【第十七話】ゆとり世代の1987生まれが青春時代を過ごした平成についての思い出を語る【栄光の架橋/ゆず(2005〜2006年)】
2005年から2006年、僕は大学受験を迎えた。
そして、これまでの人生で一番「努力」と向き合った。
「青春」とはなにか。
辞書を引くと「若さゆえの輝き、未熟さ、情熱」なんて書かれているけれど、実際僕にとってはシンプルで、音楽と共に過ごした時間こそが青春だ。
「あの時思い描いた」ものは、大学進学だった。
机に向かって、必死にノートを広げたあの日々。
そして、音楽に励まされながら過ごした深夜。
今振り返ると、「いくつもの日々を乗り越えた」あの日、あの時間こそが、まぎれもなく青春だった。
そう、僕は懐古厨だ。
でも、この懐古があるからこそ、今の僕があるのだと思う。
懐古厨のゆとり世代と、この気持ちを分かち合うために、このnoteを書き上げる。
悔しくて眠れなかった夜
ゆずの「栄光の架橋」は、2004年に開催されたアテネオリンピックのテーマソングだった。
北島康介の「チョー気持ちいい!」の名言、体操男子団体の金メダル。
日本中が沸き上がったあの夏。
その瞬間に流れていたのが、「栄光の架橋」だった。
特に、この曲で思い出深いのは、体育祭だ。
僕たちの体育祭では、表彰式で「栄光の架橋」が流れるのが定番化していた。
優勝した組も、そうでない組も、この曲をきいて涙を流した。
僕たちの高校で体育祭といえば、「ペアダンス」だった。
確か、生まれた月日により春夏秋冬の組に振り分けられ、その組内の希望者の男女でペアを組む。
そして、各組の応援団という体でダンスを踊るのだ。
ダンスプログラムは、当時の流行曲とともに展開され、松浦亜弥の「ね〜え?」とか、EXILEの「Choo Choo TRAIN」とかが流れていた記憶がある。
お察しのとおり、この「ダンス」というものは男女ペアで行う関係上、多くのカップルが誕生する「青春の架け橋」の役割を持っていた。
当時は「あいのり」全盛期の時代。
誰もが恋人探しを”裏テーマ”にして、ダンスへ没頭していた。
※「あいのり」は、ピンク色の「ラブワゴン」に男女が同乗し、世界中を旅しながら恋愛模様を繰り広げる恋愛バラエティ番組。当時の高校生・大学生を中心に、絶大な人気を誇っていた。恋愛観や告白シーンは、まさに時代の象徴であり、多くの若者が自分を重ね合わせて夢中になっていた。
当時の僕といえば、「青春の架け橋」への憧れはあったものの、大学進学を見据えて予備校へ通っていたため、一度も参加していない。
むしろ、ダンスをしている人たちを見下していたし、あいつらには絶対に負けない。勉強で見返してやる、とさえ思っていた。
今振り返ると、完全に妬みだし、高1か高2の時点でダンスへ参加しなかった後悔のほうが強い。
そう思うと、悔しくて眠れなかった。
けれども、当時の僕はとにかく受験に向けて余裕がなかった。
そのため、誰かを下げることでしか自分を保てなかったのだと思う。
体育祭が終わり、本格的な受験期を迎えると、この曲は僕自身の応援歌になっていた。
眠気と闘いながら問題集に向かう深夜。
MDプレーヤーのイヤホンから流れる「栄光の架橋」に背中を押されるたびに、僕はもう一度シャーペンを握り直したのだった。
受験生の日々
2005年から2006年の高校生にとって、一番の「流行」は受験勉強そのものだった。
当時は、ドラマ「ドラゴン桜」が大人気。
僕は「東大に行け!」「これが人生のターニングポイントだ」という阿部寛の言葉に勇気づけられた。
実際に、僕もドラマで紹介された勉強法を真似して、世界史B用語集をひたすらに暗記していた記憶がある。
