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斎藤幸平氏に感じる違和感から派生したrant

人に善悪はあれど、ヒトもまた動物なので、善悪で測りきれるものではないと感じる。

そもそも善悪というのはかなりハリボテ的である。内実はなく、一人ひとりの心の中の「なんかええなあ、胸が暖かくなるなあ」という感覚と「きしょ、ぐろ、えぐ、はらたつ、おもんな」という感覚、そして一人ひとりが想定する、「多分みんなええなあって思ってるんやろなあ」と「多分みんなおもんなって思ってるんやろなあ」の総体である。

してみると、結局人の良し悪しというのは「感じが良いか」に尽きるのではないかと思う。

例えば、日本人もドイツ人もオーストリア人も忘れかけているが、ヒトラーは繊細な心を持った、けっこう人の気持ちをよく察することのできる熱血漢だった。ユーモアもあったし、カリスマ性もあった。絵を描くのが好きで、自国民に対するひどい仕打ちに対して義憤にかられた男だ。変なヒゲやスタイリッシュな軍服で人の心をつかめたのは、人の心を理解していたからだ。それは定義からしてサイコパスには不可能なことだが、どうも世間ではヒトラーをサイコパスと認定したがる向きがある。自分たちとは異質の存在だと思って安心したいのだろうか?ドイツやオーストリアに行くと、ヒトラーみたいな人が今でもたくさんいる。彼らは今、ヒトラーと同じような同胞意識と義憤から、アンティファなどの活動に従事している。

とにかくヒトラーは繊細ゆえに、共感能力が高いゆえにキレ散らかしてしまった人のようである。
語弊を恐れずに言えば彼は「感じ良い人」以外の何物でもない。日本人にとっては全然「感じ悪い」けど。

ただし私は、「良い人」だろうが「悪い人」だろうが、行ったことの報いは受けなければならないと思う。そういう意味では、私は彼の死に様は生ぬるいとも思う。かなり残虐な人間らしきアモン・ゲットーは少女の命を助けたが、それはもっと褒められて然るべきかもしれない。

さらにわかりやすい言い方をすると、ゼレンスキーとヒトラーの違いは民族浄化をしているか否かだけだ。好感度の高い有名人が政治的指導者になったのは、レーガンやトランプも同じ。まあ、その民族浄化が絶対悪だろ!という意見もあるかもしれない。しかし例えば織田信長が残虐極まりない宗教弾圧をしてくれたおかげで、その後の日本には久しく宗教戦争がなかった。多くの無辜の民の命が救われたとも言える。民族浄化の是非はさておき、ある社会のメンバーの統一感=チーム感=ファミリー感はその社会の安全と存続に直結する。

悪魔のような人はいない。なぜなら悪がないから。悪魔のような行為があるだけだ。そういう行為には報いを与え、再発しないように対策していくべきだ。同様に善人もいない。善行があるだけだ。そちらにも報いを。これを、淡々と行うべきだ。

斎藤幸平氏に感じる違和感について書こうとして随分遠回りしたが、彼は感じが悪い。

なぜなら、彼は人の話をちゃんと聞いていないから。我田引水。褒められたらお礼を言ったり、まちがったら謝ったり、辛そうな人に気を遣ったり、人の成功を一緒に喜んだり、人の苦しみを一緒に悲しんだり。何十分も対話していると、そういう仕草が現れうるタイミングは何度もある。彼はことごとく失敗している。私の身近にあるインテリ左翼コミュニティにも見られる、典型的な人間的能力の欠如した人の1サンプルであるように見られる。

彼の言動や経歴からにじみ出てくるのは、彼がエコーチェンバーの中で育った世間知らずの半可通であることだ。私は左派やリベラルを自称する人で、世間知らずでない人に出会ったことがない。

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