才能も能力も幻想か〜『冒険の書 AI時代のアンラーニング』 〜 【4月AI本チャレンジ15】
今日は、『冒険の書 AI時代のアンラーニング』です。

この本を手に取った理由は「アンラーン」という言葉が目に付いたからです。クライアントの大学での通訳仕事で、この言葉をたびたび目にすることがありましたが、「???」という感じでまったくピンと来ませんでした。それで気になったのですね。
本書の著者は、孫泰蔵氏。ソフトバンクの孫正義会長の弟であり、大学に在学しているときからIT企業の立ち上げに関わり、その後もいろいろな企業の立ち上げを手がけた連続起業家で、また世界中のベンチャー企業を支援する投資家でもあります。その泰蔵氏が「探求ノート」として社会や教育について感じた素朴な疑問を書きとめたエッセイをまとめたものが本書です。
「なんで勉強しなくちゃいけないの?」
「学校に行かなければならないのは、どうして?」
こういう疑問を子どもから投げかけられて返答に詰まった方は多いのではないでしょうか? 私もそのひとりです。自分にとっては苦もなく、ふつうに過ごしてきた(はずの)ことが子どもにとっては大変なことらしい。そしてそのときの自分はあまりよい答えを出すことはできませんでした。
この本は、主人公(たぶん泰蔵氏?)がふと思った疑問に関係する本を書いた人の世界へ瞬間タイムトリップする、というちょっと物語仕立てな展開で話が進んで行きます。社会とは勉強して能力を身につけないと生き残れないのか、と疑問を抱きながら『ホッブズ市民論』を開くと、イングランドに住むホッブズの書斎へトリップしたり、子どもの教育を考えながら『教育の関する考察』を開くと、ジョン・ロックが目の前に現れたり、とそういう具合です。
社会とは?
教育とは?
学校とは?
そのように考えて行くと、現代あるべき姿だと思っている学校制度がどういうものか、分かってきます。今の学校制度の大元は、子どもは大人と違う守るべき存在である、と隔離したことから始まっているのではないか、と。
それから、能力や才能について話が進んで行きます。
つまり、「能力」というのは、あくまで「結果論」であり、同じようなことをしている他の人との比較でしかないのです。結果が良ければ「あの人は能力がある」、悪ければ「能力がない」、他人と比較して優れていれば「能力の高い優秀な人」、劣っていれば「能力の低いイマイチな人」と言っているだけなのです。
能力があると評価されるには、まず行動し、良い結果が出る、というプロセスが必要です。でも能力があるから良い結果が出るのかどうかは分かりませんし、いつ行動に出ればよい結果が出るか、も分からないからです。
「能力」があれば成果が出る、というが、その能力とは何か。実体のないものの存在を信じている現代人は「能力教の信者」である、と著者はいいます。近代の産業革命で機械が発達していく過程で、「人間の機械化」が進んだのだと。機械化したシステムの中で価値の高い存在になるためには高い能力を示さなければならない。
このあたりはちょうどチャップリンの映画『モダンタイムス』を彷彿とさせますね。
そして機械は今やどんどん人工知能と化してきています。能力主義のことを「メリトクラシー」といいます。この点については、マイケル・サンデル教授の『実力も運のうち 能力主義は正義か?』にも詳しいですね。
人間は機械と違って自分で自分をアップデートできる。ところが、機械が人工知能化するならば、ロボットも自分で自分をアップデートできるからです。並列化すれば一瞬で獲得した能力を平準化することも可能です。人工知能は「メリトクラシーの最終兵器」なのです。
となると。
人工知能の台頭は、メリトクラシーは終わる。つまり、人間の機械化は終焉を迎え、人間が「労働」から解放されればいいのだ、と。
だから、泰蔵氏が考える社会は、メリトクラシーを超えた新しい社会なのですね。何かが役に立つか立たないか、意味を見いだすのは人間なのですから。ちょっと先日読んだ荒俣宏氏の『すぐ役に立つものは すぐ役に立たなくなる』の論点と似てきましたね。AI時代の学び方はこのあたりにヒントがありそうです。荘子のいう「無用之用」ですね。
本書は巻末に参考書リストが載っています。これだけでも次はどこへ行くかの方向性が見えてきそうです。私としては、次は『すぐ役に立つものは すぐ役に立たなくなる』でも出てきた『荘子』が気になります。
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