『対話はゼロ』という挑発的な招待状――"日露対話"ペスコフ発言に仕込まれた“条件”と高市政権への試し球(第22回)/アンチグローバリズム観測~反既成秩序のうねり
大いなる違和感を感じる向きがあるかもしれない。ロシア大統領府のペスコフ報道官は「日露関係はいまゼロ」「対話なしに平和条約は話し合えない」と言い切った。
その一方で「ロシアは対話の中止を支持したことは一度もない。対話は東京のイニシアチブで中断された」と責任を日本側に押し付けた。
ゼロだと言いながら、「止めたのは相手だ」と言う。外交の現場で、こういう言い回しは“交渉”ではなく“枠づけ”というべきものだ、
私はこの手の“反既成事実づくり”を裏交渉の現場ではあるが、何度も見てきた。まず相手の"行為"として語り、次にそれを前提条件にする。今回の「対話停止は日本に責任」は、その第一手である。
日本側は、高市首相が施政方針演説で「日露関係は厳しい状況にあるが、領土問題を解決し、平和条約を締結するという日本政府の方針に変わりはない」と述べた。いわば“例年の定型句”に見える一行である。だがモスクワは、そこに反応した。しかも外務省ではなく、クレムリン報道官であることに、深い意図が込められる。
噛み合わないこと、この上なく見える。しかし、この噛み合わないということこそが、本稿の入口としたいところである。
ニュースとしては「ロシア反発」「関係はゼロ」で終わる。しかし、クレムリンがわざわざペスコフに言わせ、RIAノーボスチ通信が同じ日のブリーフィングで立て続けに見出しを量産する〜この時点で、これは“駆け引き"ではなく“設計”だと読むべきである(12時台から13時台にかけ、ほぼ同文の切り口を三本打っている)。
本稿の論点は三つ。
一つ目。ペスコフが繰り返した「対話」という言葉は、平和条約の話ではない。制裁解除と同盟の揺さぶりの婉曲語である。
二つ目。「対話停止は東京の責任」という言い回しは、事実関係よりも“屈辱の条件”を先に置くための罠である。こちらが謝れば、次は譲歩だ。謝らなければ、対話は永遠にゼロのまま。出口を一つに絞る。
三つ目。ターゲットは官邸だけではない。G7の結束、対中抑止の議論、そして日本国内の「制裁疲れ」「経済優先」の層である。ロシアは、そこに楔を打ち込もうとしている。
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