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午後の名言セラピー⑨|欠けていることは、価値がある理由―老子とインドの民話

自分に欠けているところ。
できていないところ。

年齢を重ねるほど、
なぜかそこばかりが気になる日って、
ありませんか。

もっと要領よくできたら。
もっと強かったら。
もっと完璧だったら。

そんなふうに、
自分の“足りなさ”を数えてしまう”午後”

今日は、
そんなときに思い出してほしい
インドの民話を最初に。

🏺 かけた水がめ(インドの民話)

むかしむかし、ある村に、
毎朝、川へ水を汲みに行く人がいました。

天びん棒の両端には、
ふたつの水がめ。

ひとつは、
ぴかぴかで、水が一滴ももれない
完璧な水がめ。

もうひとつは、
小さなヒビが入っていて、
帰り道、
ぽたぽたと水がこぼれてしまう水がめでした。

完璧な水がめは、
いつも誇らしげ。

一方、ヒビのある水がめは、
家に着くころには水が半分になり、
申し訳なさそうにしていました。

ある日、
ヒビのある水がめが言いました。

「ごめんなさい。
ちゃんと水を運べなくて……
あなたの役に立てていない気がするのです」

すると、水を汲む人は、
にっこり笑って、こう答えました。

「帰り道に咲いている花を、見たかい?」

「きみのほうの道にだけ、
花の種をまいたんだ。
きみからこぼれた水で、
花が咲いたんだよ」

ヒビがあったからこそ、
道には花が咲いた。

もし、完璧だったら、
その景色は生まれなかったのです。

欠けているから、生まれるもの

私たちはいつの間にか、
「欠けていないこと」
「ちゃんとしていること」を価値だと
思い込んでしまったのかもしれない、と。

でも本当は、
欠けているからこそ、
にじみ出るやさしさや、
人を癒す何かがある。

不器用さ。弱さ。遠回り。

それらが、
誰かの心を潤していることも、
きっとあるのです。

老子・第22章

曲則全、枉則直、窪則盈、敝則新、少則得、多則惑

欠けているように見えるものほど、
かえって全体を保つ。

まがっているものほど、
やがてまっすぐになる。

空いているところがあるから、
そこに満ちる。

古びたものだからこそ、
新しく生まれ変わる。

少ないからこそ、
本当に大切なものが見えてくる。

老子は、
「完全であること」よりも、
欠けたままで大丈夫と励ましてくれます。

あなたの中の小さなヒビも、
気づかないうちに、
どこかで花を咲かせているかもしれません。

欠けたままでも
整っていなくても

それでも、
人生はちゃんと流れていく。

そんなふうに思うと
少し肩の力が抜けませんか?

あなたも欠けたままで
私も欠けたままで
それぞれの午後を歩いていきましょう。

花子


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