8月15日に閉じ込められて
【あらすじ】
小学校最後の夏休み。飼育係の当番で学校へ行った僕は、
いじめていた同級生・美月の代わりに現れた兄・月灯と二人きりになる。
彼は僕の過去の悪事を一つずつ暴きながら、飼育小屋に僕を閉じ込めて去ってしまった。
37度を超える真夏の密室で、動物たちの異変、消えない罪の記憶、そして見えない誰かの気配に追い詰められていく僕。
午後3時から5時10分までのわずか2時間。
8月15日に起きた、忘れられない恐怖の物語です。
【14時59分】飼育係の楽しみ
校庭の百葉箱の温度計は、37度を指していた。
僕はうきうきして飼育小屋へ向かった。
これから、美月(みつき)と会えるからだ。
僕たちは飼育係で、今日は当番の日だった。
もちろん、美月と当番になったのは偶然じゃない。
僕が飼育部の部長だから、わざと一緒にしたんだ。
今から5時までの2時間……
僕の人生でいちばん過酷な戦いになる事を、
その時はまだ知らなかった。
【3時00分】待っていたのは兄の方だった
僕は、はやる気持ちを押さえながら、飼育小屋の前まで来た。
南庭の時計塔を見ると、3時00分だった。
飼育小屋の扉をそっと押すと、もう開いていた。
そして、穀物棚の横に影が見えた。
(美月、早めに来たんだな?)
僕は、ニヤッとしてしまった。
「やあ、吉村部長。3時ピッタリだね」
そこにいたのは、美月では無かった。
背の高い、きれいな顔の男の子だった。
「あの、あなたは誰ですか?」
年上に見えたので一応敬語を使う事にした。
「嫌だな、僕の事忘れちゃったの?」
あっ、この顔は確か……
去年、生徒会長をしていた、浅岡月灯(つきひ)だった。
その変な名前を僕は覚えていた。
「月灯さん、今年から中学生でしょ?」
「まだ、小学校に用があるのですか……」
月灯はキャップを被り、軍手もしていた。
「僕?僕は妹の代わりに来たんだ」
そうだ、こいつは美月の兄だった。
「美月さんは、来られないのですか?」
「うんごめんね。妹は7月に怪我をして、それから少し……」
「体調が悪いとかですか?」
「うん」
「39度も熱があるんだよ」
「そうだったんですね」
「だから、僕が代わりに来たんだ」
「……君も、今日は休んだら良かったのに」
変な話だと思った。
中学生の兄が、妹の代わりに来るなんて。
でも、月灯のペースに飲まれてしまい、何も言い返せなかった。
「とにかく、床の掃除から始めようよ」
飼育委員をした事もないのに、月灯は仕事の内容をよく知っていた。
「月灯さん、詳しいんですね?」
「うん、妹からいろいろ聞いているから」
美月は何処まで兄に話したのだろう?
僕は急に怖くなった。
だって僕は、苛めっ子だったから。
美月は兄のお古の服ばかり着ていた。
女子から「男おんな」と呼ばれ、馬鹿にされていた。
もちろん、僕も美月の事を「男おんな」と呼んでいた。
その事が、兄にバレたらまずいことになる。
しかし、月灯の態度や話し方は丁寧で、好意的に見えた。
(考え過ぎかもしれない)
今日、美月を苛められなかったのは、ショックだったが……
しょうがない。
月灯と一緒に飼育委員の仕事を終えて、
とっとと家に帰ろうと思っていた。
その時は。
この飼育小屋は結構大きい。
そして、鶏、尾長鶏、モルモット、うさぎなど。
飼育している動物も多かった。
だから、床に落ちているゴミを拾って、新しい藁を均一に敷くだけで、
汗がぼたぼた垂れた。
一仕事終わって、時計塔を見ると3時15分だった。
「僕たち順調だね、吉村君」
月灯は機嫌が良いのか、鼻歌を歌い出した。
そして、何度も学校の南棟へ視線を向けていた。
彼は、何かを待っているようにも見えた。
【3時15分】何かおかしい
床掃除が終わったら、今度は状態のチェックと数の確認だ。
飼育小屋で動物が病気になる時もあるし、死ぬ時もある。
反対に、新しい生命が誕生することも。
「僕がモルモットとうさぎを数えるから、吉村君は鳥たちを数えてよ」
異存はなかった。
だって、穴に入っている動物を数えるのは手間だから。
鶏は見ればわかった。
弱っている物や、怪我はなし。
そして、今日の大発見。
卵が2個生まれていた。
僕は日誌にその事を書いて、巣箱へ卵を戻した。
その時「ギーギー」という音が聞こえた。
振り返ると、辺り一面に毛が散らばっていて……
さっき敷いた藁もめちゃくちゃになっていた。
月灯が無理やり、地下の巣穴に手を突っ込んで、
モルモットやうさぎを引っ張り出したからだ。
「つ、月灯さん。見れば数えられますよ。出さなくても」
「え~?だって、赤ちゃんうさぎがいるかもしれないよ」
「本当はもっと掘りたいんだけれどな」
「もう、止めましょうよ」
「穴の底には、まだ何か、隠れているかもしれないし……」
さっきの声は、親うさぎ達の鳴き声だった。
両手に2匹の仔ウサギをぶら下げながら、月灯は僕に近づいて来た。
「ねえ、吉村君知っている?」
「何の事ですか?」
「うさぎって、普段泣かないんだけれど……」
「本当に怖い時は”ギーギー”って、泣くんだよ」
「さっきの鳴き声ですか?」
「そう、君そういうの、ぐっと来るタイプでしょ?」
月灯の瞳の色が薄い茶色で、野生動物のように光って見えた。
「な、何のことだよ。知らないよ」
本当はゾクゾクしていたけれど、僕は黙っていた。
月灯は、仔うさぎをその辺に手荒く置くと、
今度はモルモットを引っ張り出した。
「いや、モルモットってすぐに増えるね!」
「この台帳と全然数が合っていないや」
僕は月灯のお陰で、うさぎの声が耳から離れなくなっていた。
あれは2年前の事だった。
「りんご」というハムスターを飼っていた。
その子が亡くなった時、悲しいはずなのに胸の奥が熱くなった。
あの感覚だけは、今でも忘れられない。
怖かったけれど、気持ちも良かった。
おそらく僕は、正常じゃないのだと思う。
誰かを苛めるとスッキリしたり、気分が良くなるのだから。
しかし、モルモットを順番に並べている月灯に比べたら、
自分が可愛い小学生に思える。
月灯は、本物だった。
彼は背中を向けて必死に作業している。
モルモットの数や模様を記録していた。
「あ、そうそう、吉村君は美月の給食費を何に使ったの?」
「うえっ?……」
変な声が出た。
「何のことですか?いきなり」
「君がやったのはもうわかっているから、認めてよ」
「僕はそんなことしていません」
「嘘ついてもダメだよ、証人がいるから」
「いったい誰の事ですか?」
「田中君だよ」
「えっ?」
「もう、全部話してくれたよ」
僕は急に怖くなった。
この人はどこまで知っているのか?
