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土砂日記 三

昨日はひさしぶりに休暇を取得できたので、服飾の知識に長けた友人を古着屋巡りに誘った。寒さの和らいだ季節にさっと羽織るのにふさわしい白シャツをかねてから求めていたが、お財布事情がかんばしくなかったことや、ファッションの勝手に疎いことにより決めかねていた。大学一年次にコム・デ・ギャルソンに孤軍乗り込むも、店員の甘言にやすやすと我を失ってしまい、いわば達磨法師が足を再生して逃げ出すほど高価なセットアップを奨学金で買った経歴をもつ私には、頼れるガイドが必要だ。友人に相談を持ちかけるとさっそく、希望のサイズ感や襟(一般にカラーと呼ぶらしい)の種類、着用したいシーンなどについての聞き取りが始まった。こちらが知らない単語や背景知識を適宜補足しながら話に付き合ってくれるので、自分なりに「白シャツの理想像」を組み立てる努力を終始手放さずにいられた。インスタグラムや各種サイトの情報を参照しながら小一時間談義し、ある程度の結論を見出したあとは、3月朔日に市内の古着屋を回りながら探ろうということで妥結した。

仙台駅で彼と待ち合わせる正午まで時間があったから、まず市の図書館に立ち寄った。2週間前に借り、貸出期限を迎えた図書10点を返す用事があったのである。数日前にようやく読みはじめたバーネットの『秘密の花園』(土屋京子訳、光文社古典新訳文庫)など4点を延長しつつ、新たに3点を借りた。よく名前を聞くが未読だったポール・オースターの『オラクル・ナイト』、副題に惹かれて矢萩多聞の『偶然の装丁家(就職しないで生きるには)』、たしか養老先生あたりが推薦していた記憶があった山下洋輔の『ドバラダ門』がその3点の内訳である。さらに、残る貸出枠を駆使してみうらじゅんの著書を他館から取り寄せる手続きをした。市立図書館しかり大学図書館しかり、総量の半分くらいしか読めないのに貸出上限までみっちり利用してしまう執念は揺るがない。

わずかに軽くなったリュックを背負い、図書館をあとにして間もなく、近くにある新刊書店に吸い込まれるように立ち寄り、熊倉献『ブランクスペース』2巻を購入した。こうして少しずつ肩が担う荷重は増えていく。軽いとかえって不安になるのかもしれない。嬉々として薪を背負い、頬を赤らめる二宮金次郎、進んで十字架を担いで口角を上げるキリスト、げらげら笑いながら巨石を運び上げ、ときにはジョークも飛ばすシーシュポス。

気持ちのいい陽光を満身に浴びられる広瀬川沿いの遊歩道を進みながら、仙台駅を目指す。対岸を見やると、白鳥と鴨と鳩が群れをなして、人間の手から降り注ぐパン屑に殺到していた。いつになく甲高い鳴き声が盛んに川べりに響き渡る。
しばしエサやりの大局的な是非をむづかしい顔で黙考していた私は、川に架かる橋の下の短いトンネルに差し掛かった。ここは日中か否かを問わず、終日電灯が点かないため無気味に暗く、近づくだけで鼓動が速まる。動物的本能に駆られて足早に通り過ぎるのが常なのだが、そのときだけは違った。
トンネルのなかで逆立ちしている人物を認めたのである。そこは姿勢の表裏も顔の表情も掴めない暗黒空間でこそあったが、辛うじて、逆立ちしているらしいことは理解した。私が虚を突かれ歩調を崩したところでその人はおもむろに、一切の音を立てずに逆立ち状態を解き、悠然と歩き出した。少しの疲労も興奮も狂気も酒気も窺わせない足取りで、私と同じ方角に遊歩道を進んでいく。ふだんより早鐘を打つ心臓を宥める余裕もないままに、とりあえず付いていくことにした。
トンネルを抜け、そのたくましい体躯に陽光が降り注いだ。黒いシャツに黒いパンツ、履いているのは黒いシューズという黒ずくめの装いは肌に密着したアスリート仕様ではなかったが、彼の広い肩幅や鍛え上げられた筋肉は十全に伝わってきた。郵便局員を想わせる赤く大きなショルダーバッグが、一歩ずつ刻まれるしなやかなリズムを受けて小さく揺れる。ときどき川のほうに視線を走らせる彼の相貌は坂本慎太郎によく似ていた。
このように彼の細部に至るまで向けられた観察は、彼が遊歩道から川の土手に下りていくまで続けられた。人気の絶えた河川敷に独り立った彼は、ベンチにスマートフォンを慎重に設置するなり、華麗にバク転を決めた。大技を成功させてなおやはり彼は表情を変えず、上気した様子も見せなかった。しかし彼がいたって平静であればあるほど私はどきどきさせられた。

