「子どもは何人まで?」を家が決めてしまう時代
子どもを何人持つか。
本来それは、夫婦や家族が考えることだと思う。
もちろん、年齢、仕事、収入、体力、教育費、夫婦の価値観など、さまざまな要素が関係する。
簡単に決められることではない。
ただ最近、もう一つ大きな要素があるように感じる。
それは、家である。
今の日本では、子どもを何人持てるかを、家が決めてしまっているのではないか。
もちろん、日本全国の住宅が一律に狭くなっているわけではない。
地方や郊外に行けば、今でも70㎡以上のマンションはある。
戸建てであれば、80㎡、100㎡を超える家も珍しくない。
だから、「日本の家はすべて狭くなった」と言うと、少し乱暴だと思う。
ただ、問題はそこではない。
仕事、教育、医療、通勤、資産性を考えて、都市部や利便性の高い場所に住もうとしたとき、現実的に選べる住宅の広さが、60㎡台後半から70㎡前後に収束しやすくなっていることだ。
実際、首都圏の新築マンションの平均専有面積は、近年おおむね60㎡台後半で推移している。
東京23区に限れば、さらに少し小さくなる。
つまり、都市部で新築マンションを買おうとすると、70㎡前後、あるいは70㎡を少し切るくらいの住戸が、かなり現実的な中心になる。
ここで考えたいのは、70㎡前後という広さの意味が変わってきていることだ。
70㎡前後の3LDKは、かつては「普通のファミリー住宅」だったと思う。
夫婦と子ども二人が暮らす家として、特別に広いわけではないが、標準的な広さとして受け止められていた。
リビングがあり、夫婦の寝室があり、子ども部屋があり、最低限の収納もある。
4人家族が暮らす家として、ある程度自然なサイズだった。
しかし今の都市部では、その70㎡前後の住宅自体がかなり高額になっている。
つまり、昔の70㎡は「普通に選べるファミリー住宅」だったが、今の70㎡は「これ以上広い家はなかなか買いにくい中で、何とか手が届く上限に近いファミリー住宅」になっている。
同じ70㎡でも、意味が変わっている。
昔は、70㎡が標準だった。
今は、70㎡が上限に近くなっている。
だから、70㎡の家に住めないという話ではない。
夫婦と子ども一人なら十分現実的だし、子ども二人でも工夫すれば暮らせる。
ただ、三人目を考えた瞬間に、部屋数、収納、勉強場所、家族それぞれの逃げ場が一気に足りなくなる。
70㎡は「住める広さ」ではある。
しかし、「家族をさらに広げる余白がある広さ」とは限らない。
ここに、今の都市部住宅の難しさがあると思う。
家族が増えるということは、単に寝る人数が増えるということではない。
収納が必要になる。
洗濯物が増える。
学用品が増える。
習い事の道具が増える。
ベビーカー、自転車、季節家電、子どもの作品、家族それぞれの荷物が増えていく。
そして、物だけではない。
音も増える。
予定も増える。
感情のぶつかり合いも増える。
子ども同士が距離を取りたいときもある。
親が一人になりたいときもある。
誰かが体調を崩したとき、少しこもれる場所が必要なこともある。
家族が増えるには、ある程度の「余白」が必要なのだと思う。
もちろん、都心に住むことには大きな価値がある。
通勤時間が短い。
保育園や学校、病院、商業施設に近い。
車がなくても生活できる。
共働き世帯にとって、立地の良さは生活を支える重要なインフラである。
だから、「狭くても都心に住む」という選択を否定したいわけではない。
むしろ、多くの家庭にとって、それは現実的で合理的な判断だと思う。
さらに、多くの人は家を買うときに「資産性」も考える。
将来売れるか。
貸せるか。
値下がりしにくいか。
駅から近いか。
需要がある間取りか。
そう考えるほど、郊外の広い家よりも、都市部のコンパクトで売りやすい家を選びやすくなる。
これは個人としては合理的な判断だと思う。
住宅ローンを背負う以上、将来の出口を考えるのは当然である。
しかし、その合理的な判断が、家族計画を狭めていく。
本当は子どもが三人いてもいいと思っていた。
でも、この家では二人までかな。
