掌編夜話集 ep6|桜の思い出
夜、老舗Barオシャンティに、春の匂いが入り込んだ。
カウンターに座った常連の女性が、ふと窓の外を見ながら言う。
「桜、もうすぐ咲きますね」
「そうですねぇ。今年は早いみたいですよ」
ジェイコブはニコニコしながら返したが、 その言葉に、手元の布がゆっくり止まった。
「どうかしました?」
「いえいえ。ちょっと思い出しただけですよぉ」
女性が首をかしげると、 ジェイコブは照れたように笑った。
「昔ねぇ、ここで桜のカクテルを頼んだお客さんがいて。 “春が来たらまた来るよ”って言ってたんですけどねぇ… 結局、そのまま会えなくて」
「そうなんですか」
「ええ。でも、あの人が来るかもしれないと思うと、 毎年この時期はちょっとそわそわするんですよ」
ジェイコブはシェイカーを軽く振り、 淡いピンク色のカクテルを作った。
「はい、“春待ち”です。今日はこれがいいですよ」
女性は嬉しそうに受け取り、 「その人、また来るといいですね」と微笑んだ。
ジェイコブは少しだけ目を細めて、 「ええ。来たら、ちゃんと作ってあげますよぉ」 と静かに言った。
