大人になってから、こんな仲間に出会えると思わなかった——秘湯を巡った三日間
旅の最後に撮った写真を、何度も見返している。
そこに写っているのは、メンバーA、C、Tと、私。
三日間の旅を終えたみんなの顔には、少しの疲れと、それ以上の達成感や充実感があふれていた。
Tを見送ったあとには、A、C、私の三人でも写真を撮った。
どちらも、私にとって大切な宝物になった。
大人になってから、こんなにも心から信頼できて、大切に思える仲間に出会えるなんて、以前の私は想像していなかった。
今回の旅では、簡単にはたどり着けない山奥の温泉を巡り、おいしい料理を囲み、初めて会うゲストとも一緒に時間を過ごした。
けれど、旅を終えた今、一番強く心に残っているのは、温泉の色でも料理の味でもない。
一緒に笑った人たちの顔と、何気なく過ごした時間の記憶だった。
旅の思い出は、結局、人によって作られる。
今回の旅で、私はそのことをあらためて実感した。
一人では作れなかった旅
今回の旅は、私一人では絶対に形にできなかった。
私は文章を書いて、人を集めることはできる。
行ってみたい温泉を探したり、泊まりたい宿を選んだり、旅のきっかけを作ることも好きだ。
でも、人と会話することはあまり得意ではないし、全体を見ながら細かい部分まで気を配ることも、一人では難しい。
だからこそ、メンバーそれぞれの存在が本当にありがたかった。
Cは、長い道のりをずっと運転してくれた。
山道を走り、いくつもの秘湯を巡る今回の旅で、安心して移動できたのは、Cが運転を引き受けてくれ、穏やかな空気を作り続けてくれたからだ。
Tは、ゲスト用のオープンチャットにこまめに連絡を入れてくれた。
次の予定や集合時間を自然に共有し、私が見落としてしまう部分を補ってくれた。そのおかげで、ゲストも不安なく動くことができたと思う。
Aは、いつも全体を見ていた。
宿に着けば、先にゲストのいる湯へ行って声をかける。誰かが居心地の悪さを感じていないか、困っている人はいないか、私が気づかないところにまで目を配っていた。
私は車に酔いやすく、移動中はすぐに眠ってしまう。
今回もAの膝を借りて、ほとんど無防備なままぐっすり眠っていた。
それができたのは、一緒にいた三人を心から信頼していたからだと思う。
自分が主宰者だからといって、ずっと気を張り続けなくてもいい。
誰かに任せて、頼って、安心して眠っていても、旅はちゃんと進んでいく。
誰か一人が頑張るのではなく、それぞれが自然にできることを持ち寄り、一つの時間を作っていく。
そんなチームで旅ができたこと自体が、今回の大きな喜びだった。

山奥の秘湯を巡る
最初に訪れた加仁湯は、途中で専用のバスに乗り換え、山の中のがたがた道を三十分ほど進んだ先にある。
たどり着くまでが少し大変だったぶん、宿が見えてきたときには、本当に山奥の秘湯まで来たのだという実感があった。
周囲を山に囲まれた露天風呂は、噂に聞いていたとおり雰囲気がよく、日常から遠く離れた場所にいることを実感した。

木賊温泉の湯は、熱く、すっきりとしていて、それでいて身体にガツンと入ってくる。
入った瞬間に「ああ、この湯好きだな」と思った。
川沿いの空気、素朴な共同浴場、そこに集まる人たちが作る独特の雰囲気。
きれいに整えられた観光地とは違う、土地の暮らしと温泉が、そのまま残っているような場所だった。