本当はもう少し広い家がいい。
でも、資産性を考えるとこの立地を捨てにくい。
そうやって、家族の希望が、住宅市場の合理性に合わせて少しずつ調整されていく。
住宅を買うとき、多くの人は無意識に考えると思う。
子どもは一人なら大丈夫かな。
二人でもなんとかなるかな。
三人はさすがに厳しいかな。
本来は、どんな家族を持ちたいかが先にあって、その家族に合う住まいを選べるのが理想だと思う。
しかし現実には、住宅価格と供給される間取りが、家族の人数に上限を決めてしまっている。
政府は少子化対策として、児童手当、保育料支援、出産費用の補助、育休制度の整備などを進めている。
それ自体は重要だと思う。
しかし、いくら子育て支援を拡充しても、住む家が「子ども一人、多くても二人」を前提に作られているなら、社会全体はそちらに向かってしまう。
児童手当が増えても、3人目の子どものための部屋は増えない。
保育料が安くなっても、家の収納は増えない。
出産費用の補助が増えても、家族がゆったり過ごせるリビングは広くならない。
もちろん、地方や郊外に広い家はある。
しかし、仕事、教育、医療、通勤、親のキャリアを考えると、誰もが簡単に郊外や地方へ移れるわけではない。
特に共働き世帯にとっては、立地はぜいたくではない。
生活を成立させるための条件である。
そのため、都心や都市部に住むことと引き換えに、必要最低限の余白しかない住宅を選ばざるを得なくなる。
そしてその住宅に合わせて、家族の人数も調整されていく。
最近の若い人は子どもを多く持ちたがらない。
夫婦二人の生活を楽しみたい人が増えた。
子どもは一人で十分という価値観になった。
もちろん、そういう面もあると思う。
しかし、その価値観は本当に自由な選択の結果なのだろうか。
住宅、教育費、共働き、通勤、ローン、老後資金。
そうした現実を前にして、「子どもは一人が限界」「二人までが現実的」と判断している家庭も多いはずだ。
つまり、少子化は単に気持ちの問題ではない。
社会の構造が、子どもを多く持つことを難しくしている。
そしてその構造の中で、住宅はかなり大きな要素だと思う。
家は、家族の器である。
器が小さくなれば、そこに入る家族の形も小さくなりやすい。
今の日本の住宅市場は、高価格、小面積、高利便性という方向に最適化されている。
市場としては合理的だ。
買う側にとっても、現実的な妥協点だと思う。
しかし、家族を増やす社会としては、本当に合理的なのだろうか。
単身者やDINKS、子ども一人世帯に最適化された住宅供給が進めば、社会全体もその家族像に近づいていく。
住宅が狭くなったから、すぐに少子化が進むという単純な話ではない。
しかし、都市部で合理的に選べる住宅が、子ども一人から二人までを前提にした器になっていることは、少子化を加速させる一因になっているのではないかと思う。
子どもを産むかどうかは、個人の自由である。
子どもを何人持つかも、それぞれの家庭の選択である。
ただ、その選択が本当に自由であるためには、複数の子どもを育てられる住宅の選択肢が必要だ。
都心に住むなら子どもは一人まで。
二人以上欲しいなら郊外に出るしかない。
三人以上ならかなりの経済的余裕が必要。
もし社会がこのような構造になっているなら、少子化対策は手当や補助金だけでは不十分だと思う。
日本の住宅供給そのものが、すでに少人数家族を前提に作られている。
そして人々は、その住宅供給に合わせて家族計画を立てざるを得ない。
そう考えると、今の住宅の狭小化は、単なる不動産市場の変化ではない。
それは、日本社会がどのような家族を標準として想定しているのか、という問題でもある。
「子どもは何人まで?」
その問いに、夫婦ではなく、家が先に答えてしまっている。
家が狭くなっただけではない。
家族を広げる余白が、社会から少しずつ削られているのかもしれない。
Ligne Roset ロゼ ブリガンタン 2人掛け ソファ
LE KLINT (レ・クリント) SINUS LINE ペンダント 172B
※この記事にはアフィリエイト広告リンクを含みます。
