人生は苦である、でも死んではいけない
有用性に意味はない
「嫌われる勇気」の著者である、岸見一郎さんの著書です。
病や老いが、良くないことだと
否定的に見られるのはなぜでしょうか?
それは、人間の価値が
生産性の観点でしか見られていないからです。
人間の価値は生きていることにあります。
病や老いは、善でも悪でもありません。
健康を取り戻すまでの人生も仮のものなどではなく、治療を受けている今この人生しかないのだ。病気の時に本来的ではない不完全な人生を送っているわけではないのである。
病気になって思い通りに人生を生きることはできないことを知ると、急がなくても、寄り道をすることも立ち止まることもあってもいいのだと思えるようになる。
まだ若いのに、10年後のことを計画したり、
老後のことまで設計しようとする人がいます。
ところが、病気になればその計画はたちまち狂います。
世の中が回っていくためには、
たしかに働くことは必要です。
だからといって、働けるか働けないかは、
本来的には人間の価値には何の関係もないことです。
仕事は、できる人が、できる時にする。
ただそれだけのことです。
人は生きているだけで他者に貢献している
病気である当人は
「どんな状態の自分であっても、
他者は自分のことを受け入れてくれるはずだ」
と思うことが大事です。
大事なのは「貢献感」を持つことです。
自分が何かしら役に立てていると感じられれば、
そのような自分に価値があると思えるようになります。
「役に立つ」というのは、何も行動だけに限る必要はありません。
家族や親しい人が病気になった時はたしかに一日も早い回復を望むけれども、まず、とにかく生きていてくれさえすればありがたいと思う人は多いのではないだろうか。
病者が生きているということがすでに喜びであり、
生きているというだけで病者は他者に貢献しているのです。
人は進化しているのではなく、ただ変化しているだけ
病気は「敗北」ではありません。
病者は敗北したわけではなく、病気に征服されたわけでもなく、病魔に侵されたわけでもありません。
同様に、治癒した人が勝利したわけでもありません。
リハビリを受けている人が、
徐々に長い距離を速く歩けるようになったとして、
後からリハビリを始めた人を追い抜くことができたのなら、
その人より優れていると言えるのでしょうか?
そんなことはないはずです。
それぞれの人が自分のペースで歩んでいるだけのことです。
治療を受けたり、リハビリに励むのは、マイナスの状態からプラスの状態になるためではない。また回復は病気の前と同じ状態に戻ることでもない。そもそも回復できない病気がある。だがそれでも、リハビリをしても意味がないということにはならないのだ。
すでに見てきたように、人の価値は生きることにあるのだから、病気であるか健康であるかは関係ないのだ。
健康な人が病気になることも、年を重ねて無理がきかなくなることも、
以前の状態と今を比べて進化したとか退化したなどと思わなくていいのです。
他者からの援助を求めていい
人は誰でも生きている限り、誰かに迷惑をかけるものです。
どんな時も何もかも、自力で課題に取り組まなければならないということはありません。
「援助を求めたら迷惑をかけるかもしれない」
ということは考えなくていいのです。
大事なのは、心の自立です。
生きる姿勢が依存的ではなく自立しているのなら、
行為の面で必要があれば、他者の援助を求めていいのです。
これは依存とは違います。
他者に依存して生きることを当然と思う人とは違い、
自力でできることは自分でするけれど、
自力でできないことであれば、
他者に援助を求めていいのです。
