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「記憶のオーナー」近未来SFショートショート


「あなたも“成功者”になりませんか?」

その広告は、街中のあちこちに貼られていた。
記憶移植技術が一般化したのは10年前。
いまでは“成功者の記憶”を合法的に購入し、自分に上書きすることができる。

医師、経営者、作家、政治家——その人生を生きた記憶。
彼らの「経験値」や「思考の癖」は、特殊な技術で抽出され、データ化される。

それを買い、自分にインストールすれば、“なりたい自分”に近づける。
いや、ほぼ“なれる”のだ。

西野翔也・42歳。

彼は地方の中小企業で働く、ごく平凡なサラリーマンだった。
家と職場の往復。特に秀でた才能もなく、ただ年を重ねてきた。
だが、ある日、通勤途中でふと目にした広告に心がざわめいた。
——「人生をやり直せるとしたら、どの記憶を選びますか?」

数週間後。
翔也は、貯金をはたいて“ある人物”の記憶を購入した。

「九条律。世界的経営者。29歳で5社を上場させた伝説の男」
彼の記憶には、決断力、交渉術、野心、リーダーシップ……すべてが詰まっているという。

移植はあっけないほど簡単だった。
クリニックの白い椅子に座り、点滴のように記憶データが流し込まれていく。

——そして、目が覚めた。

「……これが、俺?」

鏡に映る顔は変わらない。
だが、思考は明らかに違った。

メールの文面、部下への指示、取引先との交渉——
すべてが冴えていた。まるで“成功する自分”が憑依したかのように。
1年後、翔也は独立し、ベンチャー企業を立ち上げた。

瞬く間に出資を集め、事業を拡大。テレビやネットでも話題になり、「令和の九条律」と呼ばれるようになった。

だが、夜——
ひとりの時間になると、奇妙な感覚が胸をかすめた。

「……俺は、誰なんだろう」

口ぐせ、癖、食べ物の好み、考え方、夢に見る景色——
すべてが“九条律のもの”になっていった。
翔也としての記憶が、徐々にかすれていく。
自分がかつてどんな音楽を好きだったか、どんな景色に心を動かされたか——
思い出そうとしても、空白が広がるばかりだった。

ある晩、酔った勢いで古い友人に会った。
彼は翔也の目を見つめ、こう言った。

「……お前、翔也だよな?なんか、目が違う。昔のお前、もっとヘラヘラしてたのに……今は、なんか、怖いよ」

怖い。

その言葉が刺さった。
その夜、翔也は記憶データの契約内容を確認した。
細かい利用規約の末尾に、小さな一文があった。

——「記憶移植により、人格の変化が生じる可能性があります。当方は一切の責任を負いかねます」
翔也は思わず笑った。

「人格の変化」などという言葉では済まされない。
もはや、自分という存在が、誰だったのかさえわからないのだ。
翌朝、彼は鏡を見た。

「おはよう、翔也」

自分の声が、ほんのわずかに違って聞こえた。
イントネーションも、語尾のニュアンスも、まるで別人のようだった。
彼はもう、西野翔也ではなかった。
だが——

どこかで、**本物の“九条律”**もまた、誰かの記憶を買っていたのかもしれない。


オチの一言:〔なたの中の“成功者”は、果たして誰のコピーなのか〕


声の出演(VOICEVOX)
ナレーション   青山龍星
西野翔也     剣崎雌雄
昔の友人     麒ヶ島宗麟
広告の声     雀松朱司


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