インスタント小説のあとがき
なんかプロの小説家みたいでかっこよくないですか。
自分で書いた小説ではあるのだけれど、読み返してみていくつか発見があったので書いてみたくなったのです。決してカッコつけているわけではありません!ほんとうです!信じてください!(くどい)
幼児に絵を書かせてその内面を探るみたいな心理学があるかと思うのですが、小説もそうだなと思いました。
冒頭のコーヒーのくだりは、まんま私です。梅干しのくだりは酸性とアルカリ性という共通点で紫陽花の話につながるクッションの役目ですね。紫陽花の色の違いについては、本当に私が二十年近く疑問に思っていたことです。いよいよ調べてみようと思ったときに、この小説のストーリーが自然と湧いてきました。コーヒーと梅干しのうんちくはできるだけ長ったらしくしました。めんどくさい男感の演出と、無駄に雑学に詳しい感じを出したかったのです。それも実際の私に似ています(笑)
私は、ずっと自分の心の世界を彷徨っていました。ぐるぐると終わりのないループですね。本やインターネットのおかげで情報が溢れ、救われる言葉や考え方に多く出会いました。そのたびに、心は確かに軽くなり、生きやすくなりました。でもなぜだか、その核たる中心部。魂というのでしょうか。そこが満たされない。頭では(脳のぴーちゃんは)理解している。わかっちゃいるけど止められない。そんな感じです。
そこから抜け出せない理由は、やっぱりというか、私の小さなプライででした。そりゃそうです。私はいわゆる鍵っ子で、保育園の時から母に大人であることを求められ、甘えを許されず、スーパーでご飯を買ったり、外食したり等の生活を一人でやってました。大人になって気づきました。そんな子供今の時代いやしねー!いたら助けてあげたい。物理的にも精神的にも頼れるものが無く、ひとりで生きてきたプライドを、そう簡単に捨てられるはずがなかったのです。私の全てなんですから。
そういう思いが、小説の主人公に重なっています。自分がずっとずっと抱えてきたものが、犠牲にしてきた時間が、人工知能にあっさり解決される。最大の屈辱です。オレってなんなの?ねぇ?そんな感じです。
救われるのに救われない
このパラドックスをどう受け止めるか。そこが課題なんだと思います。
残念ながら、その課題について、この小説で私は書いていませんでした。
何故なのか、たぶん、ストーリーがめちゃくちゃになってしまうからです。
世界線が変わってしまう。思考のステージが違うとでも言いましょうか。
さんざん思い悩んで、あっさり解決という皮肉が
この物語の肝であり面白さです。
パラドックスの受け止めについては、きっと色々な方法があると思います。
でも、私の場合それが瞑想だった。
これは物語に落とし込みずらい経験です。
突拍子がなく、つながりがない。なんのこっちゃですね。
以上。あとがきおわりです(笑)
