見出し画像

徳川家康 ~最後まで勝ち残った凡人~

徳川家康は、織田信長や豊臣秀吉のように、強い個性や派手な成功で人を圧倒するタイプではありませんでした。
どちらかといえば慎重で現実的。
その場の状況に合わせて粘り強く動いていく人物でした。

ただ、戦国時代を最後まで生き残るうえで必要だったのは、むしろそういう力だったのかもしれません。
家康は、信長や秀吉ほど目立つ存在ではないのに、なぜ最後に天下を取り、その後の体制まで長く続く形にできたのでしょうか。


家康はなぜ信長・秀吉ほど目立たないのか

織田信長と豊臣秀吉は、どちらも「物語にしやすい」人物です。

信長は、古い秩序を壊していく革新者としての印象がとても強い。
比叡山焼き討ちにせよ、楽市楽座にせよ、常に時代を揺さぶる存在でした。

秀吉は、農民の出自から天下人にまで上がっていった人物です。
出世物語としてわかりやすいし、人を引きつける華やかさもある。
戦だけではなく、政治の場でも前に出る力がありました。

それに比べると、徳川家康は少し分かりにくい。
信長のような激しさがあるわけでもないし、秀吉のような派手な立身出世の物語があるわけでもない。
むしろ家康は、敗北や屈従も経験しながら、時間をかけて少しずつ力をためていった人物でした。
そのせいか、どうしても地味な印象があります。


家康の強みは「勝つこと」より「生き残ること」だった

歴史では、「少ない兵で不利な状況をひっくり返した」といった話がやはり人気です。
源義経の「鵯越の逆落とし」や、信長の「桶狭間の戦い」などは、その典型です。

源義経

ですがこうした奇策はあくまで奇策。
戦いの基本は、奇跡のような一発逆転ではなく、勝てる条件を先に整えることです。
兵力や同盟、補給、退路。そういうものを一つずつ押さえていく。
家康が強かったのは、まさにそこでした。

派手な勝負に出るというより、無理をしない。
負けそうなら持ちこたえ、勝てる形になるまで待つ。
遠回りに見えても、最後まで残るためにはそのほうが強かったのだと思います。


関ヶ原は奇跡の逆転というより、準備の積み重ねだった

関ヶ原の戦いも、家康が戦場で鮮やかな戦術を決めて勝った、という印象はあまりありません。
あの戦いは、戦場に行くまでの準備がかなり大きかったはずです。

勝敗を決定づけたのは小早川秀秋の裏切りだったとよく言われますが、諸説あります。

小早川秀秋

ただ、少なくとも言えるのは、家康が事前の根回しによって西軍を一枚岩にさせなかったことです。
相手に兵がいても、それが思うように動かなければ、その時点でかなり違ってきます。

関ヶ原は、派手な奇策でひっくり返した合戦というより、家康が慎重に勝てる形を作っていった結果だと見るほうがしっくりくるのではないでしょうか。


家康の大きさは、天下を「続く形」にしたところにある

家康のすごさは、天下を取ったことだけではありません。
取ったあと、それが簡単には崩れないようにしたところにあります。

たとえば大名配置です。
譜代大名を要地に置き、外様大名は遠ざける。
そうして、反乱が起こりにくい形を作っていきました。
戦で勝っただけで終わらず、次の戦が起きにくいようにしていったわけです。

さらに重要なポイントとして、家康は「自身の天下」で終わらせず、
「徳川の天下」にしたということが挙げられます。

家康個人が強いだけでは、死後に崩れてしまいます。
だから将軍職を秀忠に譲って、政権が個人のカリスマではなく、家の仕組みとして続いていくことを示しました。

ここが最も家康らしい点かもしれません。
信長も秀吉も、政権が本人の力量に強く依存していました。
でも家康は、自分一代の勝利で終わらせないことを考えました。

天下を取ることより、その後も続く形を作ることに重きを置いていたように思えます。


地味だからこそ、最後に勝てた

家康には、信長のような革命家らしさも、秀吉のような英雄的な出世の物語もありませんでした。
だから最初は印象が薄く見えるのかもしれません。

でも、戦国のような不安定な時代で最後にものを言うのは、派手さではなかったのかもしれません。
大勝ちすることより、負けても終わらないこと。
無理に前へ出すぎず、残ること。そこに家康の強さがありました。

しかも家康は、天下を取って終わりにしなかった。
それを長く続く秩序に変えていきました。
ここまで含めて見ると、家康の強さはかなり独特です。
目立たないけれど、最後に勝ち残ったのは平凡な男でした。

「人の一生は重荷を負ふて遠き道を行くが如し。急ぐべからず」


参考文献

  • 本郷和人『徳川家康という人』

いいなと思ったら応援しよう!