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【第十四話】ゆとり世代の1987生まれが青春時代を過ごした平成についての思い出を語る【てがみ / HY(2004年)】

2004年、あの時「置いてきた思い出」は、僕の中に深く刻まれている。

「青春」とはなにか。
辞書を引くと「若さゆえの輝き、未熟さ、情熱」なんて書かれているけれど、実際僕にとってはシンプルで、音楽と共に過ごした時間こそが青春だ。

「意味のない落書き」なんかない。
僕の書いた手紙は、未来へ繋がっている。

そう、僕は懐古厨だ。
でも、この懐古があるからこそ、今の僕があるのだと思う。

懐古厨のゆとり世代と、この気持ちを分かち合うために、このnoteを書き上げる。


てがみとバンドグループ

「てがみ」は、軽音部の友人たちが文化祭で披露していた曲だ。
友人たちは軽音楽部に所属しており、当時流行していたJ-POPバンドをコピーしていた。
そのバンドグループが文化祭で披露した曲が「てがみ」だった。

2004年の春、僕は高校2年生になった。クラス替えにより、新たな学校生活がスタートした。
当時の僕は引っ込み思案で、クラスの輪に飛び込む勇気もなく、4月も半ばになってもクラスの中に友人らしい友人がいなかった。

そんなとき、修学旅行の下見という体で行われた「課外授業」があった。
行き先は、確か空港。各々グループを組んで、電車で空港まで行くルートを確かめるように、という内容だった。
けれども僕は、その「グループ決め」の場面で完全に取り残されてしまった。
どうすればいいかわからず、僕は机に突っ伏して“寝たフリ”をしてやり過ごそうとしたのだ。

でもそのとき、そっと声をかけてくれた同級生たちがいた。
「一緒に行こうよ」
その一言で、僕の高校生活は大きく変わった。

それからというもの、僕はその友人たちと一緒に過ごすようになった。
授業が終わると、教室でバカ話をして過ごす毎日。昼は食堂で飯を食べ、部活のない放課後はみんなで野球やカラオケに行く。
休日は友人の家に泊まりに行き、徹夜でパワプロをした。

そんな友人たちが「てがみ」を披露したステージは、一生忘れることはない。
熱狂する体育館で堂々と歌うボーカル。落ち着いてギターやベース、ドラムを演奏する友人たち。いつもと変わらないはずなのに、その姿は眩しくてたまらなかった。
僕は、彼らの自称「応援団長」として、最前列で拳を突き上げながら声を枯らして応援していた。

「てがみ」の歌詞は、まるであの頃の僕の気持ちそのものだった。
不安や寂しさを抱えながらも、人と出会い、仲間に救われる。
「てがみ」を友人たちが奏でる姿を見たとき、心から「あぁ、この高校に来てよかった」と思った。

今までも、友人同士の付き合いはあった。けれども、僕にとってこんなにも深くお互いのことを知り、知り尽くされた経験は初めてだった。
今なら間違いなくいえる。この友人たちとの出会いが、僕の青春を加速化させてくれた。

僕たちは今でもカラオケへ行くことがある。
その時の1曲目は、必ず「てがみ」を入れることにしている。
イントロで流れるキーボードのメロディを聞くだけで、一瞬にしてあの頃の記憶を取り戻すことができる、僕たちの思い出の曲だ。


高校生ファッションと憧れの渋谷

2004年の僕ら高校生にとって、ファッションは自己表現そのものだった。
僕はといえば、小学校時代からかけていた眼鏡をやめ、コンタクトデビューした。コンタクトにかえるだけで、ちょっと大人になれた気がして、テンションが上がった。

また、美容院へ通いだしたのもこの頃だ。理髪店で整えるのとは違い、髪型ひとつで見た目の印象が大きく変わることに驚いた。
当時は「髪をすく」「ストパー」「襟足を残す」が僕たちのトレンドで、みんなが「ギャツビー」のワックスで髪を立てていた。

自分の中で「おしゃれを意識する」という感覚が芽生えたのもこの頃からで、洋服にも気を使うようになった。
ファッション雑誌の「Smart」や「FINEBOYS」を見て街の流行を追い、古着屋で同じような服を買っていた。
※「Smart(スマート)」はストリート系やサーフ系を中心に、等身大の高校生・大学生が真似しやすいスタイルを紹介していて、読者モデルのファッションをそっくり真似するのが定番だった。
一方「FINEBOYS(ファインボーイズ)」は、大学生のお兄さん風のきれいめカジュアルが中心で、「Smart=友達感覚」「FINEBOYS=ちょっと背伸び」みたいな感覚で僕らは読んでいた。

