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【第十六話】ゆとり世代の1987生まれが青春時代を過ごした平成についての思い出を語る【さくら/ケツメイシ(2005年)】

2005年、高校生も最後の年になった。
僕は、いつまでも「あの頃のままで」あり続けたかった。
けれども、現実は迫ってきていた。

「青春」とはなにか。
辞書を引くと「若さゆえの輝き、未熟さ、情熱」なんて書かれているけれど、実際僕にとってはシンプルで、音楽と共に過ごした時間こそが青春だ。

僕は、今でも春になると思い出す。
桜が舞い、散る。
その度に、あの頃の「忘れたくない記憶」を取り戻す。

そう、僕は懐古厨だ。
でも、この懐古があるからこそ、今の僕があるのだと思う。

懐古厨のゆとり世代と、この気持ちを分かち合うために、このnoteを書き上げる


花びら舞い散る

ケツメイシの「さくら」。
春になる度に、僕はこの曲を思い出すし、その度に2005年へと記憶が舞い戻る。

ケツメイシは、高校生の当時から僕にとって一番好きなアーティストだった。
「夏の思い出」からケツメイシを追っていた僕は、「さくら」が公開された瞬間にこの曲の虜になった。
いつもはTSUTAYAのレンタルで済ます僕も、シングルの発売日に購入したことを覚えている。

当時、僕の心を鷲掴みにした理由は、ミュージックビデオにあった。
人気絶頂だったモデル「鈴木えみ」が「さくら」のミュージックビデオに出演していたのだ。
特に「花びら舞い散る」の部分で、桜が舞い散る中で鈴木えみが踊るシーン。
僕は、テレビで、カラオケで、YouTubeで。
何百回とその姿を見て、僕はその度に涙を流している。
あまりにも見すぎておかしくなったのか、映像を見ているうちに「淡い香り」がしてくるほどだった。
それほどまでに、僕は「さくら」が好きなのだ。

確か、「さくら」のシングル購入時の初回限定特典にライブ抽選の応募券が付いていて、僕は運良く当選した記憶がある。
僕は初めての音楽ライブに胸高鳴っていたのだが、一緒に行くはずだったバドミントン部の友人が部活の大会で行けなくなった。
ケツメイシ好きの後輩や、いつも遊んでいた同級生などに「一緒にいってくれないか」と打診してみたが、みんな都合が合わずに泣く泣く断念した。
そのため、チケットは別の友人に頼んで「ヤフオク」で売却した。
※当時はまだメルカリもなく、チケット取引といえばヤフオクが定番だった。

本当に勿体無いことをしたと、今でも後悔している。

当時はライブに行けなかったけれど、社会人になってからはケツメイシのライブに何度も行った。
ライブで「さくら」のイントロが流れた瞬間の歓声、みんなで大合唱したサビ。あの時の高揚感は、青春を取り戻したような感覚だったことを覚えている。


カラオケが青春の1ページ

この頃、僕ら高校生の遊びといえばカラオケが主流だった。
学校帰りや部活帰りに、20時までフリータイムに入って、ドリンクバーで延々と居座る。
そして、その後はサイゼリヤへ行き、みんなでくだらない話で盛り上がる。
そんな過ごし方が日常だった。

僕の近所には「ビックエコー」があり、よくそこに通っていた。
僕らはよくDAMの採点機能を使い、90点以上をめざして、どの曲が僕らの声質に合うのか確認しながら熱唱していた。
※当時のカラオケは、今のようにスマホで動画を見たり簡単に歌の練習ができる時代ではなかったので、点数が出る「DAMの採点機能」が一つの娯楽だった。採点で高得点を出すことがちょっとしたステータスになり、友人同士で競い合うのが高校生あるあるだった。

KinKi Kidsの「Anniversary」やCHEMISTRYの「PIECES OF A DREAM」」でハモる奴。
Mr.Childrenの「Tomorrow never knows 」やB'zの「いつかのメリークリスマス」などバラードしか歌わない奴。
矢井田瞳の「Look Back Again」や大塚愛の「さくらんぼ」を無理して歌って喉が枯れる奴。
SOUL'd OUTの「1,000,000 MONSTERS ATTACK」やKREVAの「音色」のラップを誤魔化しながら歌う奴。
そんなみんなと、カラオケへ行くのが大好きだった。

そして、僕はよくケツメイシの「さくら」を入れていた。
「さくら」の歌詞の中に、友人の当時の彼女の名前が出てくるところがあり、茶化すようにみんなでその名前を大合唱するのが恒例行事だった。

勉強の辛さや悩みを抱えていても、カラオケで笑い合う時間だけは、すべてを忘れられるような気がした。

何度も言っているが、今でも僕はカラオケが好きだ。
当時の友人たちとカラオケへ行くと、いつもこの時代の曲にたどり着く。
それくらい、僕は平成の曲が好きなのだ。


部活の引退と大切なこと

2005年の夏、僕は陸上部を引退した。
アルバイトと予備校、そして部活と「三足の草鞋」を履いていた僕は、全くと言っていいほど結果を残せなかった。
病気やケガでよく離脱していたし、練習にもまともについていけていなかった。
けれども、僕は引退レースを終えたあと、人目をはばからずに泣いた。
泣いて泣いて、動けなかった。
あまりにも泣くので、後輩に引かれたほどだった。
それくらい、僕は陸上部のことが好きだった。

達成感や安堵感では言い表せることのできないあの感情は、何だったのだろうか。
今振り返ると、「後悔」と「仲間たちとの別れ」を惜しんでいたんだと思う。

僕はよく「あの時もっと練習していれば」とか、「あそこでもっとペースを上げていれば」とか、そんなことばかり思っていた気がする。

そして、僕が引退するまで陸上部を続けられたのは、仲間なくして成り立たなかった。
僕は挫折する度に、何度も辞めようと思った。
けれども、同級生に、先輩に、後輩の「ファイト」という言葉に救われた。
陸上は個人競技と思われがちだが、それは違うと僕は思う。
一緒に練習を乗り越える仲間がいて、その仲間たちで競い合うからこそ続けることができた。

僕は陸上部を通じて、2つの大切なことを学んだ。
一つは、後悔しないでやり切ることの大切さ。
もう一つは、1つの目標に向って仲間と共に歩む事の大切さだ。

僕は、今でもこの2つのことを大切にしている。
けれども、その原点がここにあったことを覚えてはいなかった。
こみ上げる記憶を読み返したおかげだ。


記憶舞い戻る

僕は陸上部を引退したあと、決意した。
――前話で触れた、修学旅行の夜からずっと気になっていたあの子に告白することを。

1学期の終業式の日。
僕は放課後にあの子をメールで呼び出し、人目のつかない校舎の端のところで告白をした。

返ってきた答えは、涙声での「ごめんなさい」だった。
完全に振られた僕は、青春の夢から現実に引き戻された。
当時はまだ、恋に恋していたとは気づいていない。
けれども、当時の感情は僕の日記(人には絶対に読ませられないもの)に描かれていた。

「結果は予想通りだったけど、これで勉強に集中できる」。 
そして、「悔いはない。自分の気持ちを伝えられてよかった」と。

僕はこの日を堺に、完全に受験モードに入った。
僕の人生を振り返ると、こういった分岐点は結構あり、負の感情からお尻に火がつくことが多いのだった。

ケツメイシの「さくら」は、そんな僕にとって「青春の終わり」と「次のスタート」を象徴する「忘れられない」曲だ。
今でも聴くと、あの涙と笑いが、胸の奥から蘇ってくる。
そう、記憶が舞い戻るのだ。


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