大出館では、こっくりと濃い硫黄泉の露天風呂を楽しんだ。
白く濁った湯に身体を沈めると、長い移動の疲れまでゆっくりと溶けていくようだった。
そして、個人的に特に心に残ったのが、少し油のような香りがする墨の湯だった。
ぬるめで入りやすく、女性専用の時間には、私一人で静かに湯に浸かることができた。
考えてみれば、旅の間ずっと誰かと一緒に過ごしていた私が、完全に一人になったのは、その時間だけだった。
仲間と入る温泉は楽しい。
けれど、一人で湯に入ると、にぎやかな時間の中では気づかなかった、自分の素直な感情が少しずつ浮かび上がってくる。
仲間と入る温泉もいい。
一人で入る温泉もいい。
どちらも私には必要な時間なのだと、あらためて感じた。
おいしいものを囲む幸せ
温泉と同じくらい、今回の旅で楽しみにしていたのが食事だった。
一日目の夜は、みんなで焼肉を囲んだ。
好きなものを焼いて、食べて、話して、笑う。
特別なことをしていたわけではないけれど、気の合う仲間と一つのテーブルを囲む時間は、それだけで楽しかった。
そして、木賊の宿でいただいたイワナ料理が、本当においしかった。
焼きたてのイワナは香ばしく、山の宿で食べるからこその特別なおいしさがあった。
みんなもとても喜んでくれて、「この宿を選んでくれてありがとう」と言ってくれた。
実際に訪れるまでは、みんなに気に入ってもらえるか、少し不安でもある。
だから、食事をしながら満足そうにしているみんなの顔を見たときは、ここを選んでよかったと心から思った。
自分がおいしいと思うものを、大切な人たちにもおいしいと思ってもらえる。
自分が選んだ場所を、みんなが一緒に喜んでくれる。
それは、ただ料理がおいしいということ以上に、主宰した私にとって嬉しいことだった。

文章の向こうにいた人と出会う
今回の旅には、私のブログを読んでClub Inner Spaを知り、参加してくれた二人のゲストがいた。
自分が一人で書いてきた文章が、誰かの心に届く。
その人が勇気を出して連絡をくれて、画面の向こうにいた人と、現実の世界で一緒に温泉へ行く。
あらためて考えると、とても不思議なことだと思う。
ブログを書いているとき、どんな人が読んでくれているのかは、ほとんど見えない。
誰かの心に残っているのか、私が書いてきた方向性はこれでいいのか、分からなくなることもある。
だから今回、二人と実際に会い、一緒に旅をして、穏やかな時間を過ごせたことは、一つの答え合わせのようにも感じられた。
文章に共感して集まってくれる人には、どこか共通する静かな波長がある。
無理に会話を盛り上げなくてもよくて、それぞれが自分のペースで過ごしながら、少しずつ自分のことを話してくれる。
二人が旅の中で自然に馴染み、自分自身のことをたくさん話してくれたのが、私はとても嬉しかった。
混浴に関心を持ちながらも、性的なことだけを主な目的として参加したわけではなかったことも嬉しかった。
裸で温泉に入る解放感。
普段は行けない場所へ行くこと。
人との出会いや会話。
仲間と一緒に旅をする時間そのものを楽しんでくれていた。
私が文章を通して伝えたかったものが、きちんと届いていたのかもしれない。
書くことは、一人きりの作業だ。
けれど、その文章が現実の出会いにつながり、一人では作れなかった思い出が生まれていくことがある。
書くことを続けてきてよかった。
二人と一緒に過ごしながら、私はそう思った。

私たちが作ってきた空気
今回の旅を振り返って、Club Inner Spaならではのものは何だろうと考えた。
一番近い言葉は、たぶん「心地よい空気感」だと思う。
メンバー一人ひとりが、自分だけが楽しむのではなく、周りの人にも自然に気を配っている。
初めて参加する人が緊張していないか。
話に入りづらそうにしている人はいないか。
困っている人や、居心地の悪さを感じている人はいないか。
誰かに指示されたわけでもないのに、それぞれが自分にできることをしている。
そしてゲストも、その気遣いを無理なく受け取り、少しずつ場に馴染んでいく。
初対面同士なのに、不思議と初対面のような気がしない。
無理に盛り上げなくても、沈黙を埋めなくてもいい。
それぞれが自分のペースでいながら、必要なときには誰かがそっと手を差し伸べてくれる。
そんな安心感が、私たちの旅にはあった。
私はゲストと話しながら、その人の期待や不安など、言葉になりきらない気持ちを拾う。
Aは全体を見て、その場にいる人が自然に過ごせるよう、空気を整える。
Cは一人ひとりの気持ちを繊細に読み取り、その人が必要としている言葉を、さりげなくかける。
Tは豊富な温泉巡りの経験を生かし、ゲストとの距離を自然に縮めていた。
それぞれの違う力が組み合わさることで、初めて参加する人も、少しずつ緊張を解いて、自分らしく過ごせるようになるのだと思う。
今回の旅でも、楽しみ方は人それぞれだった。
混浴ならではの刺激や触れ合いを楽しんだ人もいれば、温泉そのものや、裸で過ごす解放感、人との会話を楽しんだ人もいた。
どちらかが正しいわけではないし、今回生まれたそれぞれの楽しい時間を否定する必要もない。
ただ、今回あらためて分かったのは、特別な刺激や触れ合いがなかったとしても、私たちの旅には十分に人を満たすものがあるということだった。
温泉を味わうこと。
裸でいる解放感を楽しむこと。
気の合う人と話すこと。
おいしいものを一緒に囲むこと。
安心できる仲間と、見たことのない景色を見に行くこと。
それだけでも、心から満足できる時間になる。
私たちが作ってきたものの中心にあるのは、何か特別な体験を提供することではない。
安心して自分でいられること。
互いを尊重しながら、一緒の時間を楽しめること。
裸でいても、無防備になっても、大丈夫だと思えること。
艶めいた時間があるから楽しいのではなく、まず安心して一緒に過ごせる時間がある。
その土台にある空気こそが、Club Inner Spaの一番大切なものなのだと思う。

