なぜ僕たちは、知らない高校生を応援したくなるのか#312
今年の夏、私の母校が甲子園に出場している。
姉も同じ高校を卒業しており、
1回戦を快勝し、母と姉がとても喜んでいて
興奮した連絡が届いた。
自分が通っていた高校の名前が、
甲子園の出場校としてテレビに映る。
それだけで、なんだか特別な気持ちになる。
「今日は勝ったかな」
「次はどこと対戦するんだろう」
SNSを開けば、母校の試合結果が目に入る。
家族で同じ高校を応援していると、
自然と会話も増える。
「試合見た?」
「次も勝ってほしいね」
そんな何気ない会話をしていると、ふと思った。
なぜ僕たちは、こんなにも誰かを応援したくなるのだろう。
もちろん、母校だから応援する理由がある。
いろいろな思い出がある。
在学していた時、現監督さんから社会科を学んでいた。
でも、母校ではない高校の試合でも、
夢中になって一球速報を追ってしまう。
知らない選手。
知らない学校。
自分とは何の関係もないチーム。
それでも、試合を見ていると
拍手を贈ってしまう。
これは、なぜなのだろう。
母校だから応援する。でも、それだけではない
母校を応援する理由は、分かりやすい。
そこには自分の思い出があるからだ。
そう考えると、応援したくなるのは当然なのかもしれない。
甲子園の魅力は、母校の試合だけではない。
私が高校野球を見ていて惹かれるのは、
選手たちが甲子園のグラウンドに立つまでに
どれだけの努力を積んできたのかが
想像できるからだ。
ピンチで、エラーを想像してしまう。
チャンスで打てない。
点を取られてしまう。
それでも、次のプレーに向かう。
ベンチとスタンドにいる仲間が声を出す。
プロ野球選手のプレーを見るのとは、
少し違う感情がある。
「野球」ではなく、
「高校野球ファン」が存在する。
もちろん、プロの技術には感動する。
でも高校野球には、そこに至るまでの努力や、
最後の夏に懸ける思いがみえる。
だからこそ、心が動く。
僕たちが応援したくなるのは、
一球一球のプレイから、
選手の一生懸命な姿が伝わってくるからだ。
人は「何をしているか」より「どう向き合っているか」に心を動かされる
これは高校野球に限った話ではない。
仕事でも同じだと思う。
突出した大きな成果を出している人を見ると、
「すごいな」と思う。
でも、それだけでその人を応援したくなるわけではない。
まだ結果が出ていなくても、
一生懸命頑張っている人を見ると、
「頑張ってほしい」と思っていることがある。
新しい仕事に挑戦している人。
失敗しても諦めない人。
不器用ながらも、毎日努力している人。
そういう人を見ると、なぜか応援したくなる。
たぶん、結果だけをみているわけではない。
その人が、どんな気持ちでそこに立っているのか。
どれだけ努力してきたのか。
どれだけ本気で向き合っているのか。
そういう部分を、無意識のうちにみているのだと思う。
だからこそ、甲子園でも勝敗関係なく
拍手が送られる。
試合に負けた瞬間、それまで応援していた選手たちが泣いている。
勝敗だけが関係していない。
最後まで一生懸命だったから、心が動く。
応援することは、自分自身も前向きにしてくれる
誰かを応援していると、
不思議と自分まで前向きになる。
高校野球を見ていると、それを強く感じる。
高校生が、たった一度しかない夏に懸けている。
野球を始めた頃から憧れだった
甲子園でプレイすることを実現している。
数万人いる球児のなかで、
甲子園でプレイできるのは、
毎年春夏合わせても、1,000人程度。
10%にも満たない。
勝っても負けても、
その一瞬に全力を注いでいる。
プロになることよりも、
甲子園でプレイすることを
夢にしている人の方が多いと思う。
応援するということは、
相手に力を与えるだけではない。
応援している自分自身も、力をもらっている。
だから、誰かを応援することが好きな人は、
きっと「結果」だけではなく、
「過程」をみることができる人なのだと思う。
成功した人だけを応援するのではなく、
まだ途中にいる人にも「頑張れ」と言える。
それは、すごく素敵なことだと思う。
人の心を動かすのは、
必ずしも「何をやっているか」ではない。
野球だから感動するのでもない。
甲子園だから応援するのでもない。
そこにいる人たちが、
本気で何かに向き合っているから、
応援したくなる。
何をやるかではなく、一生懸命な姿に心が動く。
だから、知らない高校生でも応援したくなる。
だから、母校ならなおさら応援したくなる。
そして、誰かを応援しているうちに、自分もまた頑張ろうと思える。
今年の夏、母校の甲子園を見ながら、
そんなことを考えてみた。
枡田泰明
