コロナの借金、まだ返してるんだよね──日経6万円の向こう側で
先日、ある社長さんとお茶をしていたらこんな話になった。
「コロナの時の融資、まだ返してるんだよね」
社長がポツリと発したとき、3年前と変わらず、表情はさえなかった。
テレビでは「日経平均、ついに6万円台!」とニュースが流れていた。
取引時間中、史上初の大台。
けれど夕方には熱が冷めて、終値は900円近く下げて5万9千円台に戻っていた。上がって、下がって、それでも「史上最高値圏」。
外では円安で外国人観光客がスーツケースを引いて歩いている。同じ日本の、同じ2026年4月の話。
ワシントンから聞こえてきた「日銀、遅すぎ」
そんな日の夜、こんなニュースをXで見つけた。
アジア開発銀行(ADB)総裁の神田真人さんが、ワシントンを訪問中の4月17日、記者団の取材にこう答えたという。
神田さんといえば、元・財務官。円安のときに為替介入を繰り返して「ミスター円」と呼ばれた人。市場の最前線で、円安と戦い続けてきた人物だ。
彼の論理はこうだ。
最大の要因は日米の金利差。日銀が「ビハインドカーブ(後手)」に回っていると市場が判断したら、円はさらに売られる。日本の財政の持続可能性への不安も、円売り要因になり得る。
なるほど、と思う。たしかに円安は困る。輸入品は高くなるし、スーパーの卵も、ガソリンも、電気代も上がる。
でも、私はすぐには”いいね”できなかった。
神田さんの言葉は、正確で、論理的で、たぶん正しい。
ただ、あまりにも静かで、冷たい。
そこにはお茶の湯気も、社長さんのため息もなかった。
さっきの、さえない顔をした社長さんの姿が、どうしても浮かんでしまった。
利上げ、って誰の話?
日銀が金利を上げるというのは、ものすごく雑に言えば「お金を借りるときの利息を高くする」ということだ。
これをやると、
円高になりやすい(海外から日本にお金が戻ってくる)
でも、借金のある人・会社は利息が重くなる
円安に困ってる人には朗報。でも、借金のある社長には……。
ここで、今日のニュースで私が一番気になった数字を書いておきたい。
東京商工リサーチによると、コロナ禍に実施された「ゼロゼロ融資」の借換保証を利用した企業は、2025年2月末時点で約30万件。そのうち8割が、据置期間2年以内。返済開始のピークは、2026年4月から9月。
つまり、今この瞬間から数ヶ月のあいだ、日本中の中小企業の社長さんたちが、「据置期間が終わって、いよいよ本格返済が始まる」タイミングに立っている。
私がお茶をしていた社長さんは、その一人だった。
「利上げしろ」vs「待ってくれ」──ああ、ややこしい
神田さんのような「利上げしろ派」の反対側には、会田卓司さん、永濱利廣さん、片岡剛士さんといったエコノミストがいる。彼らの主張はこうだ。
今のインフレは、円安と輸入物価による「コストプッシュ型」。国内の需要が強くて起きているインフレじゃない。賃金もまだ追いついていない。この段階で利上げしたら、やっと動き始めた賃上げの芽を摘んでしまう。
この主張を聞いたとき、私はまた社長さんの顔を思い出した。
彼の会社は、コロナで落ちた売上がまだ完全には戻っていない。
仕入れ値は上がり、人件費も上がり、それでも値上げは最小限に抑えている。「お客さんに逃げられるから」。
ここに利上げが来たら、どうなるか。
借入金の利息が上がる。銀行から新しく借りるのも難しくなる。事業の先行きが見えにくくなる。
神田さんの見ている景色は、ワシントンの会議室、為替のチャート、国債の利回り、市場の信用。
会田さんたちが見ている景色は、労働者の給料明細、中小企業の決算書、商店街のシャッター。

