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七転び,やっと起き|アマノ文筆クラブ

◆「もうかれこれ,8度目になるらしいのです」
砂ぼこりにまみれた旅姿の若い僧が,ゆっくりと箸に手を伸ばしながら,憂い顔で言う。
「ほほう,8度とな」
上の空で答えた白髭の和尚は,そそくさと手を合わせると,早くも食膳に箸をつけていた。
「いつも,同じ夢を見るのです。
巨大な山塊,その下に,1匹の猿が無惨に圧しつぶされており,頭だけがどうにか出ております。
その猿が,私を見上げて,恨めしげに言うのです。
『師匠,山の下に押さえつけられるのは,もう飽き飽きだ。早く9度の転生を終えて,俺をここから出してくれ』
『猿よ,すまないが,私にはこのような巨大な山を動かす力はない』
私が答えると,猿めが言い返します。
『それは師匠が,自分の秘めたる力を知らないだけだ。ただし,今の師匠は,釈迦の2番弟子でありながら修行を怠って遊び呆けたかつての大罪を,まだ償いきっていないから,秘めたる力は秘められたまま。
師匠は西天取経の旅に出る宿命にあるが,それは9度失敗して,10度目にようやく成功するらしい。その10度目の旅で,ようやく師匠の力が開花するのだよ』
『はて,確かに私は西天取経の旅の途上であるが,失敗したという記憶はないのだが』
『旅の失敗,すなわち死だよ。死ぬような目に遭わずして,どうして大罪が償える? 今の師匠は力を封じられた平凡な人間だから,前世までのことをおぼえていないのさ』
『なんと私は,取経に失敗して,何度も死なねばならんのか。
にわかには信じられぬ話だが,では私は今,いったい何回目の旅に出ておるのだ』
『7回失敗して,今は8度目だな。だから,もうすぐなんだ。今度失敗して,次が9回目。そのまた次が,やっと本番の取経の旅というわけさ』
莫迦ばかな。最初から失敗するつもりで旅に出る者が,どこにある。私は必ずやこの旅で,取経の大願を果たしてみせるぞ。
ところで,前世までの旅では,私はどのようにして取経に失敗したのだ?』
『ははは,大見得切っても,師匠もやっぱり気になるんだな。
何とか河という大河で,何とかいう水怪にやられるんだよ。これまで毎回,決まってそうだったらしい。だから,あとの2回も,きっとそうなんだろうよ』
夢は決まって,ここで終わります。
そんなわけで,私は念には念を入れ,遠回りをして旅程を遅らせることになっても,大きな河を渡ることを避けてまいりました。
ですから,よもやこんな,水の1滴もないところで,私の旅が終わるわけはないのです」
正面の老僧が,居住まいを正す。
「ほほう,今の状況がよくわかっておられるようだ。お気づきの通り,拙僧はお主の見ておられる幻。
お主は今,砂漠の真ん中で道に迷い,半ば正気を失って,どこかの寺で斎を施されている幻を見ておられたのだ」
白鬚の和尚がさっと袖を払うと,背景の寺の庫裡ごと,ゆらりと和尚の姿が消えた。
後には一面の砂原の中に,若い僧が1人,腰のあたりまでを砂に埋めているばかりである。

◆「……おお師匠,猿の言葉を真に受けてしまわれたか。おいたわしや」
見れば目の前の中空に,黒い肌に赤い蓬髪を頂いた背の高い異相の男が,結跏趺坐に足を組んで浮いている。
「ここは『流沙河』と呼ばれることもある,塔克拉瑪干タクラマカンの大砂漠の真ん中だ。河と言っても,流れるものは砂ばかり。
師匠が十度目の旅でここにたどり着くころには,上流で水が湧いていて,ここには見違えるような大河が流れているはずだが,それはまだ先の話。
山の下から一歩として動けぬ猿めはそれと知らず,たまたま気紛れな予知能力が発動して瞥見した光景を現在のそれと混同し,一知半解で知ったかぶってみせたのだ。まさに猿智恵というもの。
私は畏れ多くも観世音菩薩から,師匠がまだ罪を濯ぎきらぬうちは,必ずここで途切れることになっている師匠の旅の最後を見届ける役目を仰せつかった者。
残念ながら,師匠は今回もここで,自らの業に従って,自ら流砂の中に踏み込み,砂に呑み込まれて旅を終える。
だが,いよいよあと1回。次にもうあと1回だけ,ここで砂の流れに沈みさえすれば,その次の旅こそが,師匠の本当の西天取経の旅となるのだ。
その暁には,件の猿めとこの私,さらに今1人の者が,3名ながら師匠に付き従ってお守りし,必ずや旅の成就をかなえて差し上げる。
おぼえておられぬこととはいえ,ここまで発っては潰え,発っては潰え,さぞやおつらいことであっただろうが,それでこそ,大罪の償いとなるというもの。
私も日夜この何もない砂漠の只中に留まり,猿と同じく,その日を今か今かと待ち続けておりまする。
釈迦に説法もいいところだが,どうかどうか,次なる生でも,ご精進怠りなく」
男が言い終えたころには,若い僧はとうに流砂に呑み込まれたとみえて,すでに姿が消えていた。
「あと,1回……」
天を見上げて嘆息する,沙悟浄であった。


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