そして、今日、美月の代わりに飼育当番をしたのは何故なのか?
もう家に帰りたかった。
【3時30分】内鍵を閉める
「田中は嘘つきだから……」
僕は必死に言い訳を探した。
「うん、それは知っているよ。そしてあの子、3月末で転校したよね?」
「そうですね」
「お別れの時に、自分から美月にお金を返しに来たんだ」
そんな事があったのか?
「それも2000円だけ」
『残りは「文則に貰ってくれ」と、行っていたけれど……』
「どうなの?本当?」
(美月の給食費を盗んだ件、最後まで隠せと言ったのに)
「僕は何も知らないよ」
「じゃ、何で田中君が転校したのかは知っている?」
もちろん、その事も知らなかった。
「まあ、餌やりを終わらせてからにしよう。おしゃべりは」
そういうと、月灯は飼育小屋の内側から鍵をかけた。
飼育部の決まりだった。
作業中に、動物が外へ逃げないために内鍵を掛けるのは。
でも僕はドキドキしていた。
だって、簡単に外へ出られなくなったから。
内鍵は、棚に置かれていなくて、月灯のポケットに入ってしまったから。
僕は、飼育されている動物の気持ちが何となく分かった。
月灯はスケールを出すと、鳥用の雑穀類と小動物用のペーストを測って、
小さな容器に分けて入れた。
それから、ポリタンクに残っている水を全部水飲み場に入れた。
その姿は、手際が良くて、緻密で、科学者のように見えた。
彼がメンサの会員なのは知っている。それと毒親育ちなのも。
月灯は、餌を全て配ると、くるりと僕の方を向いた。
「田中君ね、どこかの小学校で怪我をしたんだ」
「どこの学校ですか?」
「それは言わなかった。でもこの近くだと思う」
「どうしてそんな目にあったのかな?」
「さあね、盗みでもしたんじゃないかな?」
「そんなはず……」
「理由は隠していたよ。でも、怪我をしたことは本当だよ」
だからあいつ、春休みに連絡しても繋がらなかったんだ。
僕は納得できなかった。
「学校で、大怪我するなんて?」
月灯は薄っすら笑っていた。
「そうだね。物騒な世の中だね」
「物騒って、どういうことですか?」
「最近、飼育小屋の動物が虐待される事件が多いよね?」
その話は、聞いたことがある。
近くの学校で、そういう事が起きていると。
お父さんが言っていた。
「悪い人って、案外近くにいるからね」
僕は、急に心配になった。
(まさか、月灯じゃないよな?まだ中学1年生だし)
目の前の月灯の顔をまじまじと見つめたら……
彼は綺麗な笑顔を返してくれた。
「それで、美月の給食費は何に使ったの?」
まだ話は終わっていなかった。彼はしつこかった。
「本当に、僕は盗んでいません」
「まあいいよ、嘘つくなら。他にも証拠はあるから」
本当に逃げたかった。
僕は、自分がやったことに直視する勇気はない。
弱虫だから。
とにかく、飼育小屋の扉を揺すってみた。
開いたら、逃げ出すつもりだった。月灯から。
でも、小屋は微動だにしなかった。
うちの学校の飼育小屋は、結構立派なタイプだ。
動物が飼育されているスペースは四畳半位。
奥に2畳ぐらいの物置スペースがある。
壁はモルタル造りだが、通気性と生徒との交流のために、
金網部分も多かった。
出入りのドアは東南に一か所だけ。
内鍵も、外鍵も両方使えた。
「何で、揺すっているの?」
「君の体当たりじゃ、この扉は壊れないよ」
「ええっと、もう大体仕事が終わったので、帰ろうと思って」
「えっ?もっとゆっくり話そうよ」
「何か特別に、聞きたい事でもあるのですか?」
「そうだね……ハーモニカの事とか聞きたいかな」
背中がスーッと寒くなった。
(駄目だ、あの話は)
「覚えているでしょ、あのハーモニカ?」
月灯はそういうと、冷えた麦茶を水筒から出して一気飲みした。
初めて気が付いた。
喉が渇いたことを。
そう言えば、さっきから汗が止まらない。
「すみません、水道水を飲んで来てもいいですか?」
「というか、もう帰りたいんです」
「まだ30分しか経ってないよ。」
時計塔を見ると、月灯の言う通りだった。
「それに、学校の水道水なんて不味いよ」
「君がちゃんと話してくれるのなら、麦茶をあげるからさ」
それじゃ、正直に話さないと、麦茶は飲めないのだろうか?
37度の飼育小屋は、息をするたび、熱い空気が喉にまとわりついた。
【3時45分】時計が消えた
月灯は黙って、倉庫の奥から薄い木の板を持って来た。
A2サイズのべニア板で、四方に小さな穴が開いていた。
児童たちに見せる掲示板で、
「エサのあげ方」などの注意が書いてあった。
彼は、板の四隅に針金を通し、ペンチを使って、丁寧に曲げ始めた。
そしてそれを窓枠に取り付けた。
「予想通り、ピッタリな大きさだね」
「何をしているの?」
彼は、自分の作品を見て満足そうに笑った。
「ほらこれで、時計塔が見えなくなったでしょ?」
腕時計も持っていなかったし、飼育室に時計は無かった。
飼育小屋には金網の部分が多くて、見通しは良い。
しかし、校庭の中央に置かれている時計塔は、
ドアの窓からしか見えない、位置にある。
僕はいろいろな金網から外を確かめたが、
木や貯水槽などに邪魔されて、時計塔は見えなかった。
つまり、時間が分からなくなったのだ。
「君は、さっきから時間を気にしていただろう?」
「いいえ、そんなことは……」
「何か用でもあるのかな?時間を忘れてゆっくりしようよ」
そんなこと言われても、時間がわからなくなると、急に不安になる。
ここを出られるまでの時間が永遠に感じられる。
(ペンチを奪って殴ろうか?それとも、奴のポケットから鍵を奪い取ろうか?)
どっちも駄目だ。月灯の方が背が高いし、体格も良い。
喧嘩したら、絶対に負ける。
大声を出しても無駄だ。
周囲には誰もいなかったから。
僕は何回も時計塔があった場所を見た。
もちろん見えない。
見えるのは掲示板だけ
分かっているのに、また見てしまう。
確認するのが癖になっているのだ。
人は時間が分からなくなると、こんなにも落ち着かなくなるのか。
まだ10分しか経っていないのか。それとも一時間なのか?
考えるほど分からなくなった。
でも月灯は、全然焦っていない。
もしかして、僕だけなのか?
僕だけが時間に支配されているのだろうか?
