安楽死という「最後の切札」:93歳認知症女性が選んだ幕引き
■ 序文:責任1/4の思想
私はあらゆる失敗において「自己責任」という言葉を否定する。
責任が一人に集中することなどあり得ない。
ある社員が業務の失敗をした。その社員一人にすべての責任を押し付けるが事実は違う。
このとき同僚はフォローすることができた。
上司は想定して対処方法を教えることができた。
社員の教育者は業務遂行が充分だと判断した。
これらが揃って初めて仕事は完結する。
失敗の責任もまた当事者を含めた四者の分散―すなわち「1/4」であるべきだ。
本文
オランダやベルギーなどでは、本人が明確な意思を持ち、耐えがたい苦痛がある場合に安楽死が認められています。読売新聞(ヨミドクター)の記事によれば、オランダでは93歳の認知症女性が、症状が悪化して「自分自身」を失う前にと、医師の立ち会いのもと自ら薬を服用してその生涯を閉じました。ヨーロッパでは、末期の身体疾患がない高齢者であっても、「人生が完成した(これ以上生きる意味を見出せない)」という理由で安楽死を望む声があり、その基準を巡る議論が深まっています。
この「究極の自己決定」に潜む不条理を、責任1/4で分解します。
本人(私): 自分の「終わり」を自分で決めるという強烈な自律心。しかし、その決断が「周囲に迷惑をかけたくない」という同調圧力によるものではないかという内省の責任。
医師・専門家: 命を救う使命と、患者の「死にたい」という願いを叶える矛盾。安楽死を単なる事務手続きにせず、最後まで「他に道はないか」を問い続ける専門的責任。
家族: 本人の意思を尊重しつつ、その死を共に受け入れる精神的苦痛。安楽死という選択が、家族間のコミュニケーション不足の「解決策」にすり替わっていないかを確認する責任。
社会・法制度: 安楽死を認めることで、社会が「効率の悪い命」を切り捨てる方向へ流れないよう、厳格な歯止めと、生きたいと思える福祉を同時に充実させる公的責任。
一本歯の下駄で絶妙な均衡を保つように、安楽死の議論もまた、個人の自由と生命の尊厳の危ういバランスの上にあります。 [ヨーロッパの一部の国では、安楽死が全死亡者の数%に達しており、その約9割は自宅で、親しい人々に囲まれて行われています。] 日本がこの「最後の切札」を手にするには、まだ多くの議論と覚悟が必要です。
さらなる提案
「自分らしい幕引き」を考えるために提案します。
「安楽死」と「尊厳死」の違いを正しく知る: 薬で死を早める「安楽死」と、無益な延命をしない「尊厳死」。[日本で現実的に議論されているのは主に後者であることを理解しておく。]
「人生の完成度」を定義する: 橋田寿賀子さんのように、何を成し遂げたら自分の人生を「良し」とするか。死の議論を、生の充実を考える種にする。
「孤立」を防ぐネットワーク: 「死にたい」という願いが、単なる孤独から来るものであれば、それは社会の敗北です。自律した個でありながら、他者と繋がる1/4の分散を維持する。
橋田寿賀子さんの著書でも注目された安楽死 ヨーロッパでは基礎疾患がない高齢者も…93歳の認知症女性は自ら服薬
#人生100年時代 #一生健康寿命 #セキニン分散 #自己責任ではない #フジョーリ #責任4分の1の原理 #note #安楽死 #橋田寿賀子 #終末期医療 #オランダ流 #ヨミドクター #読売新聞 #自己決定権 #自律 #哲学
