【第十三話】ゆとり世代の1987生まれが青春時代を過ごした平成についての思い出を語る【虹 / 福山雅治(2003年)】
2003年、僕は高校生になった。
高校生活は「特別なこと」ではない日常が、僕の中では溢れていた。
「青春」とはなにか。
辞書を引くと「若さゆえの輝き、未熟さ、情熱」なんて書かれているけれど、実際僕にとってはシンプルで、音楽と共に過ごした時間こそが青春だ。
今振り返ると、あの日常のすべてが今では非日常で、一つひとつが青春の思い出だと気づく。
そう、僕は懐古厨だ。
でも、この懐古があるからこそ、今の僕があるのだと思う。
懐古厨のゆとり世代と、この気持ちを分かち合うために、このnoteを書き上げる。
ウォーターボーイズと陸上部
福山雅治の「虹」を聞くと、高校生活の大半を費やした部活の思い出が蘇る。
「虹」は、ドラマ版「ウォーターボーイズ」の主題歌。水泳部の男子たちが必死にシンクロに挑む姿は、どこか自分たちの姿と重なって見えた。
高校入学後の僕は、中学時代から旧知の仲だった同級生の勧めもあり、中学に続き陸上部へ入部することになった。
陸上部に入った当時、部員は僕らを入れて6人しかいなかった。部活というよりかは同好会のようで、人数が少なかったためお互いの絆も強かったような気がする。
種目は中長距離。マラソン大会で振るわなかった僕が、なぜ中長距離を選択したのか。
それは、「20mシャトルラン」が得意だったからだ。僕の中学時代、なぜかシャトルランだけはいい成績を残していた。そのため、顧問の先生に「自身はあるのか」と問われ、「少しだけあります」と答えてしまい、僕の中長距離生活は始まってしまった。
練習はとにかく地獄のように辛かった。確か、4000mをペースどおりに走る練習があったのだけれど、一度も設定タイムどおりに走れたことはなかった。
そんな矢先、僕はお尻にできもの(痔)ができ、まともに走れなくなった。あまりにも辛くて、電車に乗るときは電車の座席シートの凹みに尻の穴を合わせて乗るほどだった。
僕は弱気になり、顧問に「走ると痛いんですけど…」と相談したところ、「競歩」へ転向するよう指示があり、練習を重ねた。まさか痔になっても練習するとは…。
競歩の競技人口は極めて少なく、僕はエントリーするだけで県大会への切符を獲得。
確か県大会の日は大雨だった。土砂降りの雨の中、必死に歩く僕。
※競歩は走ってはいけない。コースのところどころに審判員がいて、「走り」認定を3回受けると失格となるのだった。
しかし、練習・実力不足により時間制限内にゴールすることができず、途中棄権となった。悪天候の中応援に来てくれた陸上部の仲間たちに申し訳ないことをした。
その後痔も完治して競歩からは足を洗い、再び中長距離へ。けれどもその年の冬、僕は体育の授業中に「肺気胸」となり、緊急入院。レントゲンに映った萎んだ肺を見たとき、「走れない」という現実が一気にのしかかってきた。
僕はその後、しばらくマネージャーとして部員を支えることになった。
陸上部の僕は、「イメージの向こう側」にはいけなかった。
でも今振り返ると、僕は走ることよりも「仲間と一緒に汗を流す時間」が好きだった。練習も地獄のようだったけど、仲間と一緒に努力する大切さを実感していた。
虹を聞くと、あの時みんなで練習した光景が蘇る。
深夜番組黄金時代
当時、僕らの間でブームだったのが「はねるのトびら」と「トリビアの泉」。どちらも深夜番組時代から好きで、ゴールデンタイムで放送開始したときは嬉しかった。
はねトびはコント企画を集めたDVDを持っていたし、特にロバート秋山がメインだった「グローバルTPS物語」は誰もが真似をするくらいに流行っていた。
「トリビア」は本当にくだらないムダ知識を僕達に教えてくれていた。“へぇ~ボタン”は一大ムーブメントとなり、友人や家族など、あらゆる場面で「へぇ~」と連呼するのが定番だった。
僕は誕生日が同じ人シリーズが好きで、よく「へぇ~」といっていた記憶がある。
どちらの番組も欠かさず見ていたのだが、はねトびはコント企画が終わってから、トリビアはトリビアの種がメイン企画になってしまって以降見ることをやめてしまい、気がついたら番組も終わっていた。
けれども平成中期を語るには、この2つの番組は欠かせない。それくらいインパクトのある番組だった。
そんな中、僕が一番夢中になって観ていたのが「内村プロデュース」だ。
※ウッチャンナンチャンの内村光良がMCを務め、さまぁ~ず、TIM、ふかわりょうらが毎週“無茶ぶり”に挑む深夜バラエティ。今で言うと「有吉の壁」に近い立ち位置で、芸人たちが全力でバカをやる姿が最大の魅力だった。
僕は、内Pの脱力感ある企画が毎週月曜日夜の楽しみだった。大喜利企画での下ネタや、露天風呂での「だるまさんが転んだ」など、男子高校生の感性に強い影響を与えていた。
そして火曜日は、友人同士で内Pの話で盛り上がる。そんな日常だった。特に内Pメンバーが「カバディ」に挑戦する回は伝説的におもしろく、放送後に教室で友達とカバディの真似をしたら大爆笑をかっさらった。
あの一体感は、僕にとって大切な青春のワンシーンだ。
あなたの夢を叶えましょう
幼少の頃、将来の夢は何か?と聞かれる度に「僕はお寿司が好きだから、寿司職人になってお腹いっぱいお寿司を食べるんだ!」と答えていた。
夢はいつまでも変わることなく、小学校の文集でも寿司職人になる!と書いていたし、高校卒業後は調理師専門学校に通い、寿司職人のもとで修行するんだと信じきっていた。
けれども、その夢は意外と簡単に実現してしまった。
僕は家計の足しと部活の費用を捻出するため、アルバイトを始めた。アルバイトでは、夢だった「寿司職人」に少しでも近づくために、回転寿司チェーンで寿司を提供する機会を得た。
僕はホールやキッチンを任され、握りや軍艦(機械で握るタイプ)を作っていた。そして、昼休みに回転すしを食べて満足していた。
しかし、手や洋服に付く「生臭さ」にどうしても慣れることができなかった。
そして形はどうであれ、「夢って、こうやって意外と簡単に実現してしまうものなんだな」と思ったときから、僕の中で将来の夢へのこだわりはすっと消えていった。
僕は未だに寿司が大好物だが、どうしても自分が寿司を握るシーンは想像できない。食べることと、作ることは別のことだと今なら理解できる。
寿司職人になる夢は、「空の向こうへと」行くことなく、叶わぬ夢になったのだった。
「虹」と僕の青春
福山雅治の「虹」は、ウォーターボーイズのサントラとともにMDに入れてよく聞いていたことを覚えている。
今振り返ると、部活で上手くいかずに苦しかったことも、テレビ番組の話で笑いあえたことも、すべてが混ざって当時の僕を作っていたのだと気が付く。
走ることも、働くことも、夢を見ることも、不器用ながら精一杯だったあの頃。あの日常には戻れないのだ。
「虹」は、そんな揺れ動く高校1年生の僕に寄り添ってくれた曲だった。
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