普段なら、大勢の生徒が近くで遊んでいる。
縄跳び、追いかけっこ。
もちろん、飼育小屋に来て動物たちと触れ合う子もいる。
でも、8月15日には誰も来ない。
5時だ。5時になったら用務員の松田さんが来てくれる。
良い子チャイムが鳴ったら、見回りに来るはずだから。
でも、それまで時計を見られないのは辛い。
頭がおかしくなるかもしれない。
それに、喉が渇いているのも確かだ。
すぐに出られると思って、水筒を持って来なかった自分を呪った。
「本当のことをいうから、水を飲ませて」
「もちろんだよ。本当の事を言ったら、この板も外して、君の好きな時計をずっと見ていても良いんだよ」
僕は大きく頷いた。
「それじゃ、ハーモニカの事を詳しく話して」
月灯はポケットからボイスレコーダーを取り出した。
予め、彼はすべて用意してきたようだ。
僕は諦めて、本当の事を話しだした。
「僕のクラスに、高梨エリカというお嬢様がいて。エリカは学校へ高級品ばかり持ってくる」
「あ、知っているよ、その女の子。いつもレースの服を着ていたよね?」
僕はうなづいた。
エリカの事は、一学年上の月灯も知っていたのだろう。
「エリカは、自分のハーモニカが高級品で良い音がすると自慢していた」
「そういう子っているよね?美月は質素だけれどね」
美月の名前が出て来て、僕はやっと理解した。
そうだ、月灯は美月の兄だから――
きっとこれは僕への仕返しなんだ。
(今頃になって、分かるなんてもう遅いけれど)
「ある日、田中がそのハーモニカを盗んで持って来たんだ」
「うん、いいね、それで?」
月灯はニコニコしていて、機嫌が良さそうだった。
「お昼休みに、僕が、用水路にハーモニカを捨てたんだよ」
約束通り、月灯は麦茶をコップに入れて差し出した。
僕が本当の事を話したからだろう。
貴重な麦茶を、僕はゴクゴクと飲み干した。
その途端に汗が噴き出した。
「汗、すごいね」
「手も震えてる」
「あと少しだね」
(何があと少し何だろう?)
「それからどうしたの?」
『5時間目、音楽の時間に「ハーモニカが無い」と、エリカが騒ぎ出したんだ』
「もちろん、君達はそれを予想していたんだよね?」
「まあね。クラス全員で探したけれど、見つからなかった」
「君が水路に捨てたからね、あるわけ無いよな?」
「そうだよ。それから田中が、先生へチクったんだ」
「何て?」
「美月さんがハーモニカを吹いていたと……」
「それで、あの子は泥棒にされたんだね?」
「……」
「返事は?」
「すみませんでした」
僕は感情が、ぐじゃぐやになって泣き出していた。
でも月灯は許してくれない。
「まだ続きがあるんじゃない?君達なら」
「そ、それから、職員室の横の印刷室で待っていたんだ」
「誰を?」
「あの……」
「誰を待っていたの?」
「美月さんのお母さんが来るのを待っていました」
あの時、担任の先生が、美月のお母さんを呼び出したんだ。
「ああ、あの蛇女か?」
(自分の母親だろう?)
「それから、あいつはどうしたんだ?」
「美月さんの襟首を捕まえて、昇降口へ引っ張って行きました」
「やりかねないね」
「それから?」
「田中と二人で家に帰りました」
「それだけ?」
「本当の事を話さないと、麦茶をあげないよ」
僕は喉が引っ付いていたけれど何とか声を出した。
「えっと、田中と笑って帰りました」
「何を?」
「今夜、お母さんに怒られるだろうな――そう言いました」
月灯はもう一杯、麦茶を飲ませてくれた。
僕のこめかみから急に汗が流れた。
「今日は、37度だと言っていたけれど、この飼育室はもっと暑いね」
「あと1時間ちょっとか?」
「何のことですか?」
「いや、独り言だよ」
僕は急に、心配になった。
月灯が何もしなくても脱水症になるかも知れないのだ。
(どうしよう?)
空気が熱かった。
息を吸うたびに喉の奥が焼ける。
汗は目の中へ入り、
何度拭いてもすぐ流れてくる。
床にしゃがむと、藁まで熱を持っていた。
風は一度も吹かない。
鳥の羽根だけが揺れる。
頭がぼうっとする。
さっき月灯が言った。
「熱中症は急に来る。」
あれは脅しじゃない。
本当かもしれない。
急に足元がふらついた。
(まだ大丈夫。)
そう思って立とうとしたら、
視界が少し白くなった。
さらに月灯は、恐ろしい事を言い出した。
「あのね、その夜、美月に何が起きたのか想像できる?」
「わ、分かりません。お母さんが怒ったのかな?」
「君は、一生知らない方が良いよ」
「どういう事ですか?」
「美月がどんな事をされたのか、君が知ったら眠れなくなるよ」
「あの女はさ、クレイジーだから」
月灯の話が終わると……
さっきまで暴れていたうさぎが、急に静かになった。
鳥も鳴かない。
モルモットも動かない。
変だ。
さっきまで、あれほど騒がしかったのに。
飼育小屋が、急に静まり返った。
静か過ぎる。
動物たちが、みんな同じ方向を見ている。
南棟だった。
僕もつられて見たが、板が張ってあったからなにも見えなかった。
そして、鳥だけは羽を膨らませ、じっと動かなかった。
「何で急に、静かになったのかな?」
僕の問いかけに、月灯は動物を見たまま答えた。
「動物って、人間より先に気付くんだよ。」
「何に?」
「……」
その時、市民音頭が流れた。
「これは4時に流れる曲だ!」
僕は大きな声を出して言った。
「良かったね、吉村君。時間が分かって」
【4時00分】逃げられない
月灯はボイスレコーダーを切るとポケットに入れた。
僕の告白が録音できたから、もう終わりかも知れない。
先生や親から、怒られても良い。
とにかくここから出たかった。
彼は変な事を始めた。
さっき掘っていたうさぎの巣をもっと深く掘り起こしていた。
親達は、餌を食べるのに夢中で気づいていなかった。
「キューキュー」
か細い鳴き声が聞こえて来た。
「ね、僕のいう通りだろう?こういう動物は良く増えるんだよ」
月灯が持っているのは、まだ生まれたばかりの小さなうさぎだった。
さっきの仔うさぎの妹分だろう。
「やめた方が良いよ、親うさぎの気が荒くなるから」
「吉村君、母性愛が暴走するところ、見たくないの?」
月灯はもう完全に笑っていた。
楽しくて仕方がないようだった。
そして、2匹の赤ちゃんうさぎを僕に渡すと、軍手を投げ捨てた。
「暑くて、はめていられないよ」
さらに、内鍵を外して外へ出て行ったのだ。
あの時、本当にほっとしたのを覚えている。
(やっと終わった)
しかし、僕の幸せは5秒しか続かなかった。
外に出た月灯は、飼育小屋の扉の前に立って、何かしようとしていた。
ガチャン。
金属の音がした。
「え、何しているの?」
いや、違う。そんな事をするはずない。
でも、外側から鍵穴に何か差し込んでいる。
カチャリ。
僕は扉へ駆け寄った
「開けてよ。」
ドアノブを回す。
動かない。
もう一度回す。
やっぱり開かない。
その瞬間だった。
(外鍵をかけられた!?)