双方とも本気で日本のことを考えている。でも、見ている場所が違う。
30年続く、二つの流れ
実はこの対立、ただの意見の違いじゃない。
神田さんは、元・財務省の財務官。財政規律を守り、通貨の信用を守る──財務省の文化のなかで育ち、その最前線で戦ってきた人だ。
一方の会田さんや片岡さんは、ずっと財務省の財政再建路線に異を唱えてきた。
「国債60年償還ルールなんて日本にしかない」
「今は財政を絞るより、経済を温めるときだ」と。
2025年11月、高市政権が立ち上げた「日本成長戦略会議」の民間有識者としても起用され、政府の経済政策づくりの中枢に関わっている。
ざっくり言うと、緊縮派とリフレ派。日本の経済政策をめぐって、30年続いてきた対立の二つの流れだ。

「ちなみに『政治的には岸田政権的 vs 安倍・高市政権的』という分け方を見て、『ああ、これは政治の話なのね』と思わないでほしい」どちらの派閥にも、自民党にも野党にも支持者がいる。経済の見方の違いが、たまたまそのときどきの政権のカラーと結びついているだけで、これは政治の話というより、日本経済の根っこにある考え方の違いだ。
どちらも、本気で日本のことを案じている。それは間違いない。財政の信用が崩れても困るし、経済が冷えて人が苦しむのも困る。両方大事で、両方怖い。

だから、決着がつかない。
ただ──これは私の今の立ち位置として正直に書くけれど、社長さんとお茶を飲んだあの日から、私はリフレ派の目線のほうが、少し腑に落ちている。
今、目の前で苦しんでいる姿を見たら、放っておけない。
返済中の社長、値上げを我慢する商店、給料が物価に追いつかない働き手。ここを先に守らないと、通貨の信用を守ったところで、守る相手がいなくなる。そんな気がしている。
もちろん、これは今の私の、今の判断。数年後に「やっぱり神田さんが正しかった」と思うかもしれない。でも、今は目の前の人を見てしまう。経済の答えは、いつもあとからしか分からない。
「どっちが正しい」じゃない、のかもしれない
正直に言うと、私はずっと「どっちが正しいんだろう」と考えていた。
でも、社長さんの一言を聞いてから、そう思った。
どっちが正しい、どっちが間違っている、という話じゃないんだろう。
利上げすれば、円安の痛みは和らぐ。でも、返済中の社長は追い込まれる。 利上げしなければ、社長は助かる。でも、私たちの生活費は上がり続ける。
どちらを選んでも、誰かが泣く。
2026年の日本は、「みんなが幸せになる選択肢」がもう残されていない国になりかけているのかもしれない。
で、私たちはどうすればいいのか
経済の専門家じゃない私が、こんな大きな話にどう向き合えばいいのか。
最近、私はこう考えるようになった。
どっちに転んでも、即死しないポジションでいる。
たとえば家計でいえば、
円安がこのまま続いても困らないように、外貨建ての資産を少しだけ持っておく
利上げが来ても困らないように、住宅ローンの金利タイプを確認しておく
どっちに転んでも、全額は賭けない
「正解を当てる」んじゃなくて、「大外れしない」。
これは地味だけれど、予想が当たらない時代の、たぶん一番まともな歩き方だ。
社長さんの一言が教えてくれたこと
日経平均は取引時間中に史上初の6万円タッチ。外国人観光客でインバウンド景気。ニュースはそう伝える。
でも、同じ日の同じ時間に、「コロナの借金、まだ返してるんだよね」と言う社長さんがいる。
日本はひとつじゃない。いくつもの「別の日本」が、同じ地図の上に重なっている。

神田さんは、神田さんの日本を見ている。 会田さんや永濱さん、片岡さんは、別の日本を見ている。 そして私は、お茶の湯気の向こうにいた社長さんの日本を見ていた。
利上げのニュースを読むとき、あなたはどの日本を見ているだろう。
そして、あなたが見落としているかもしれない、もう一つの日本は、どんな顔をしているだろう。
参考:東京商工リサーチ「ゼロゼロ融資利用後倒産」各月レポート/ロイター「日銀『後手』と市場判断なら円安圧力、アジア開発銀の神田氏」2026年4月18日配信(発言は17日)/日本経済新聞「日経平均株価が初の一時6万円台」2026年4月23日/内閣官房「日本成長戦略会議」構成員資料