仙台駅で友人と合流した。彼は、久しぶりに会った私の柄シャツに面食らいつつ「じゃ行こうか」と切り出した。思い返せば彼と会うたびにキテレツな柄物を身につけている気がする。あるときは赤アロハ、またあるときは『聖☆おにいさん』のTシャツ。浅はかに個性派原理主義に傾いているきらいがあるのでここいらでシンプルに美しい白シャツを断固求めなくては! 私は決心を新たにした。

まずは古着の王道セカンドストリートに向かった。前日までに予習していたシャツの各カラーをおさらいしつつ、理想像に沿う品を探す。良さげに感じられたものをよく確認すると肩に焦げがあったりする悲哀をいくつか経ながら店内のコーナーを巡っていると、長丈パンツのコーナーに「ピンクのゆ〜じ」を発見した。
数ある仙台名物のひとつに、ピンク色一色の装いに身を包んだ配達員がいることは、仙台をよく訪れる方ならご存知だろう。マスク、自転車、帽子に眼鏡に至る細かいところまでショッキングピンクを基調としたいでたちは一瞬でも見た者の目を捉えて離さず、人々の記憶の底流を鮮やかに染め上げる。仙台を歩いていれば5日のうち4日はどこかしらで遭遇するほど軽快かつ頻繁に彼は行き交う。彼こそは名を「ピンクのゆ〜じ」という。
我々の前に出現した「ゆ〜じ」はパンツコーナーに鋭く視線を走らせ、例に漏れずドギツいピンク色の逸品を引き出すところだった。個性派たらんとするならば、彼の境地を志さなくてはならない。

これぞ! という白シャツに巡り会えないまま何店舗か訪れる。なんだか店員さんに悪い気がする、と弱気になる私を友人は励ます。「悩んだらとりあえず、また後で来ます、って言えばいいんだよ。戻らなくてもいいし」
そうこうするうちに、かつて通っていた予備校が立つ通りまでやってきた。花屋やコンビニが軒を連ねているこの地域一帯は当時歩き詰めたこともあり馴染み深い。だから、すでに見慣れた気でいた、一見なんてことない雑居ビルの前で友人がぴたと足を止めたときは驚いた。「じゃちょっと襟を正して、参りましょう」と小声で彼が言いながらビルの階段を昇りはじめたので、私としても俄かに厳かな気持になりながら付いていく。目的地は2階にあるセレクトショップ「業(nariwai)」。

「これはいい」と心からおもえる服が存在すると私は信じていなかった。
しかしそれは、この店に足を踏み入れるまでのこと。目で見、指で触れ、手のひらをあてがった刹那内心に電光が走るのをまざまざと感じ取り、私は立ちすくんだ。念願していた白シャツに至っては、こんな言葉が口をついて出た。「ぼくはいまシャツのイデアを見ている気がするよ」……極限まで寡黙に抑えられた描線のシャツを前にして我々は二人で言葉を失くし、神妙に値札を裏返してナルホドとだけ短く囁いた。茶室かギリシャ神殿の祭礼を体感したかのような荘厳な顔つきで店をあとにした。知り抜いた気でいた街路に瀟洒なショップが潜んでいたことを悟り、クリア後のRPG世界みたいだと語らった。しばらく小声状態から脱せなかった。

のべ四時間の道行きの末、私は一着の白シャツを購入した。いちどは要検討に留め「また後で」と伝え退店したものの、ほかの店の品々を物色していくうちにその店「SHACK A LUCK(シャカラック)」で出会ったポロ・ラルフローレンの白レギュラーカラーへの愛着を深めていった。ふたたび戻った我々の顔を見て、銀髪の似合う素敵なお兄さんは「やっぱりね、これは間違いないっしょ」と破顔した。
時間をかけて比較検討したあとに購入できたのでなおさら、「いいもの」を買えた確信があった。春や秋にかけての活躍を期待したい。

彼と仙台駅で別れてふたたび広瀬川河川敷に舞い戻り、石段に腰掛け『ブランクスペース』を読みつつおにぎりを食べていたら、ふいに居ても立ってもいられなくなり、柄シャツを脱いで白シャツに着替えた。身に寄り添う布の質感を指でさすり、しばし恍惚とする。そして、夕陽を受けて橙色に染まった白鳥や鴨を眺めながら歩いて帰った。相変わらず彼らはパン屑を嬉々と喰らっていた。




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I.M.O. I.M.O.の蔵書から書物を1冊、ご紹介。 📚 かくれた次元/エドワード・ホール(日高敏隆・佐藤信行訳)