「月灯さん、いったいどういう事?」
「吉村君は、ちょっと人としての情が薄いタイプだからさ」
「いや、僕は意外と情に厚い人間だよ」
まったくの嘘だったが、言ってみた。
「親子の愛とか、悔しい思いとか、感じた方が良いよ」
それだけ言うと、彼は背を向けた。
そして、外鍵を近くの草むらにポンと投げたのだ。
彼は、スキップしていた。本当に。
しかし、数歩歩くと急に振り向いた。
「あっ、水筒の麦茶は全部飲んでも良いよ。倒れちゃうからね」
「僕って本当に優しいな~」
「月灯さん、月灯さん、ちょっと待って」
「ねえ、帰ってきてくれよ」
「こんなの反則だろ!」
「馬鹿野郎~」
でも彼は、今度は振り返らずに、西門の方へ歩いて行った。
そして門をくぐって、どこかへ消えてしまった。
完全に閉じ込められた。
鍵は外だし、どうすれば?
その間、自分が2匹の赤ちゃんうさぎを持っている事を忘れていた。
だから、次に起きた激痛が理解できなかったのだ。
「痛て~~~」
誰もいない校庭に向かって、僕は大きな声を挙げていた。
本当に痛かったし、噛み傷から血も流れ始めた。
噛んだのは茶色の親うさぎだった。
(もう十分だ、終わりにしてくれ)
しかし、うさぎ達は許してくれない。
他のウサギも僕の近くに集まって来た。
僕は、彼女達を怒らせないように、……
赤ちゃんうさぎを小屋の一番奥に置いて、急いで戻って来た。
そして、月灯が使っていたペンチを探すと、目かくしに貼られていたべニア板を何とか外した。
目隠しが外れると、ようやく時計塔が見えた。
今、4時08分だった。
ほっとした。
これからは、時間に怯えなくても良い。
あと52分。
口に出して数えてみた。
52分なんて、普段ならテレビを一本見たら終わる時間だ。
でも、この飼育小屋では1日より長く感じる。
僕はうさぎ達が近づかない様に、木の板をブンブン振りまわした。
あっという間に、奴らは遠くへ逃げた。
蜘蛛の子を散らすとは、このことだった。
そして、板を握り締めたまま、水筒に口を付けた。
1.5リットルの水筒に麦茶が半分ぐらい入っていた。
(これで足りるだろう)
もし足りなかったら、水飲み場の水でも何でも飲むつもりだった。
本当は麦茶で足の傷を洗って、ハンカチで縛りたかったのだが、
水は貴重だから、諦めることにした。
でもそれが過ちだと、直ぐ知ることになる。
うさぎなんて、まだ可愛い方だった。
【4時15分】体当たり
僕は入り口のドアの前に陣取って、時計台を見ていた。
時間は4時15分だった。
あんなに恐れていた月灯はもういない。
でもそれが、反対に怖かった。
この広い学校に、誰もいないのが怖かったのだ。
野球の練習をしている子もいない。
牛乳屋さんの車も止まっていない。
遠くで国旗だけが、だらりと垂れていた。
(いや、もしかしたら誰かいるかも知れない?)
そうだ、職員室には当直の先生が来ているはずだ。
その事を僕は思い出した。
でも…
残念なことに、職員室は南の端。
北西にある飼育小屋からは一番遠い。
僕の声は聞こえないし、絶対に来てくれないだろう。
そうだ、あの人なら?
僕は金網にしがみ付くと大声を上げた。
「石川さん、石川さん、助けて~」
「助けて~飼育小屋に閉じ込められたんだ」
「石川さん~」
全身の力を込めて声を出したから、
息が苦しくなって、頭がしびれてきた。
何回も叫んだが無駄だった。
石川さんは職員室や図書室がある、南棟にいるのかも知れない。
もしかしたら耳が遠いのかも知れない。
それでも僕は簡単にあきらめなかった。
次に考えたのは、小屋の破壊だ。
鍵が開かないのなら、小屋を壊しても良いだろう。
何とか、この小屋を壊せないだろうか?
まず、モルタルの壁の部分は無理だ。
体当たりしたけれど、びくともしない。
やるなら、金網を切るしかない。
入り口のドアには窓が付いているが、
金網が張られている。
(これを切れば、なんとかなるかも知れない)
僕はペンチで金網の部分を切ろうとした。
でも、全然歯が立たない。
まず、金網が固いから、小さなペンチではダメだった。
もっと大型の工具が必要だ。
僕は工具箱を引っ張り出して、中身をぶちまけた。
ネジやボルト、錆びた蝶番に、数本の針金。
小さなドライバーを1本見つけたが、
使えそうなものは、それだけだった。
もちろん、モンキースパナも鋸も。
金網を切るメッシュカッターも無かった。
しょうがないから、小さなペンチで他の部分の金網を切ろうとしたが、
切れるわけが無い。
おそらく、この金網は特別丈夫なのだろう。
じゃ、もう一度体当たりだ。
僕は反動を付けて何回も金網にぶつかった。
その度に網は揺れる。
でもそれだけだった。
決して、ドアが緩んだり、鍵が取れたり、金網が避けることはなかった。
そんな、やわな造りじゃないんだ。
万策尽きて、僕は頭を抱えた。
叫んでもダメ、体当たりしてもダメ。
5時までここにいるしかないのだろうか?
「本当に5時になったら出られるよな?」
自分に聞いてみた。
返事をしたのも自分だった。
「出られるよ」
「石川さんが来る」
「だから大丈夫」
声に出して言うと、本当に誰かが返事をしたように聞こえた。
急に寒気がした。
独り言を言ってしまったから?
でも、自分の声を聞いて安心できたのは本当だった。
僕は、麦茶をもう一杯飲みほした。
すぐに、喉がカラカラになる。
そして、ぼうっとした頭で考えていた。
(僕、少しおかしくなったのかな?)
独りごとを言っている人を見かけた時。
お母さんは、
「おかしな人だから、見ちゃいけない」
そう、言っていた。
とうとう、狂ったのかな?
もう1人の僕に聞いてみたが、答えてくれなかった。
その後、しばらく静かだったが……
数分すると、餌箱の奥から、何か音が聞こえた。
「コッ」
「コッツ、コ~」
(何が起きたんだ?)
鳥たちが、興奮し始めた。
「コッツ、コケ」
「コケコケコケ~」
尾長鶏だった。
この飼育小屋には3匹の尾長鶏達がいる。
奴らは、今まで大人しかったのに何で急に?
騒ぎ出した意味が分からなかった。
僕が、大声を出したから?
小屋を揺らしたから?
