまくいかない。
職場で評価されない。
転職する。
また人間関係で詰まる。
そりゃ、人を避けるようになる人も出てくる。
実際、成人ASDでは孤独が大きな問題として報告されており、
友人関係や社会的支援、周囲からの理解や受容が孤独と関連している。
成人ADHDでも、対人関係の困難やマスキング、
社会から「違う」と感じる経験が報告されている。
「発達障害者に共感性がない」で終わるのも違う
昔はASDについて、「他人の気持ちが分からない人」
みたいな説明がかなりされた。
今はもう少し複雑に考えられている。
いわゆるダブル・エンパシー問題だ。
ASD者だけが定型発達者を理解できないのではなく、定型発達者側もASD者の意図や感情を正確に読み取れない。
つまり、異なるコミュニケーション様式を持つ者同士で、
相互理解が崩れるという考え方だ。
発達障害者だけが一方的に「社会性がない」わけじゃない。
社会そのものが、定型発達者のコミュニケーション方式を標準規格にしている。
だから少数派が不利になる。
外国人が日本の「察してください文化」で事故るのと少し似ている。
説明されていないルールなのに、「普通分かるでしょ」と言われる。
いや、書いてねえだろ、そんなもん。
現実社会では「合わせる力」を要求される
ここで話をきれいに終わらせると危ない。
「社会側にも問題があります」
その通り。だから合理的配慮や環境調整は必要だ。
ただ、会社も恋人も友達も、
こちらの特性に100%合わせて動いてくれるわけじゃない。
会社で、「私はADHDなので返信を忘れます」と言ったところで、
取引先への返信を一週間放置していいことにはならない。
ASDだから、「暗黙の了解が分かりません」と言っても、
同僚を毎日怒らせ続けていいわけでもない。
配慮は社会との接続を助けるものであって、
社会との接続そのものを不要にするものじゃない。
だから自己理解が必要になる。
自分はどこで事故るのか。
曖昧な指示か。
時間管理か。
雑談か。
感情的になったときか。
予定変更か。
報連相か。
人間関係の距離感か。
そこを知って、自分用の補助輪を付ける。
「普通になろう」とする必要はない。
ただし、事故が起きる場所くらいは把握しておいたほうがいい。
発達障害の生きづらさは「能力が低い」だけでは説明できない
発達障害者の中には、知識がある人もいる。
学歴が高い人もいる。
仕事そのものは異様にできる人もいる。
それでも人生が崩れることがある。
なぜか。人生って、能力試験だけじゃないからだ。
会社に入り、人に教わり、相談し、信用され、
仕事を任され、誰かと暮らし、問題が起きたら話し合い、関係を修復する。
人生のかなりの部分が、他人との接続でできている。
そこで何度も摩擦が起きる。
だから発達障害は、単なる「集中力の問題」や「コミュ障」で説明すると
本質を外す。
勉強なら一人で点を取れる。
プログラミングも一人で覚えられる。
資格だって一人で取れる。
それでも、人生は一人では完結しない。
就職も、評価も、昇進も、恋愛も、結婚も、友人関係も、
全部どこかで他人の判断が入る。
発達障害がしんどいのは、能力がないからとは限らない。
能力を社会の中で使い続けるための「接続部分」が壊れやすい。
「社会性の障害」という言葉の重さは、そこにあるんだよ。
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