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【他者の靴を履く】 読書#133

みなさん、いつもお世話になっております!
本日は、私の投稿の軸とする一つ「本」「読書」に関して書かせていただきます。

自己紹介に書いたマイルールを守りながら、私の大好きな本について書いていきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いします!

今回は、なんて表現したらいいんだろう。
深くて広くてわからないが、とてつもなく勉強になった。

ヘッダーは、優谷美和(ゆうたにみわ)さんの作品を使わせていただきました! ありがとうございます!!


目次


基本情報

ブレイディみかこ (著)
文藝春秋 出版
2021年6月30日 第1刷発行

全302ページ
読書所要期間 10日

本書も、バリューブックスさんで購入しました!

私が本書に出会うきっかけ

これは、著者の代表作と言っていいであろう「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」との出会いがきっかけである。
私は、比較的読んだら一定数を売ってしまうのだが、当書はいまだに手元に置き続けている。
つまり、私にとって重要な一冊であるということを意味するのだが、内容としては恐らくこのnoteでの活動を始める前に読んだと思われるため記録は無いが、記憶では他文化理解他者理解、そしてそれを通した自己理解を促すきっかけが非常に多かったものと思っている。
まさにタイトルに掲げられる色のコントラストが、それを物語っているのではないだろうか。

本書は、その続編と言えるのかもしれないがしかし、それとは異なるテイストで書かれているものがあることを知り、読んでみることにした。

ちなみに、「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」の「2(ツー)」はまだ読んでいない。

私が思う、この本の本質

本書の前書きから拝借すると、次のとおりである。

  • 「ぼくはイエロー〜」により『エンパシー』という言葉が一時期注目され、意味が一人歩きし始め、著者の想いからは少し離れていったという。

  • そこで、言い出した者の責務として、しっかりとその真意を捉え、まとめようとするもの。

  • つまり、「ぼくはイエロー〜」の副読本であると著者は定義している。

私が感じたこと

ハンドサニタイザーとトイレットペーパー

私がこれを書いているただいま、米不足が指摘される真っ最中である。
「令和の米騒動」などと揶揄されている。
米に限らず生じるこの騒動は、いつ以来か?
本書を読んで蘇ったのが、このタイトルから連想されるもの。
そう、コロナだ。
この後、あらゆるものが不足していった気がする。

著者は、こうした物の不足する心理状態から、エンパシーを考察する。

果たしてトイレットペーパーを買いだめ、かき集めることは、世の中の他者のためになるのか?
もっと言えば、本当に自分のためになっているのか?

お金(貯蓄)がわかりやすい例として示されている。
長らく続き、今脱しようとしている過渡期なのかもしれないデフレ経済における貯蓄の働きを考えた時、貯めることが本当に、巡り巡って自分のためになっているのかという考察だ。

私は、自分が蓄えた知識や経験も同様だと考えている。
私自身が得たものを惜しげもなく、同僚など周囲に対してどんどん出していきたいと思っている。

人はどうしても視点、視座が手前に置かれてしまう。
時には振り返り、遠くを見ることが必要なのではないだろうかと、自戒を込めて投げかける。

私が他者の靴を履いたとき

エンパシー = 他者の靴を履くこと

「他者の靴を履く」という概念と言っていいその考え方について、本書を通じて学ぶことになる。
これが一体どういうことなのかは、ぜひ本書を通じて考え抜いていただきたいところだが、本書の言葉を借りて、かつ、あえて短く表現するとすれば、

  • 自分を誰かや誰かの状況に投射して理解するということではない。

  • つまり、他者を他者としてそのまま知ろうと想像すること。

知ろうと想像するためには、いったん自分のことは傍に置かなければならない。
つまり、自分の靴(心)をいったん脱いで、他者の靴(心)を履いてみるというメタファーだと私は理解した。

何と素敵な表現だろう。

さて、私はいつ他者の靴を履いているのだろうか?
そもそも、履いたことがあるのだろうか?

少なくとも、確実な時が1度ある。
それは、災害に遭った時だ。

本書第6章を読んで気付かされた。

その時は、隣近所の方々とみんなで助け合った。
正直あまり付き合いの濃くなかった方々とも、平気で言葉を交わし、優しさをと思いやりを交わした。

災害時になぜそんなことが起こるのか?

それは、みんな辛いとわかっている緊急時だからだろう。
そして、平時のありがたさを再確認することで、自分の靴が脱ぎやすくなるのではないだろうか。

私はその時、紛れもなく自分の靴を脱いでいた。
そして、多くの方々の靴を履いていた。
そう気付かされたのだ。

一方で、平時に戻った今はどうか?

やはり、自分の靴を履く自分に戻っているかもしれない。
しかし、以前よりは”少し”自分の靴を脱ぎやすくなっていると思う。

というのも、私は最近ボランティアに目覚めている自分を認めた。
災害前にはあまりなかったことを、今はやっている。
これは、他者の靴を以前よりは”少し”履きやすくなっているからではないかと、自分に言い聞かせているw

むすびに

今回は、大変に学びが多かった。
そして、私が感じたこと・考えたことがとても多くなった。

ということで、今回は結ばずに次回も本書について続きを書くことにさせていただきたい。


本書は、結構長らく積読していたと思われます。
何でもっと早く読まなかったんだろう?

そんな気持ちになる一方で、
・これを読むべきタイミングとして天に導かれたのか
・これから何か起こるのか
要するに、何かから私を守ってくれるかのように、私の手にこの本を取らせたのではないだろうかと思うほど心に響くものとなりました。

また何年後かに読むと、捉え方も変わっていて、今よりもさらに理解が深まる。
そんな長い付き合いのできる本になりそうです!

本日も、ご覧いただきありがとうございました!!

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