その時、一羽だけ僕から目を離さない尾長鶏がいた。
次の瞬間だった。
そいつが長い羽根をばたつかせると、
空を飛んで上から攻撃して来たのだ。
僕はとっさに頭に板を載せて防御した。
間近で見ると、奴の体は大きい。
尻尾迄だと、1メートル近い。
尖ったくちばしも、曲がった爪も武器になる。
でも僕は、ビー玉みたいな光った目が一番怖かった。
「痛いいいい~~」
思わす大声が出ていた。
頭上に気を取られている間に、別の尾長鶏に突かれたのだ。
さっき、うさぎに噛まれた所を。
そしてもう一匹が、僕の背中や肩を突いた。
深い傷は出来ないが、正直痛い。
「だめ、やめろ~」
唯一の武器の板を振り回したが、余り効果がない。
奴らは飛んで逃げるから。
血の匂いに興奮しているのかも知れない。
僕が大声を出したから驚いたのかも知れない。
分からないけれど、いま尾長鶏たちは怒っていた。
(とにかく、奴らを遠ざけないと……)
餌だ、餌を使おう。
トウモロコシの粒を握ると、奥の方へバラまいた。
一斉に、鳥たちが餌に群がる。
尾長鶏、普通の鶏、そしてチャボたちも。
しかし、一羽だけ餌を食べずに、僕を見ていた。
キラキラした黄色い瞳で、
まるで僕が動くのを待っているかのようだった。
(油断したらやられる)
その間に、噛まれた足をハンカチで縛り、
板を頭の上に置いて防御に入った。
そのまま僕は座り込んだ。
息が荒い。
心臓がドクドク脈打つ。
時計を見る。
まだ4時15分。
「まだ?」
思わず声が漏れた。
15分しか進んでいない。
時間まで、僕をいじめているみたいだった。
知らない間にまた泣いていた。
何をやっても上手くいかない。
本当に飼育小屋から出られるのだろうか?
【4時30分】美月との再会
万策尽きて、入り口のドアの近くに座っていると……
また、奥の方が騒がしくなった。
もう、トウモロコシが無くなったのだろう。
「コケ、コケコケッコー」
餌を奪い合う、鳥たちの声。
それと、うさぎ達もうるさい。
子うさぎを巣穴に戻そうと、ガサゴソしていた。
たまに「ギーギー」と鳴くうさぎもいる。
飼育小屋の奥には、餌やグッズを収納する大きな棚があった。
どうも、棚の奥が変だった。
時々、影がゆれるのだ。
奥に何かいる?
だから、動物たちは騒がしいのかもしれない。
まさか、そんな訳ない。
余りの事に、僕は漏らしそうになった。
ちっとも、水分は溜まっていなかったのに。
でも、この小屋には月灯と僕しかいなかった。
後から入って来た人もいない。
だから、誰かいるはずがなかった。
人じゃないのか?
いや待てよ、初めから隠れていたのかもしれない。
僕が苦しむのを見ていたのかもしれない。
そして一瞬、棚の奥の影がハッキリと動いた。
「美月、いるのか?」
馬鹿みたいだけれど、僕は声に出してみた。
いるとしたら、彼女しか考えられなかった。
「……」
何も返答はない。
でも、かすかな揺らぎは感じた。
(絶対に、あの陰にいる)
そう思って僕は立ち上がった。
もう、尾長鶏が怖くなかった。
とにかく、美月と話を付けないと。
「こっちにこないで」
美月は大きな声を出した。
(やはり、隠れていたんだな?)
「いいからそこに座って、こっちに来たら何も話さないわよ」
僕は、その場にもう一度座った。
正直、安心して笑い出しそうだった。
僕は一人じゃない。
美月と一緒なら、ここに閉じ込められていることも我慢できる。
それに、彼女はきっと鍵を持っているだろう。
「美月、隠れていないで、出て来いよ」
「嫌よ」
「何で?」
「怖いから……」
「もう、何もしないから」
「今日だけでしょ?」
「違うよ。反省したんだ」
「信じないわ。吉村君の事は」
「ごめん」
「何が?」
「虐めたこと……」
「どんな風に?」
「……」
「ちゃんと言って」
「もうしない」
「悪い事をした人は、同じことを言うわ」
「閉じ込められるのって、こんなに苦しいんだな」
「それは分かったよ」
「私は、あの時暗かった」
「え?」
「息ができなかったし、誰も来なかった」
「……」
「何で黙っているの」
「先月の仕返しか?」
「そうよ」
一学期の終業日、僕は美月を理科準備室のトイレに閉じ込めたのだ。
といっても、トイレのドアにデッキブラシを立てて置いただけ。
それが邪魔して内側から、扉は開かなくなった。
でも美月は泣かない。
だから、あいつが悪い。
普通の子は、直ぐに泣き出す。
僕も、直ぐに出してやる。これで終わり。
いつまでも泣かないから、僕は怒ってそのまま家に帰った。
(どうせ、石川さんが出してくれるさ)
「全部、美月のせいだ」
「そうやって、いつも人のせいにするのね……」
「すぐに泣けば良かったのに。可愛くないんだよ」
「泣けなかった。意識が飛んじゃったから」
「どういう事だ?」
「うん、ずっと母さんにやられてたから」
ごくん、口の中がカラカラなのに、俺はつばを飲み込んでいた。
「失神していたのか?」
「わからないわ」
「気づいたら石川さんが家まで連れて行ってくれたから」
「まさか?倒れたなんて話、聞いていないぞ」
「私の話なんて、誰も信じてくれない」
「ただ、貧血を起こしたことになっていた」
「そ、そんな――」
あの悪戯が、大事になっていたなんて……
「大丈夫よ、吉村君のこと、誰も疑わないから」
「でも、月灯に話したんだろ?」
「うん、逃げる時に怪我しちゃったから」
「それから熱が下がらなくて、うわごとで話したのかも」
「わかった、わかったよ」
美月との会話で、今までの悪行が蘇る。
ただの遊びだった。
退屈しのぎ。憂さ晴らし。
相手が傷つくなんて考えたこともなかった。
自分が苦しんで、ほんの少しだけ分かった。
「辛い事だとは、分かったよ」
「まだ、分かっていないわ、これからよ」
「ごめん」
僕はもう一度、あやまった。
「美月、鍵、持ってるんだろ?」
「持ってない」
「嘘だね」
「兄さんが持ってるわ。飼育小屋のカギは一つしかないもの」
そうだ、一つだけだ。
あとは、用務員さんのスペアーキーしかない。
(じゃ、月灯は妹を置きざりにしたのか?)
しかし、美月は何も答えない。
急に静かになったのだ。
僕は、少しずつ奥へ向かった。
彼女に気付かれないように。
そして、小さな声で彼女を説得した。
「ハーモニカの件、月灯に告白したよ。全部」
「……」
「本当にごめん、濡れ衣を着せちゃって」
「でもあれは、田中が悪いんだ」
「……」
「僕は先生にちゃんと謝るよ。エリカにも、君のお母さんにも」
「ちゃんと謝るから」
最後には小走りになって、僕は棚の奥へ駆け込んだ。
でも、そこには誰も居なかった。
棚の後ろには、肥料の袋が積まれていただけだ。
「美月、隠れているのか?」
僕は棚の裏をのぞいてみた。
暗闇しかない。
もしかして、袋の下か?
肥料袋をどける。
埃が舞っただけだった。
最後にバケツを持ち上げてみた。
やっぱり、何もない。
バケツに入っていた青い帽子が落ちただけ。
「肥料袋の上にバケツが被せてあったから、人影に見えたんだよ」
別の僕が静かに教えてくれた。
それを、泣きながら否定した。
「ぜったいに違う!」
あの声は、僕の頭の中なんかじゃなかった。
「美月~」
「美月、何処に隠れている?」
大声を出したが、もちろん返事はない。
その時、うさぎがまた「ギー」と鳴いた。
この飼育小屋に僕は一人だった。
【4時45分】最後の挑戦
あれは本当に幻聴だったのか?
