ウクライナ紛争の兵器シリーズー4 PM 1910 マクシム水冷重機関銃
◆「ウクライナで100年前の兵器使用」と話題のPM 1910 マクシム水冷重機関銃
昨年2月24日に始まったロシア軍のウクライナ侵攻=「特別軍事作戦」から1年半と少し。いや、2014年2月の「マイダン革命」と称した右派クーデターとその後の内戦、ウクライナ軍やネオナチ義勇部隊によるロシア系住民への殺戮行為とそれへの抵抗、分離独立闘争がドンバスなどで始まって9年間にわたるウクライナ紛争では、この地域の20世紀以降の歴史で登場したあらゆる兵器が引っ張り出され、戦闘に投入されている。
最近の欧米の新聞などでは、ウクライナ軍の苦境ぶりを際立たせて”支援気運”を高めようというのか、古い兵器が引っ張り出されて使われている様を取り上げることがしばしば見られる。その中で、話題を呼んでいるのが、「100年前の兵器使用」の例としてあげられるPM 1910 マクシム水冷重機関銃だ。

マクシム機関銃が生まれたのは、実は100年前どころの話ではない。アメリカ生まれの発明家ハイラム・マクシム(1840~1916)が1884年に開発したもので、以後、英国、ドイツ、ロシアなど各国軍で採用され、20世紀初頭には標準的な陸戦兵器の1つとなった。つまり、実用化から140年くらい経っている19世紀末以来の兵器である。
帝政ロシアでは1902年にライセンス生産が始まるが、1904~05年の日露戦争では輸入したものを含め旅順防衛戦に大量に投入された。乃木希典大将率いる日本の攻囲軍の突撃隊の波状攻撃を203高地で何度も弾丸の雨で殲滅し、戦場に死体の山を築いたのは、このマクシム機関銃である。
マクシム機関銃は、銃の射撃の際に発生する反動を利用し、弾薬を装填して発射し、空薬莢を排出する動作を連続して行う遊底を素早く確実に前後させる単純な機構を採り入れ、これに帯状の弾帯(厚布製か金属連結式)に50~250発の弾薬をさしこんで給弾する仕組みと組み合わせ、銃身が過熱しないよう水冷被筒を銃身周りに配置して、大量の弾丸を短い時間に発射できるようにした画期的なものだった。それまでは束ねた銃身を手動クランクで回して機械的に弾薬を連続発射するガトリング砲が代表的な機関銃だったが、これの発射速度が最大で300発/分に対して、マクシム機銃は500発/分を誇った。
英国はマクシム機銃の改良型であるヴィッカーズ水冷重機関銃を19世紀末から植民地での反乱鎮圧戦に使用し、アフリカなど各地の現地民が貧弱な武器を持って起こした反乱をたちどころに鎮圧し、20世紀前半期における植民地平定に貢献させた。第一次世界大戦(1914~18)では、ドイツ、英国、ロシアは基本的にマクシム機関銃のそれぞれの国のタイプ(ほぼ同一)を投入し、陸戦における”大量殺戮戦闘”を繰り広げ、戦争の様相を一気に悲惨なものに塗り替えた。
重くて扱いにくいことを除けば、単純な機構で壊れにくく確実に”弾丸の雨”を敵側に浴びせられるマクシム水冷重機関銃は、ウクライナにおける現代戦でも威力面で十分に役立つものなのだ。

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