大人になってからの修学旅行
今回の旅には、大人になってからの修学旅行のような楽しさもあった。
一日目は、みんなで焼肉を食べたあと、群馬のいつもの宿に泊まった。
夜にはトランプをして、少しだけ羽目を外した遊びもした。
Aがお膳立てしてくれた花火を、みんなで楽しんだ時間も忘れられない。
大人になると、旅行をしても、それぞれが自分の部屋へ戻り、自分の時間を過ごすことが多くなる。
けれど今回は、食事をして、遊んで、笑って、同じ場所で眠る。
学生時代の合宿や修学旅行のように、一日の終わりまで一緒に過ごしていた。
移動中も楽しかった。
行きは高速道路を使わず、山の中の道をゆっくりと進んだ。
窓を開けると、緑と草の濃い香りが入ってきた。
みんなで「ああ、草のいい匂い」と言いながら、山の空気を吸い込んだ。
何か特別な出来事があったわけではない。
けれど、そんな何気ない瞬間ほど、不思議とあとまで心に残る。
話したいときには話し、眠りたいときには眠る。
無理に誰かに合わせなくても、そのままの自分で一緒にいられる。
大人になってから、こんなふうに無邪気に遊べる仲間ができるとは思っていなかった。
ずっと同じではいられないから
旅を終えて三日後、TからメンバーのグループLINEに連絡が届いた。
これから婚活に全力を注ぐため、次の活動への参加は見送るという内容だった。
苦渋の選択だったと思う。
それでも、自分が望む未来のために一つのことを選んだTのことを、私は応援したいと思った。
同時に、もう一緒に旅をすることはないかもしれないと思うと、少しだけ涙がこぼれた。
Tと一緒に温泉へ行った回数は、それほど多くない。
それなのに、一緒にいる時間はいつも心から楽しく、安心できた。
人と人との関係は、過ごした時間の長さだけで決まるものではないのだと思う。
短い時間でも、その人が向けてくれたまっすぐな気持ちや、同じ場所で笑った記憶が、心の中に深く残ることがある。
仲間だからといって、これからもずっと同じ形で一緒にいられるとは限らない。
仕事や家族、恋愛や結婚。
それぞれの人生が進めば、優先するものも、参加できる場所も変わっていく。
だからこそ、一緒にいられる時間を当たり前だと思わず、そのときにできることを大切にしたい。
最後になるかもしれない旅で、こんなに楽しい思い出を作ることができて、本当によかった。
Tがこれから選ぶ道の先に、望んでいる幸せがあることを願っている。

旅の思い出は、人によって作られる
旅の最後に撮った写真を、今日もまた見返している。
そこには、三日間を一緒に過ごした仲間たちの、少し疲れて、それ以上に満たされた顔がある。
同じメンバーで、同じ形の旅ができるのは、もしかしたらこれが最後かもしれない。
そう思うからこそ、この写真が一層大切に感じられるのだと思う。
訪れた温泉は、どこも素晴らしかった。
料理も本当においしかった。
けれど、もし同じ場所を一人で訪れていたら、今回とはまったく違う記憶になっていただろう。
何を食べても、どこへ行っても、気の合う仲間となら楽しい。
そこに、おいしい料理と素晴らしい温泉があれば、なおさら幸せだ。
誰と出会い、誰と笑い、誰と同じ時間を過ごしたのか。
旅の思い出は、結局、人によって作られる。
今回、一緒に時間を過ごしてくれたみんなに、心からありがとう。