今自分に起きた事が、分からなかった。
(でも、あれは美月の声だった)
お母さんがいう通り、僕は狂ったのかもしれない。
独りで考えていても答えは出ない。
まだ麦茶は残っている。
僕は自分に「大丈夫だ」と言い聞かせた。
「でも、5時になっても用務員さんが来なかったら、どうするのさ」
別の僕が、聞いてくる。
また、不安になった。
そして、暗くなったら終わりだと思ったのだ。
その時、西側から光が差し込んで来た。
小さな窓があったのだ。
肥料置き場の影にあるから、今まで気づかなかったけれど、
トイレなんかにある、小さなサイズの窓だ。
僕は窓まで走った。
やはり……
窓の内側にちゃんと金網が張ってある。
「金網は切れない」
でも、よく見ると、玄関ドアの窓とは違っていた。
枠そのものを外せるかもしれない。
小さな希望が芽生えた。
確か、ドライバーがあったはずだ。
「あった、あったぞ」
でもそれは、少し小さめのサイズ。
スケールの電池を交換する時に使うやつだ。
(これで、出来るかな?)
昔、父さんが窓枠を交換するのを見たことがある。
ネジを外したら、簡単に取れたのだ。
だから小さなドライバーで挑戦するしかなかった。
しかし、今回の作戦もダメだった。
全てのネジ穴にボンドが塗られていて、
取り外しができないようになっていたから。
防犯のために、石川さんが工夫したのかも知れない。
でも僕は諦めない。
窓を割ることにした。
ここは、西門に近い。
窓を割ったら、大きな音がするし、
誰かが見つけてくれるかもしれないからだ。
しかし、単なるガラスじゃない、厚い曇りガラスだった。
僕は力いっぱい、木の板で窓を叩いてみたが、
駄目だった。
金網が邪魔してガラスに届かないのだ。
もっとかたくて重い物が必要だ。
次は、肥料が入っている一斗缶を思いっきり窓に投げつけた。
パリン――
小さな音がして、ひびが入った。
そこをペンチの柄で叩くと、やっと窓が少し割れた。
それは、僕の初めての成功だった。
そして、割れた窓から外を覗くと……
何かがきらりと光っていた。
一メートル先の草むらにそれは落ちていた。
さっき、月灯が帰る時に投げた、飼育小屋のカギだった。
「ありがとう、月灯。遠くへ飛ばさなかったんだな」
僕は、もう普通に独り言をいっていた。
口に出さないと、
誰かに聞いてもらわないと、
心が折れそうだった。
「そうだよ、あれを取ればいいんだ」
でもどうやって?
部屋の隅に立てかけてあった1本の笹。
この前、七夕祭りの時に飾ったものだ。
次の廃品回収で出すつもりで、ここに置いてあった。
僕は必死になって、全ての葉と短冊をむしった。
それは、細い、1m50㎝ぐらいの棒になった。
棒の先に針金を結ぶと、簡単な釣り竿になる。
それから、窓の下に肥料の袋を置いた。
そしてその上に乗ると、慎重に竿を外に出した。
距離は十分だった。
しかし、なかなか針が鍵に引っかからない。
草むらに落ちたから、鍵がよく見えないのだ。
でも、何回か挑戦していたら……
「カチッ」
当たりの音がした。
鍵のリングに針が引っかかったようだ。
僕の全身に鳥肌が立った。
「僕は、まだやれる」
そう、自分に言いきかせた。
そして慎重に棒を引いた。
「カチッ」
二度目の音がして、鍵は飼育小屋の目の前の空き地に落ちてしまった。
細い枝がしなったのだろう。
「チクショー」
あと一息の所だったのに……
でも、まだチャンスはある。
鍵はもう目の前に落ちているのだから。
ここは、西日が射しこみ、すごく暑い。
僕はいったん、顔と手の汗を拭って、もう一度挑戦することにした。
今度は簡単に鍵をひっかけることに成功した。
「いいいぞ、あと一息だ」
しかし、不思議な事に竿が軽くなったのだ。
鍵はちゃんと引っかかっている。でもその重みが無い。
もっとよく見ようと、額を金網に擦り付けると……
いきなり黒い羽根がバサバサと動いた。
カラスだった。
驚いて、しりもちをついたけれど。
棒だけは、離さなかった。
命の綱だからだ。
その途端、急に力が加わった。
カラスが棒を加えて引っ張っている。
頭の良い動物だから、何かの遊びだと思っているのかも知れない。
僕は床に散らばっているトウモロコシの粒を握って外へ撒いた。
カラスが、餌に夢中に合っている間に鍵を釣るつもりだ。
でも、脂っこいものが好きなカラスはあまり興味を示さない。
「カア~」
首をかしげていた。
今だ!
竿を強く引っ張った。
でも鍵は付いていなかった。
カラスは鍵ではなく、棒の先をくちばしでつついていた。
でもその振動で鍵が外れたのだろう。
外を見ると、ピョンピョン、飛び跳ねているカラスの爪に鍵は付いていた。
彼は少し迷惑そうに舞い上がると、飛びたった。
そして、カラスの姿は、西日の中へ小さく消えていった。
鍵も、一緒に。
僕はまた泣いた。
もう、何度目だろう?
助かる方法が思いつかなかった。
【5時00分】チャイムは鳴ったけれど
カンキンコンキ~ン・キンコンカンコ~ン
学校のチャイムが、鳴り始めた。
時計塔を見ると、丁度5時だった。
「終わったよ、やっと」
「助かった、本当に」
僕は、神様に感謝していた。
どんなに辛い事にも終わりは来る。
5時02分
チャイムが鳴り終わった。
校庭は静かだった。
風も吹かない。
尾長鶏も鳴かない。
時計の針だけが動いていた。
しかし、何ごとも起こらない。
じっと待って、時計塔をもう一度見ると……
5時06分だった。
石川さんは?
事故?
忘れた?
助かったと思ったのに……
黒いシミが心の中に広がった。
「お母さん」
その時急に、黒い物体が視界に入って来た。
動物じゃない、ゴミじゃない、もっと小さくて動くもの。
そう何かの虫だ。
夕方になったから金網から入って来たのだろう。
「ブ~ン、ブ~ン」
ハエより大きな塊。
昔、ハイキングの時刺された事がある。
アブだった。
アブは僕の足を狙ってくる。
きっと血の匂いがするのだろう。
何で、半ズボンで来ちゃったのだろう?
いや、それを言えば、何で飼育小屋に来たのだろう?
