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随筆(2026/3/16):臨戦態勢モードの終わりに、一度自分なりの『禊(みそぎ)』をしておくべき

ダウンして休職中なのですが、いろいろ忙しかったのです。
(何で…?)

脳は完全に臨戦態勢モードに入っており、言動もピリピリしており、かなり危険な状態であった、と今にして思います。

そういえば、半年前の職場でも、私は概ねこういう状態になっていて、主観的にも客観的にもかなりヤバかったのです。

だからこそ、元通りに戻るためにも、今こうして休職しているはずなのではないか?
それで、休んでいながら、これ?
何やってんの?
(いや…それは俺が訊きたいくらいなんだが…本当に何で…?)

***

そうこうしているうちに、かなり大きめの一里塚を越しました。
ぼんやりした頭の中で、しみじみと解放感を味わっておりました。
とはいえ、
「途方に暮れてもいた」
というのが正直なところでしたね。

「俺、次、何すりゃいいんだ」

臨戦態勢モードに慣れてしまうと、人間はしばしば、臨戦態勢モード以外の状態に、なんと「違和感」などというものを覚えてしまうようになるのです。
というか、私が正にそうなっていました。

血糖値が枯渇していたので、1ℓの緑茶を鍋で沸かして、おかきをボリボリと食べました。
うまい。確かにうまいんだが、今日の俺にはこのおかきのうまささえどこか上滑りしていく。
そんな、『孤独のグルメ』の井之頭五郎の気分を味わっておりました。

なんか、こう、頭が快楽を素直に受け取れていない。
というか、緑茶とおかきなんて、本当に食べたかったのか?
「休み時間には緑茶とおかきを戴くイメージがある」
から、手癖で食っていただけなのではないか?
そんなんだったら上滑りして当然だろう。
心からそれが食べたかった訳じゃないんだから。
要は、何となく食ってるだけなんだから。

心から食べたいもの。
って、何だ?

心からやりたいこと。
何だ?

そういうことすら、分からなくなってきておりました。
だいぶ末期的状態であると言えるでしょう。

それもこれも、臨戦態勢モードが続いたからです。
日常感覚が失われて久しかったからです。

「臨戦態勢を手放そう」

まずは、それをやる。
その後のことは、全部それから。

***

臨戦態勢モードを手放す方法、自分なりの『禊(みそぎ)』の手段を、私は一つ、持っているのです。
何か?
スーパー銭湯でガッツリとサウナを浴びることです。

私の行きつけのスーパー銭湯、『天然温泉健康ランド金沢ゆめのゆ』では、入場時にバスタオルとフェイスタオルを1枚ずつもらえるのです。
このため、体の拭き方に気を付ければ、2度風呂ができるという寸法です。
1回目の入浴の際に3回サウナを浴び、その後大広間で水をたらふく飲んで憩い、トイレに行ってスッキリして、2回目の入浴の際にまた3回サウナを浴びる。
つまり、計6回のサウナ、ということです。
これで、否応なしに自律神経を揺さぶり、強制的に安らかな状態をもたらす。
目から入って来る大浴場の景色と、温泉のせせらぎ、これら全てが
「ああ、世界は美しく、俺はたった今こうしてこの中にいるのであり、つまり祝福されている」
という説得力を伴って、自分の心身の隅々にまで浸透していく。

***

シャトルバスで金沢駅西口に帰り、そこから自宅付近を通るバスに乗って、帰宅して、夕飯を食べて、トイレに行って、寝る。
そうすると、眠りの質は、前日までと比べて、まるっきり違ってきます。
「そういえばあれをしなきゃならんのだった」
という思いつきに一喜一憂せず、素直に
「自分を眠気の水面の中に手放す」
ということができるようになります。

否。
寝ているうちに、一つ、やはり思いついたことがありました。

「そういえばあれが飲みたいな。あれを明日買おう」

なんか、その時、猛烈に飲みたくなったものがあったのでした。
『ドクターペッパー』です。
かなり珍しい代物ですし、自分にしてはかなり珍しいことではあります。
が、脳が自然な状態を取り戻し、いつもの状態に戻っていく中で、
「確かに今はこれが必要なんだ」
と言っているのです。
じゃあ、それは本当にそうなのでしょう。

***

ドクターペッパーと寿司屋の湯呑み(何故…?)

ということでドクターペッパーを買って、頂き物の寿司屋の湯呑みでグイグイ飲みました。

キクゥ〜〜〜(炭酸と20種類のフレーバーが)

やはり、脳が欲しがっているものを入れると、感官の受ける反応度がまるっきり違う。
これが! 欲しかったんだ! 間違いない!
最高。

***

ということで。
臨戦態勢モードの終わった後で、『禊』をするの、いいですよ。

というより、『禊』をしないまま、何か楽しいことをしようとすると、
「何かがしたいんだけど、何をしたいんだろう」
が発生して、欲求はあるがぼやけてしまっており、結局は的外れな欲求不満解消をしてしまいます。
そしてそれは的外れなので、欲求不満は解消されないままで、混乱しながら苦しむことになります。
もちろん、そんなのでは困るんですよね。
鍵穴と鍵が一致していてほしい。

だから、『禊』と、その後の日常感覚の回復と、その上での自然な欲求と、その充足が、とてつもなく大事になってくるのです。
この順にやって、初めて
「やりたいことをやりたいようにした」
という自由の感覚が、己の中に戻って来るのです。

これがなければ、自分が何を一生懸命やっていようとも、実際のところ自分は何らそれにノれていないことに気付く。
だんだん他人事めいて投げやりに無責任になっていく。

TODOでこんなことになるのはもちろん困ったことです。
だが、それ以上に、自分の欲求充足でこうなっているようでは、
「不幸」
としか言えないではないですか。

何かしらの臨戦態勢モードが発生・継続していて、それが終わる度に。
『禊』。
ちゃんとやっていきたいんだよなあ。

また、やろうな。

先週もやった。
今週もやった。
来週もやればいいのだ。

いつか、身も心も水気を取り戻す、その日まで。
ゆっくりと、ゆっくりと、己の気枯れ(けがれ)を、禊いでいこうな。

(この記事ここでおしまい)


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