仕事、お金、そして結婚・離婚。全ての決断の根底にある「あなたの人生観」を探る3つの問い
私たちは働く人生のなかで、ときに正解のない問いにぶつかります。
「目の前のやりたくない仕事に耐え続ける苦痛」と、 「やりたい仕事に手を伸ばせないまま過ぎ去っていく時間」。
どちらがしんどいと感じますか?
今、こんなことで悩んでいる人はいませんか?
どちらがしんどいと感じるかは人によって違うと思います。
どちらも私たちの心を重く縛りつけますが、その痛みの質はまったく異なります。
一方は足に重りをつけられて走り続けるような苦しさであり、もう一方は檻の中から青空を眺め続けるようなもどかしさです。
この2つの「しんどさ」の狭間で揺れているあなたへ。
答えを急ぐ前に、いくつかの問いを自分の心に投げかけてみませんか。
問い1:あなたにとって仕事は「生活の手段」か「自己表現」か?
仕事に対する価値観が一番大きく出てくるところかも知れません。
そして、お金に対しての価値観も大きく出てくる部分です。
多少の理不尽なことも給料が振り込まれた通帳を見た瞬間に、そんな気持ちが消えてしまう人もいるでしょう。
反対に、どうしても、お金と相殺することができない人もいるのではないでしょうか?
これはどちらが正しいという話ではなく、仕事やお金に対する価値観の根本的な違いです。
もっと言うならば、「人生観」の違いというのでしょうか。
時々、自分でも何を求めているのかわからなくなる時がありませんか?
まず、あなた自身が「仕事」という営みに何を求めているかを掘り下げてみましょう。
*******************************************************************
もし、仕事の本質を「生計を立て、プライベートを豊かにするための手段」と割り切っているなら、本当に辛いのは「やりたくない仕事」の方かもしれません。
自分の時間や精神を理不尽に削られることは、生活の基盤そのものを脅かすからです。
一方で、仕事に「自己実現」や「自分の存在意義の証明」を強く求めている場合、深刻な毒となるのは「やりたい仕事ができないこと」です。
どれほど条件が良くても、情熱を注げない日々は、まるで自分という存在が社会から透明化されているような錯覚をもたらします。
あなたは仕事に「安心」を求めていますか?
それとも「意味」を求めていますか?
問い2:今のしんどさは「身体的疲労」か「精神的飢餓感」か?
次に、今あなたが感じている「しんどさ」の輪郭を観察してみてください。
やりたくない仕事がもたらすのは、「心の摩耗(疲労)」です。
嫌なことに耐え、気を使い、やりたくない作業にエネルギーを注ぐことで、ライフポイントが削られていく感覚。
これは「もうこれ以上、自分を削りたくない」という悲鳴です。
一方で、やりたい仕事ができないことがもたらすのは、「心の飢餓(不完全燃焼)」です。
満たされない欲求、発揮されない情熱、どこにもぶつけられないエネルギーが、自分の内側でじわじわと腐敗していく感覚。
「もっと自分を使い切りたい」という渇きです。
今のあなたの心は、過剰な負荷に悲鳴をあげていますか?
それとも、受け皿のない情熱に飢えていますか?
問い3:5年後、より耐えがたいのは「失敗の後悔」か「やらなかった後悔」か?
最後に、少し未来の自分になりきって振り返ってみてください。
5年後の自分が、今の選択を振り返ったとき、どちらの道により深い吐き気を覚えるでしょうか。
「嫌な仕事に耐え続け、疲れ果ててしまった5年間」
「安全な場所に留まり、本当にやりたいことから逃げ続けた5年間」
前者は「被虐の苦痛」であり、後者は「停滞の悔恨」です。
人は「挑戦して失敗した苦痛」には時間とともに折り合いをつけられますが、「挑戦すら拒んだ不満」は年を重ねるほどに重く、打ち消しがたい後悔となって心に澱(おり)のように溜まっていきます。
結び:自分の「ゆずれない軸」をあぶり出す
「やりたくない仕事の苦痛」と「やりたい仕事ができない不満」。
どちらがより「しんどい」かという問いに、万人に共通する答えはありません。
なぜなら、その答えは「あなたが人生で何を一番嫌い、何を一番大切にしているか」という価値観そのものだからです。
嫌なことに耐え続ける人生が嫌なのか
情熱を殺して無難に生きる人生が嫌なのか
この問いに向き合うことは、自分がどんな生き方を望んでいるのかという「軸」をあぶり出す作業でもあります。
ここまでは「やりたくない仕事をしなければならない苦痛」と「やりたい仕事ができない苦痛」。
どちらがしんどいかということに関して考えてきました。
仕事もお金も、すべては自分の人生観そのものが形になっているものだと思うのです。
人生の選択を迫られるのは仕事だけではない
結婚や離婚なども、自分の人生として向き合った時に大きな決断を伴うものです。
結婚よりも、むしろ、離婚の方が色々な痛みを伴います。
特に女性の場合、そこには経済の問題が嫌でもついて回りますが、お金がなくてもあえて苦難の道を歩く決断をする人も沢山います。
その決断の先には、どこかすがすがしい気持ちと、決断した自分への信頼が生まれたりします。
逆に、経済的な苦労をしたくなくて、離婚できない人もいるでしょう。
その場合には、引き換えに理不尽なことにも耐える覚悟が必要になる場合もあると思います。
いずれにしても最終的な決断こそ、その人が求めている人生観そのものではないでしょうか?
そして、これもどちらがいいとか悪いとかの話ではありません。
どちらも、本人の決断の結果ですから。
📌人生の岐路で迷うあなたへ
ですからもし今、どちらのしんどさの中にいるとしても、焦って無理に答えを出す必要はありません。
ただ、「自分は今、どちらの痛みを抱えているのか」を静かに見極めること。
自分の痛みの正体を知ることからしか、新しい一歩を踏み出す力は湧いてこないのですから。
自分の気持ちを確認する作業は、本当に痛みを伴うものです。
でも、そのことから逃げ続けていると、決断できない痛みをずっと抱えることになります。
「新しい人生の始まり」への扉を開けることによって、その痛みは完治へ向かい始めます。
一度決断したからと言って、ずっとそうしなければならないこともありません。
迷ったり、決断したり、長い人生には何度もそんなことが訪れます。
何度も何度も、迷いと決断を繰り返しながら人生は続くものかもしれませんね。
もしも、今、あなたが何かの迷いの中にいるなら、痛くても自分の本心を探してみてください。
そして少し時間を掛けてでも、「決断できなかった自分への後悔」を残さないようにしてほしいなと思います。
今、この記事を読んでくださっているそこのあなたは、多分私より年下かもしれませんね。
この記事が、何かのご参考になることがあれば幸いです。
そして、もしも私より年上の方がいらしたら、きっと、「そうだそうだ」と共感してくださることもあるかもしれません。
そうであればとても嬉しいです。
不思議ですね。
この記事を書きながら、自分自身も「決断するたびに悩んだ日々」がいつしかいとおしく感じてくるのですから。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