僕は部長だし、ずる休みをすれば良かった。
そうすれば、月灯が1人で動物たちの世話をして帰ったはずだ。
何も問題が起きなかったのに。
彼に復讐されなかったのに……
誰もいない学校で、美月を苛めてやろうと思ったのが、間違いだった。
その事だけは、もう分かっていた。
因果応報だった。
僕は、またチャンスがあれば苛めを繰り返すかもしれない。
それが、僕だから……
でも、2度とこんな目に遭いたくないと思っていた。
アブは1匹じゃない、何匹も飛んで来た。
そして僕の足の周りをグルグル回っている。
時計塔を見ると5時08分だった。
永遠に、石川さんが来ないような気持になっていた。
夏休みかも知れない。
そうだ、今日はお盆休みの日だから。
全てを諦めたら、いろいろな人が出て来た。
初めに出て来たのは、もちろん月灯だった。
僕を閉じこめた張本人。
ポケットに手を突っ込んで、彼は楽しそうにスキップしていた。
そして、一回振り返るとピンク色の舌を出した。
その鮮やかな色がいつまでも残っていた。
月灯が消えると、こんどは田中蒼穹(そら)が出て来た。
僕の相棒というか、苛めの仲間だ。
3月に転校しちゃったけれど、それまでは一緒に悪い事をした。
蒼穹の顔が変だった。
「おまえどうしたんだよ?」
「うん、殴られて…」
「誰に?」
「よく分からないんだ」
「何で転校したんだ?」
「父ちゃんが、ここは危ないと言うから」
もっと話したかったが、蒼穹は消えてしまった。
何か僕に伝えたかったのかも知れない。
次に出て来たのは、後ろ姿の子達だ。
もう顔も忘れた子。
何も言わないけれど、彼らの背が丸くて、
覇気がないのは分かった。
「お前たち、病気なのか?」
僕の問いかけに、顔のない子が振り返った。
「生きる元気が無くなったんだ」
「君は覚えていないだろう?」
皆一斉に、ひそひそ話し出した。
それは全部僕の悪口だった。
僕は耳を塞いで、首を振ったが、心の声は消えなかった。
「俺だけじゃない、田中もやったんだ」
時計を見たら5時10分だった。
チャイムが鳴ってからまだ10分しか経っていなかったが、
永遠に感じられた。
足は3か所、アブに噛まれていたがそれも気づかなかった。
ガチャン!
扉が開いた。
【5時10分】扉は開いた。
懐中電灯が眩しく光っていた。
まだ外は明るいのに。
次に、作業服と帽子が見えた。
(良かった、石川さんが巡回に来てくれたんだ)
しかし、顔をよく見ると知らない人だった。
「僕、何年生?もしかして飼育係なの?」
「もうね、チャイムが鳴ったから早く帰らないと……」
「あの、あの僕――」
気が付いたら僕は用務員室に寝かされていた。
用務員室は涼しかった。古い扇風機が首を振り、薬品の匂いが漂っている。さっきまでの飼育小屋と比べると天国のように感じた。
でも、どうしてだろう。余り馴染めなかった。
(石川さんじゃないから?)
「今日はね、養護の先生もお休みだからね」
「あの僕はいったい?」
「何があったのか知らないけれど、気を失ったんだよ」
「そうですか。僕、僕……」
だめだ、胸がいっぱいで言葉にならない。
ただ、大粒の涙が流れるだけだった。
「吉村文則君でしょ?」
「どうして僕の名前を知っているんですか?」
去年から名札は廃止になっている。
「飼育日誌を見たからだよ」
「あ、そうですか」
きっと、月灯が書いたのだろう。
「吉村君、落ち着いて、ご家庭には連絡してあるから」
「ありがとうございます」
「あと、30分ぐらいでお母さんがお迎えに来るって」
「お母さん……」
「それまでに、傷の手当をしようか?怪我しているみたいだし」
「すみません。あの、石川さんはどうしたのですか?」
「あ、石川さんはお盆休みなんだ。私は彼の交代要員だよ」
「そうなんですね」
僕は急にほっとした。
見知らぬ男の人の正体が分かったからだ。
大丈夫、この人は石川さんの同僚だ。
「遠藤と言います」
遠藤さんは胸に掛けてあるネームタグを見せてくれた。
60代の背の高い人で、学校の先生タイプだった。
「さ、この椅子に座って、先ずは消毒しないと」
彼は手際よくハンカチを取って、脱脂綿で傷口を拭ってくれた。
固まった血が、いっぱい付いていた。
「これはいったい何の傷?」
「うさぎに噛みつかれたんです」
「そうか、飼育係も大変なお仕事だね」
「はい……」
僕はまだ、月灯の事をどこまで言おうか、決めかねていた。
彼が、ボイスレコーダーを持っていたからだ。
(僕が黙っていれば、月灯も許してくれるかもしれない)
遠藤さんは大きな救急箱から消毒液を出すと、僕の傷に吹きかけた。
「遠藤さん、いろいろ揃っているのですね」
「そうね、子供って怪我をするから、手当のグッズは持っているよ」
彼は穏やかに笑った。
それから遠藤さんは、子どもをあやすように僕の頭を軽くなでてくれた。
話し方や態度も丁寧だったし、遠藤さんは優しい人に見えた。
「あっ、そうだ。これを飲むといいよ」
遠藤さんは瓶のコーラを開けて、コップに注いでくれた。
泡がシュワーと広がり、リコリスの香りが鼻をつく。
僕は、彼の手からコップを奪い取り、一気に飲み干した。
「ゴクッ、ゴック」
今までで一番おいしいコーラだった。
「今日は暑かったから、喉が渇いたんだね。可哀そうに」
そういうと……
僕の足に包帯を巻いてくれた。
「あのね、明日ちゃんと外科に行った方が良いよ。細菌に感染しているかも知れないから」
もちろんそのつもりだった。
ウサギに噛まれた痕はまだ痛いし、お母さんと病院へ行こうと思う。
遠藤さんは、空になったコップを静かに流し台へ運んだ。
そして丁寧に洗い、水滴まで布巾で拭き取った。
几帳面な人のようだ。
ピン・ポン
遠藤さんの机の上の時計が小さく鳴った。
5時30分だった。
【5時30分】恐怖の前触れ
「吉村君は幸せだよ」
「どうしてですか?」
「だって、明日お母さんと病院へ行くのでしょう?」
「そうだけれど……」
「僕の知っている子でね、熱が出ても病院へ行けなかった子がいるんだ。
それも高熱だよ」
「どうしてですか?」
「悪いお母さんだったんだよ」
「怪我したのは自分の責任だと言っていたから」
「それで、病院へ行かなかったのですか?」
遠藤さんは、大きく頷いた。
僕は急に美月の事を思い出した。
美月をトイレに閉じ込めた時に、
あの子は、扉の上から飛び降りて、怪我をした。
それも、大きな怪我。
でも、いくら、クレージーなお母さんでも病院へ連れて行くだろう。
月灯は、こう言っていた。
「妹は7月に怪我をして、今日も、高熱なんだよ」
だから、月灯が代わりに来たと言っていた。
「遠藤さん、その子の名前を覚えていますか?」
「もちろんだよ」
「僕に教えてくれますか?」
「それは言えないよ。プライバシーの事、小学生でも分かるよね?」
「はい、先生に習いました」
「それにね、知らない方が良い事も、世の中にはあるんだよ」
遠藤さんが教えてくれないから、僕はもう諦めた。
9月になる前に、月灯に会いに行こう。
その時に、美月の体調を聞けば良いのだから。
まだその時は、氷山の一角の小さな氷しか見えていなかった。
その下にとてつもなく大きな塊が潜んでいるとは……
だから、のんびりとそんなことを考えていたのだ。
「遠藤さんはいろいろな学校へ行くのですか?」
「そうだね、僕は臨時の仕事が多いから」
「小学生の友達もいますか?」
「うん、お話ししたりゲームしたり、仲の良い子はたくさんいるよ」
木工が好きな石川さんとはまた違うタイプに見える。
「あの、去年6年だった浅岡月灯君って知っていますか?」
遠藤さんの頬が少し引きつったような気がしたが、顔色は変わらなかった。
「知っているよ、友達だから」
(やはり、知っていたんだな?)
