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織田信長 ~「うつけ」から始まり、「魔王」と呼ばれた生涯~

皆さんが歴史を好きになったのはいつからですか?

  • 小学生の時から好きだった

  • 大人になってから好きになった

  • 昔も今もずっと嫌いなままだ

まあ、人によって様々だと思いますが。

私は大人になってから歴史を勉強するようになりました。
理系だったので、あまり高校や大学で歴史を学ぶ機会が多くなく、心残りがあったのです。
時空覇王伝というゲームをプレイするうちに、歴史上の人物に興味を持つようになったというのもあります。


さて今回読んだのは、小沢 章友 著『織田信長 炎の生涯』です。
小中学生向けに書かれた伝記です。

この手の本は、子ども向けだと思って侮らない方がいいです。
中身はしっかりとした伝記小説です。

漢字には全てふりがながふってあるし、挿絵も豊富です。
しかしそれでも、歴史が苦手だったり、読書習慣が身に付いていない小学生や中学生に無理に読ませるのは難しいかもしれません。
とはいえそれは大人でも一緒で、歴史に全く興味のない大人が本書を読むのはキツイと思います。

逆に歴史にちょっとでも興味がある人であれば、子どもでも大人でも楽しめる本です。


【超要約】織田信長

  • 若年期は奇行もあり、「大うつけ者」と呼ばれる

  • 桶狭間の戦いで今川義元を破り、一気に名が知れ渡る

  • 京都に進出し、「楽市楽座」などの政策を行う

  • 各地の大勢力と戦いながら天下統一へ迫る

  • しかし本能寺の変で急死し、志半ばで生涯を終える


織田信長の転機3つ

桶狭間の戦い(1560年)

圧倒的な大軍(兵数およそ2万5千という説あり)を率いた今川義元に対し、織田信長がわずか数千の兵で奇襲を仕掛け、勝利した合戦です。
この勝利で「うつけ」の評価が一転し、周辺勢力から一気に注目される存在になりました。

長篠の戦い(1575年)

天下無敵と言われた武田勝頼率いる騎馬隊に対し、鉄砲や馬防柵を使って勝利した合戦です。
鉄砲隊による三段撃ちが有名ですが、後世の創作ではないかとも言われています。

本能寺の変(1582年)

天下統一目前だった織田信長が、家臣の明智光秀に裏切られ、京都の本能寺で襲撃されてその生涯を終えた事件です。
信長の野望はここで断たれ、以後の天下取りは豊臣秀吉へ引き継がれていきます。


織田信長が人気の理由

好きな歴史上の人物ランキングでは、世代を問わず圧倒的な人気を誇ることが多い信長です。
人気の理由は色々あると思います。

生き様にドラマ性がある

織田信長の生涯にはドラマ性がありますね。
「桶狭間の戦い」では、兵数で圧倒的な差があったにも関わらず、今川義元を討つことに成功します。
奇襲する際、偶然にも豪雨が降り視界が悪かったことや、今川義元が休憩して油断していたことなど、信長にとって幸運が重なりました。

奇襲直前まで今川義元は、勝利を確信し慢心しきっており、宴会を開き酒を飲んでいたという説があります。本書でもそのように描写されています。
真偽はともかく、今川義元に対する世間のイメージは「慢心から油断して戦に負けた愚将」というものになってしまいました。

今川義元

また、「本能寺の変」によって道半ばにして生涯を終えた、というあまりにも有名な信長のエピソードがあります。
明智光秀が謀反を起こした理由も謎に包まれています。
人々の想像をかきたてる、日本史上最も有名なクーデターと言って良いでしょう。

名前が覚えやすい

歴史が苦手だったり、興味がない人にとって、「パッと名前が思いだせる」というのは重要なポイントです。
藤原とか足利とか徳川とかは、同じ苗字の人物が何人もいますし、名前は知ってるけど何をした人か思い出せないというケースも多いと思います。

その点「織田信長」は覚えやすい。
おまけに「本能寺の変」というめちゃくちゃ分かりやすい歴史上の出来事もセットで覚えられます。

キャラクター性の強さ

「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」って元ネタはなんだろうって思い調べてみたところ、江戸時代後期に書かれた『甲子夜話かっしやわ』という随筆集の中で紹介されていた川柳なんだそうです。

織田信長の性格のイメージといえば、「短気」「怖い」「パワハラ」「残虐」「魔王」みたいな感じですよね。
(ちなみに信長は「第六天魔王」って自分で名乗ってます)
信長の残虐性を最も強く感じるエピソードはやはり「比叡山焼き討ち」でしょうか。
山全体が火の海となり、僧侶や女子供なども含め、およそ3,000人~4,000人が犠牲になりました。

従来の常識にとらわれない考え方をし、革新的なものを好んだという点は、個人的に信長に興味を惹かれるポイントです。


まとめきれなかった点は別記事にするかも

信長の生涯をざっと追うだけでも、「うつけ」と呼ばれた青年が、時代を大きく動かした人物だったことが伝わってきます。
一方で、信長が行った政策や、秀吉・家康との関係など、今回書ききれなかった面もまだまだたくさんあります。
また機会があれば、そのあたりも別記事でまとめてみたいと思います。

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