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1960年から続く博多中洲の老舗ジャズスポット「リバーサイド 物語」その9

(事実に基づくノンフィクションです。許す限り実名で、登場します)

2年の思い出深かった倉敷を後にし、いよいよ故郷の九州へ、とは言え福岡を通り越して長崎なのだ。長崎市でなく、隣町の諫早市の営業所長として赴任。営業テリトリーは、膨大で、島原半島から、大村市、、諫早市と、かなり広い。毎日、車での営業活動だった。

諫早市にある眼鏡橋

前に述べたが、ここで大変な出来事か。
雲仙普賢岳が六月に大噴火したのである。
特に島原市周辺は、まるで戦時下の様子、自衛隊の車両や、報道機関が、島原市に集中した、島原城は、自衛隊基地となったのてある。

時折,降る黒い雨、、車で営業中,何回も遭遇した。火砕流が、土石流が、発生し、水無川は、土砂が流れ、深江町は、土砂に埋もれたのである。この状況での営業周りを続けたのである。それは得意先、代理店がこの地区にあり、自賠責保険の集金など、訪問せざるを得ないのだった。しかし、途中までしか行けないところは郵送で対応した。
兎に角、経験したことのない、まるで戦時下であった。噴火もようやく落ち着いたのは、秋頃。平穏な日々が、戻ってきた。
この街にジャズの店なんかあるのか??
それが、ちゃんとあるのだ。再開発前の諫早駅前のすぐの民家の一階にその店はあった。「アリスファーム」Sというママが1人で経営していた。昼間は、喫茶、夜は、バー、ジャズが、ずっと流れていた。駅前に会社の事務所があり、会社帰りによく通った。馴染みになり、ジャズの事色々話す間柄になつた。仕事後の息抜きで、よく通った。今はもうない。


彼女は、ニーナシモンが大好きで、よくレコードをかけて聞かさせれた。私もここで、ニーナシモンの虜になった。女性ジャズボーカルと言えば、エラフッツジェラルド、サラボーン、ビリーホリデイ、ヘレンメレルぐらいしか、それまでは知らなかつた。
そしてこのニーナシモンが、あのハウステンボスジャズフェスティバルに来るのだ、それも
この佐世保だけに。ママから誘われて行きました。野外コンサートが主なのだが、彼女だけは,室内で行われた。ピアニストでもある、ニーナシモン、、弾きながら,歌う、ギター,ベース、ドラム、などが入っていた。アフリカンな衣装に身を固めた彼女は,時折,立ち上がり
唸る様に歌う、,ソウルフルで、ゴスペル、、
ジャズ、民族音楽が入り混じる、素晴らしいコンサートでした、後ろの席に、に一緒に来ていたナーシウィルソンが聞き入っていたのだ。
そして、佐世保で、今も続いてあるのが、佐世保ジャズフェスティバルである。

いーぜる


佐世保のジャズスポット「いーぜる」の店主、山下ひかるさん(故人)が91年にジャズフェスティバルを干尽公園で開いた野外ジャズコンサートがある。4千人近い人々は約6時間のライブを楽しんだこともあった。一時ハウステンボス内で開催されたり、今も形を変えながらも続いている。リバーサイド を、引き継いですぐ、RKB毎日放送が、「窓を開けて九州」という番組で、リバーサイド を取り上げてくれた、その時、ディレクターと2人で佐世保に一泊し、「いーぜる」の山下ひかるマスターを訪ねるシーンを撮影したのである。同じ歳で、色々アドバイス貰った記憶がある。優しい笑顔が忘れられられない。惜しい事に、2016年7月亡くなられた。
でも「いーぜる」は場所を変えて今もあります。

佐世保ジャズフェスティバル


 佐世保からは世界的なミュージシャンも誕生した。自身が参加するジャズバンドの作品が2度も米グラミー賞に輝いた小川慶太さん。佐世保で音楽を始め、今は米国を拠点にドラマー、パーカッショニストとして活躍している。後にリバーサイド にも、来てくれて、ライブ、打ち上げで、回転寿司をたらふく一緒に食べました。その後,ご夫婦でも、来店。いまも米国で活躍してる。
そして、長崎の店の事を語らなければならない。その店は、長崎で、会議のあるたび、寄った「さろまにあん」である、細いビルのらせん階段を登ると最上階にあった。狭い店で、溝口マスターが1人でやっていた。テナー吹きでもあり、自身のバンドを持っていた、CDも発売し、2枚頂いた。つい最近、他界したソニーロリンズのフリークでもあった。楽屋に顔バスでロリンズと面会できるほどだったらしい。人柄も、凄くいいので、すぐ懇意にしてもらった。
今も、店に立ち続けている。

さろまにあん

そして、長崎に、あのエルヴィン・ジョーンズ、ケイコ夫人の店があった事も伝説となっている。かほ無線のビルの地下にあったらしい。
エルヴィンのソロのライブを開催していた。自分が長崎にいた頃は、既に閉店していた。

この諫早時代から、博多のリバーサイドにまた、顔出す様になった、学生時代以来である。
途中で単身赴任にし、家族を福岡に残し、週末帰る事にしたのである。
リバーサイド の常連で、バス🚌を借り切り,この佐世保ジャズフェスティバルにみんなで繰り出したのである。これは、私がリバーサイド のマスターになってからもしばらく続いた。屋台バーで有名なえびちゃん(親父)も参加、現地でカクテルまで、作ってくれたのである。それはそれは、楽しかった。渡辺貞夫や、大西順子など、ビッグアーチストが沢山出演した、地方のジャズフェスとしては、豪華そのものであった。
諫早時代、面白い出来事があった。諫早にあつたキャバレーで、弾いていたIというピアニストと「アリスファーム」で知り合り、仲良くなった。彼が一時、金銭トラブルで怖い人に追われ、自分の家にかくまつたことがある、そした、福岡に行くというのだ。
「リバーサイド 」を紹介し、近くのサウナに潜伏させた。そして,その後、故郷の延岡に帰ったのだ。そして、何年かのち、ジャズクラブを開店したとの知らせが。鹿児島、宮崎を一人旅行した時立ち寄った、その時、偶然にも椎名豊トリオのライブだった。後にI君はリバーサイド にセッションにも来てくれたのだ。ビルエバンス風のピアニストだった。しかし、店はすでに閉店したらしい。どうしてるいのだろうか?ジャズの店を長く続けるのは,難しいのだ。

そして、客としてのリバーサイド 時代が始まる。当時は、ライブはほとんどなく、夜のバーが主体、Hマスターは、大学の後輩でもあった。ここで、様々な人達との出会いが始まったのである。

次号に続く


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