『37.5℃青春、微熱。』で古のコピペを思い出す。
特別なライブ、特別な瞬間って何だろうと考える。
僕にとって、夏フェス、ワンマン、解散(卒業)の3つは特別なライブだ。それは、高い期待感を持ってライブを観る人の数だと思う。
同様に夏の勝負曲が好きだ。
これらに共通する要素は、見る側に緊張を強いるような、そんな時間であるということ。期待感も緊張も近しいところにある感情なのだと思う。
これまで積み重ねた日々を高い密度で一瞬で巡るような、そんな緊張感をくれる曲が好きだ。
Merry BAD TUNE.最新曲の『37.5℃青春、微熱。』は、6人体制の"今"に良い緊張感をくれる曲だと思う。
バチュンはこの緊張感を良い形でフロアにもステージにも表現できるグループで、僕はこのグループに深く期待し続けているんだなと改めて思う。
『37.5℃青春、微熱。』で「治さなくていいから」と歌いあげる姿に、俯瞰的で賢くあろうとする自分を重ねた。
自分が俯瞰的であろうとするきっかけとなった文章として、2chの國府田マリ子コピペという名文がある。
深い絶望が伝わってくる名文だと思う。
こうなったらダメだという道徳の授業のような学びがある。
『37.5℃青春、微熱。』で、青春を微熱のようだと歌う。アイドルというのは非現実的な世界で、特別なハレの日なのだと思う。
アイドルは楽しい。
楽しいが、アイドル世界の非現実性に気づき、今の熱が病気ではないかと気づくときがある。人は賢くあろうとするから、タイパを求め、最強の装備や攻略法を探す。
賢くあろうとすれば、アイドルを推すのはムダになる。正しい人生において、もっと優先すべきことはある。だから、下の文章はおそらく真実に近しい。
我々を惨めなファンだと笑う奴に言いたい。某かのファンという地位の時点で既に人生では負けている
でも、ここで逆転して考えたい。
正しいから、アイドルを推したかったのか?
僕は正しさが欲しかったのか?と。
答えは否だ。
正しさが苦手だ。団体行動なんてしたくないし、勤勉でありたくもないし、働きたくもない。社会不適合というより、社会不適格だ。時間を守れず、浴びるように酒を飲み、ギリギリで生きている。そんな人がいっぱいいるアイドル現場が好きだ。
アイドルを約7年推す中で、卒業も解散も観てきた。
で、気づいたことは、結局、推したことに後悔なんてない。
アイドルがいて、オタクがいて、そしてまたアイドルがいる。僕はアイドル文化が好きだ。これまでもこれから先も。
何かを受け継いで、繋がれていく物語の中で、僕は今いるオタクの熱を冷笑しないし、させたくはない。
子供の頃、カードゲームをやめてから、友達は"ムダ"と言った。今使わないデッキは確かにムダなのかもしれない。でも、引き出しに入った青眼の白龍はずっと最強の切り札で、ムダなんて何一つないのだと信じる。
メリーバッドエンドは、誰か視点ではハッピーエンドで、誰かの視点ではバッドエンドになる物語を指す。
きっと、誰かからはアイドルに熱を入れて、チェキを山のように抱えて、卒業や解散したら全ておしまいなんてバッドエンドに映るんだろう。
賢くあろうとする自分が人からみじめにみられるのを嫌う、そんな気持ちはある。
『37.5℃青春、微熱。』では、微熱を「治さなくていいから」と歌う。
僕も治さないでいようと思った。
僕はアイドルのいる13月の世界にいて、誰かにとって僕は愚か者であり、僕にとって、最高の物語を観ていたい。
微熱のまま、変わらずにいられたら。
そうありたいと思った。