また、当時流行っていた「ポーター」の財布は、いわゆる「陽キャ」にとっては必須のアイテムで、僕にとっても憧れのアイテムだった。
そんな中、渋谷にポーターの専門店があると聞き、僕は陸上部の同級生とポーターの財布を購入するため、初めて渋谷に降り立った。
渋谷はまるで異世界のような街で、スクランブル交差点を渡る人の多さにただただ圧倒された。
確か、財布を購入した後はどこで遊ぶということもなく、そそくさと地元へ帰った記憶がある。

高校生の僕にとって、渋谷はまだ早すぎた。東京の街全体が、最上級のファッションセンスを持つ人たちで彩られていて、きらびやかだった。
地元しか知らない僕にとって、あまりにも眩しすぎた。


花火大会と勉強に向き合う決意

高校2年の夏、僕は部活・アルバイト等忙しく過ごしていた。
そんな中、アルバイト先で仲良くなった他校の同級生と一緒に帰る機会が多くなっていた。
たしか、彼女もスポーツ系の部活に所属しており、同じ運動部同士何かと話が合ったことを覚えている。

ある日、メールで「地元の花火大会行かない?」と誘われた。僕は断る理由がなかったので、快諾した。
浴衣姿…ではなく普通の私服姿で登場した彼女と、混み合った花火会場の河川敷で花火を見た。
彼女はアルバイト先では見たことのないミュールサンダルで来ており、「歩くの大変そうだな…」と心の中で思っていた。
そして、花火が上がるたびに「きれいだねー!」と笑い合った記憶がある。けれども、そのあとご飯に行くこともなく、また家に送ることもなく、途中で解散した。

今思うだけで恥ずかしい行動で、彼女からしてみれば完全に「やらかした」奴だ。本当に反省している。
もちろん、彼女とはそのあと色恋沙汰に発展することはなかった。
けれども、僕は異性と二人で出かけたことなんて今までなかった。そのため、あの空気感や帰り道のなんとも言えない気まずさは、今でも鮮明に覚えている。

最後に一言、過去の僕にいってやりたい。
なにやってんだよ、お前。

また、僕にとって、2004年の夏は将来を見据えた進路を決める大事な年となった。
確か、6月に行われた進路説明会の時。
進路担当をしていた倫理の教諭から「進路に迷った奴は四大へ行け」と、様々なエビデンスを示しながら生徒へ説明していた。ドラゴン桜かよ。
僕は、この言葉を真に受けて勉強に本腰を入れることにした。
今までの僕といえば、勉強に関しては典型的な一夜漬けタイプ。定期テスト直前に全力投球し、暗記物の歴史系など上手くいく科目もあれば、暗記だけでは通用しない国語などは少し苦手にしていた。

そのため、手始めにあらゆる教科の予習・復習をするようになった。
すると、授業の理解度が格段に上がり、テストの成績も向上。たしか2年の1学期から成績優秀者(評定平均4以上)となった。
僕は、齢16歳にして初めて勉強の楽しさを経験したのだった。

そして、進路説明会では予備校と連携した夏季補習講座と予備校の体験授業を無料で実施していた。
僕は迷うことなく参加し、「大学進学」を決意した。
意を決して母親へ相談したところ、予備校含めてサポートすることに同意してもらった。
これも後で聞いた話だが、中学時代に引き続き相当な借金をしてくれていたらしい。
当時の僕はそうとも知らず、ただ勉強に専念していた。親には本当に頭が上がらない。


日記と懐古厨の記憶

僕は、高校時代の恩師の勧めで、このころから日記をつけている。
日記といってもちゃんとしたものではないし、A4サイズのノート1冊も未だに書けていない。
けれども、当時の僕のカラオケレパートリーから小説の批評、日々の葛藤や悩みなどが赤裸々に記されている。
先日、久しぶりに日記をみた。日記には「てがみ」の思い出も記されており、このnoteを書き上げるにあたって大いに参考になった。
あの時始めた日記は、僕が未来で懐古厨になることに繋がっていた。

日記の中身は、恥ずかしすぎて誰にも見せることができない。けれども、青春を振り返りながらみんなと共有することはできる。
てがみを聞くと、あの頃の青春と僕の日記を思い出す。
僕は何度でも日記を読み返すだろう。
このnoteを書き続けるために。

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