そして、当時の予備校通いの象徴が「無印の透明なプラスチック製手提げカバン」だった。
予備校に通う誰もがもっていたし、僕も愛用していた。
参考書や単語帳が外から丸見えなのに、なぜか持っているだけで「受験生らしさ」が出た。
そして、「落ちる」だけですぐに壊れる耐久性も、ある意味味があった。
僕は「落とさない」ように気をつけていたが、それでも何度か「落下」して、その度にカバンを買い替えていた記憶がある。
当時、僕が愛用していた文房具は、無印の水性青ペンだ。
確か、予備校へ通う友人から「青ペンで書くと効率的に暗記できる」という話を聞き、真っさらなノートへ英単語を書きまくった。
僕は何百本もの青ペンを犠牲にして、単語帳「ターゲット」や「古文ゴロゴ」を暗記した。
そして、緑のマーカーと赤シートで、「青木の世界史実況中継」を覚えていた。
ノートや参考書が青や緑一色に染まるたび、「今日も努力した」と小さな達成感を噛みしめた。
他の人がどれだけ勉強をしていたかはわからなかったけど、僕は高3の夏までは1日3時間、夏からは10時間を目安に勉強した。
今まで好きだった漫画やゲーム、カラオケなどの娯楽の全てを封印した。
学校の授業の時間は内職か睡眠。
学校が終わると毎日予備校へ行き、自習室へ籠もる。
自宅に帰ってからは毎日3時まで机と向き合った。
睡眠はほぼ毎日3時間。
限界まで自分を追い込んでいた。
成績が伸びるときもあれば、問題が解けずに苦しむときもある。
そして、模試の結果に一喜一憂しながら、日々は過ぎていった。
誰にも見せない涙が、そこにはあった
2006年1月。
僕たちのセンター試験の日は雪だった。
僕は私大志望だったので「お試し受験」程度だったけれど、濡れた地面と寒さ、試験会場に漂う緊張感に圧倒された。
そして2月。
確か、僕は7校ほど受験した。
第1志望の大学は、学部を問わず様々な日程で受験。けれど、全学部落ちた。
当時の合格発表の大半はネットで見ることができ、合格発表のページを開くたびに、胸が締め付けられるような思いをした。
2月も下旬に差し掛かった頃、僕は滑り止めの大学は複数合格していたけれど、納得のいく大学にはどこも合格していなかった。
そして、最後に第2志望の大学の合格発表の日。
僕はこの試験に落ちたら浪人するしかない。
そんな絶望の縁にいた。
確かその時の合格発表は、電話の自動応答で受験番号を入力すると合否が流れるシステムだった。
僕は緊張で震える手で番号を入力した。
そして、電話口から「合格」の声が聞こえた。景色の色が一瞬変わったように感じた。
その瞬間、目の奥が熱くなり、気づいたら涙があふれ、一人で叫んでいた。
これまでの18年間の人生で、一番嬉しかった。
そして、「努力は無駄じゃなかったんだ」と、心の底から思った。
ただの合格通知のはずなのに、そこには自分が歩いてきた日々すべてが映し出されているように感じた。
あの日流した涙は、今でも僕にとって特別だ。
体育祭のダンスに参加できなかった悔しさや、あの時失われた青春の日々への後悔もあった。
けど、それ以上に「やりきった自分」への誇らしさがあった。
たどり着いた今がある
「栄光の架橋」を聴くと、今でも胸の奥で受験に悩まされた日々が蘇る。
参考書に囲まれて眠気と戦ったあの深夜帯も、雪の日に感じた寒さも、そして「合格」の音声に流した涙も。
今振り返ると、あの時の努力のおかげで、「たどり着いた今」があるのだと実感する。
「栄光の架橋」は、僕にとって「努力の証」を表した日々の象徴であり、「報われた瞬間の記憶」そのものだ。
