コミュニティに完成形はないと、12年関わってきて気づいた
「理想のコミュニティ作りに、どれくらいの期間がかかりますか」
運営しているラジオ番組に、そんな質問が飛び込んできました。答えたのは、あるコミュニティの代表です。少し考えてから、こう言いました。
「完成形なんて、たぶんないんですよね」
自分はそのコミュニティに、立ち上げ期から12年関わってきました。主催したのは代表で、自分はずっと右腕という立場です。ただ、12年という時間を内側で過ごしてきたからこそ、腹落ちする瞬間がいくつもありました。
完成形を目指すのをやめた
立ち上げの頃は、こういう会員構成にしたい、これくらいの規模にしたい、という絵を描いていたと思います。誰でもそうするはずです。
でも12年経っても、コミュニティは毎年形を変え続けています。会員は入れ替わり、企画も毎年少しずつ違う。それでも続いている。
完成形を探すのをやめた瞬間から、むしろ長く続くようになったというのが、隣で見ていた自分の実感です。生き物みたいなものなので、育つのを止めた瞬間に弱っていくんですよね。
主催者が楽しいかどうかが分岐点
3年目くらいだったと思います。代表がぽつりとこぼした言葉が印象に残っています。
「場は作ったけど、もう自分のものじゃない感覚があるんですよね」
これは寂しさではなく、健全さの表れだったと今は思います。数値目標を追うより、運営者自身が面白いと感じ続けられるかどうかが、実は一番の分岐点でした。
会議で話すのも「会員数をどう伸ばすか」より「これ、自分たちが面白いと思えているか」という確認の方が多い。正直、非トレーナー出身の自分からすると、最初は違和感がありました。数字で語れないものを軸にしていいのか、と。
12年で見えた、結果ではなく過程
12年の間に、会員の結婚や出産といった人生の変化を、そばで見守ってきました。今では10人以上の子どもが誕生しています。
これは狙って作れる数字ではありません。結果として現れたものであって、目標にした瞬間に多分こうはならなかったと思います。過程を積み重ねた先に、たまたまこの数字があった、という順番です。
正直、この事実を思い返すと、少し胸が熱くなります。運営として何かを達成したというより、ただ一緒に時間を過ごしてきた副産物なんですよね。
見附市の自分のジムに重ねると
人口3万人の見附市で自分がジムを経営していても、同じことを考えます。会員コミュニティを「完成させよう」とすると、途端に窮屈になる。
継続率や稼働率といった数字は当然追いますが、それだけでは運営する側が続かなくなる。自分自身がこの場を面白がれているかを、定期的に自分に問い直すようにしています。
これはまだ答えの出ている話ではありません。見附市のコミュニティも、あるコミュニティの12年も、たぶんどちらもまだ途中です。