「どうやって友達になったのですか?」
「だって、彼は生徒会長だったから……」
「遠藤さんと話す機会が多かったのですか?」
『うん、そうだね。「逆上がりの時の練習機が欲しい」と、言いに来てね」
「それからよく話すようになったんだ」
一見真面目で品行方正風に見える、彼らしかった。
「それで、練習機を作ったのですか?」
「うん、そうだよ。今、1年生が使っているよ」
「そうだったんですね……」
ここまでは怪しい事は何もなかった。
生徒会長と用務員さんとの関係は普通に見えた。
しかし、遠藤さんが変な事を言い出したのだ。
あれは、ちょうど1年前だよ。
あの時も石川さんが長く休んで、僕が代行として呼ばれたんだ。
(そんな事があったんだ?)
「月灯君は推理小説が好きでね――」
何か嫌な予感がしtが。
聞いちゃいけないような。
でも、遠藤さんは続ける。
「月灯君は、完全犯罪に興味を持っていたよ」
「え、遠藤さんも興味があるのですか?」
彼は、口もとをちょっと歪めて笑った。
「死体が出ないと警察は動かないのを知っている?」
「はあ?」
「つまりね、死体が見つからないと犯罪にならないんだよ」
「完全犯罪になるのですね?」
「……」
遠藤さんは何も答えなかった。
「でも、日本の警察は優秀だから、捕まっちゃいますよ」
僕は遠藤さんに抵抗してみた。
「君が犯人なら、死体をどうする?」
「えっ?死体ですか?」
どうするだろう?
「あの、どこかに埋めると思います」
「普通そうだよね。でも、見つかっちゃうよ」
「どうしてですか?」
「うん、匂いとかさ……」
そうだ、人は死んだら臭くなるって、田中も言っていた。
田中のお爺ちゃんが孤独死した時、そうだったらしい。
「でもね、月灯君は良い場所を知っているらしいよ」
「どこなんですか?」
「それは秘密だよ。僕と吉村君が本当の友達になったら教えてあげる」
「あのそれって、正信君事件と関係しているのですか?」
正信君は、僕が幼稚園の頃いなくなった子で、まだ見つかっていない。
遠藤さんは、わざと目を丸くした。
「僕は詳しく知らないけれど、青い帽子を被っていた子だよね?」
「何処かで元気に暮らしているんじゃないかな?」
いや違う。
誰だって、違う事を知っている。
僕は、さっき月灯が言っていた言葉を思い出していた。
モルモットの子供を取り出した時の話だ。
「奥には、まだ何か、隠れているかもしれないし……」
今日の飼育小屋は、すごく生臭かった。
高温多湿だから?
生き物がいるから?
果たしてそれだけなのだろうか?
急に恐怖が黒くて大きな塊になって、僕の顔面に当たった。
月灯も遠藤さんも何かを知っていて隠している。
「それで最近、月灯さんに会いましたか?」
「うん、今日の2時半ぐらいに遊びに来たよ」
「彼とは学年が違うけれど、君たち友達なの?」
膝がガクガク震え出した。
何かが違う。上手く言えないけれど。
これは、いつもの学校じゃなかった。
これから悪い事が起きる。
きっと。
大きな地震の前の余震のような物を感じていたのだ。
「吉村君、ちょっと腕を見せてくれるかな?」
「どうしてですか?」
「鳥につつかれたのかな?刺し傷が出来ているから」
気付かなかったが、両腕には小さな傷がたくさんできていた。
僕は素直に両手を差し出した。
まだこの時には、確信していなかったからだ。
しかし、遠藤さんは僕の腕を握り、結束バンドで固定した。
本当に一瞬の事だった。
「な、何するんですか?」
「君は意外と、ニブチンだね」
遠藤さんの目が濡れていた。
今までと違うのは、僕にでも分かった。
「君のお母さんは何時ごろ気が付くかな?君がいない事に」
喉が詰まって何も答えられなかった。
「君は、いつも塾へ行くから、8時ぐらいまで大丈夫かな?」
「あんまり時間が無いから、早くしないとね」
詳しい事は分からなかったが、
彼が悪い事を企んでいるのは理解できた。
(絶対に、逃げてやる)
手は縛られたけれど、彼に頭突きして逃げ出すつもりだった。
だって、まだ足は動くから。
「あっ、そうそう。君って薬が効くタイプ」
「教えないよ、そんな事」
「いやさ、以前、君と同じ年の男の子と友達になった時に」
「困ったことが起きたんだ」
「……」
僕は口を閉じていた。
「その子さ、薬が効きにくいタイプで、意識はないのに暴れたんだ。お陰で僕もその子も怪我しちゃって……大変だったよ」
「だからさ、効きにくい時は、もう一杯コーラを飲んでくれる?」
「コーラに細工したのか?」
「まさか、コーラを開けて注ぐのを吉村君は見ていただろう?」
確かにそうだ。
新品のコーラだった、空いていたら飲むはずない。
「コップに何か入れたんだな」
遠藤さんは何も答えない。
そうに、決まっている。
コップに薬が入っていたんだ。
その怪我をした子って、
もしかして?
そうなのか?
違うよな?
「僕は2度と、コーラなんて飲まないからな」
遠藤さんを睨みつけた。
でも、自分でも分かっていた。
瞼が少しずつ閉じて行くのを。
閉じたら、恐ろしい事が起こる。
それは分かっていた。
でも、どうしても止められない。
目をつぶると、直ぐに美月がやって来た。
今日は高熱で寝ているはずなのに、僕の所に来てくれたのか?
いつも苛めてばかりいたのに――
僕はまた、彼女を利用しようとしていた。
「美月、僕の意識が飛ばないように、話しかけてくれ」
「どうして?」
「意識が飛んだら恐ろしい事が起きるんだよ」
「どんな事?」
「それは分からないんだけれど、そんな予感がするんだ」
「……じゃ、余計に眠った方が良いわ」
「私ね、お母さんに殴られる時、いつもそうしているの」
「そうしているって、何?」
「あまりに辛い時は、他の世界へ行くことにしているの」
「えっ?」
「だから、もう、2人であそこへ行こうよ」
美月がギュッと僕の手を握って来た。
僕は、それを振り払う事が出来なかった。
