創戯旅団 生存の記録-SM奇譚 第12夜-修整の夜
ある出稼ぎ女王の記録
伝説という言葉は、もっと遠くの闇に属するものだと思っていた。山寺の裏手、杉の根元に巣くう古狐だとか、沖の見えない夜にだけ海上へ灯って、夜明けとともに潮へ溶ける火だとか、あるいはついに一度も自分の膝を地面へつけなかった剣客だとか、そういう、現実の手垢から少し外れたものにのみ許される称号だと信じていたのである。少なくとも、私の立つ店の床の上に、その言葉が降りてくることはないだろうと、若い頃の私は高を括っていた。だが長く夜の商売に身を置いていると、人の記憶に残るものは、必ずしも崇高さから生まれないのだと知る。人は時に、天才を神話にするより先に、途方もない勘違いを言い伝えに変える。敬意からではなく、呆れと、苦笑と、触れると手を切りそうな薄い不吉さから。そういうものにもまた、いつしか伝説という名が貼りつく。
その女が最初にこちらへ連絡してきたのは、二年半ほど前の春だった。春といっても、風の底にはまだ冬の金属が残っていた。駅前のロータリーに立つ人間たちの肩は、みな少しだけ内側へ丸まり、夜気の刃先から臓腑を守るように見えた。営業の合間に届いた募集の連絡には、急場をしのぎたい者特有の焦りと、それでも自分を安く見せまいとする妙な矜持とが、湿った紙の裏表のように張り付いていた。遠方の店へ出稼ぎに入っている。事情があって、いまの店では少し干され気味になっている。急だが、明日から三週間ほど働けないか。時間は長く出られる。写真も送る。そういう簡潔な文面だった。添付された写真を、私は何度か見返した。
綺麗だった。いや、綺麗というより、綺麗に“成って”いた。画面の中の女は、輪郭の線に迷いがなかった。目元には余計な影がなく、鼻筋は静かに通り、口角は「私は自分を知っています」と言わんばかりの角度で収まっていた。強さはあるが棘には寄りすぎず、艶はあるが下卑た湿り気を帯びていない。この種の商売で客が好むのは、たいてい、凶暴さではなく、凶暴に見える寸前で止まっている顔である。写真の中のその女は、まさしくそういう“都合のいい完成”に近かった。
断る理由はなかった。私は即採用の返事を送り、翌日、本厚木の駅前まで迎えに行く約束をした。そして翌日、ロータリーに立つその女を見て、私は一瞬、自分が見ている風景のほうを疑った。別人が来た、と思ったのである。もちろん、法廷で証明できるほどの別人ではない。骨格のどこか、眼の配置、唇の線の癖、そういういくつかの部品には、確かに前夜の画像の名残があった。だが、その連続の途中に、私の知らない巨大な工房が一つ挟まっているように思えた。人は化粧をする。光を選び、角度を味方につけ、都合のいい一瞬だけを抜き出して世に差し出す。そんなことは誰だってやっている。問題は、その先だった。目の前の女は、化粧や光線の延長線上にいるのではなく、もっと別の、希望そのものが肉を着た場所から歩いてきたように見えた。写真は現在の記録ではなく、本人が執拗に信じている未来の自画像だった。私はそのとき、どこか別の街の店で、面接担当が「写真と違うじゃないか」と怒鳴ったという話を思い出した。ひどい話だと思った。怒鳴る側の粗暴さも、品のなさも、嫌悪した。けれど駅前の夜風の中に立つ私は、その怒りの輪郭だけは理解できる気がした。怒りというより、現実の床板が一枚だけ薄くなり、そこへ足を乗せた瞬間に、かすかな空洞を感じるような、不穏な眩暈だった。
それでも、話してみれば分からない。見た目と中身は別だ。写真が盛られているくらい、この業界では季節の挨拶みたいなものだ。プレイと接客がしっかりしていれば、客は最後にはそこへ帰ってくる。私はそう自分に言い聞かせた。女はよく喋った。以前の店のこと。そこで受けた講習のこと。埼玉の専門店で働いていたこと。ベテランの人気嬢から定期的に技術を教わってきたこと。自分は尻の扱いに長けていて、強い責めも、いわゆる拷問めいた流れも得意なのだということ。自信は、乾いた布に染みこむ油のように、言葉の隅々まで行き渡っていた。自分が未熟かもしれないという仮定だけが、あらかじめ世界から抹消されている喋り方だった。私はそれを半分だけ信じた。半分だけ、というのは、その場で打ち消すだけの材料もなかったからだ。夜の店というものは、履歴書でも、写真でも、喋りでも決着はつかない。結局、真実は客が帰ったあとの空気だけが知っている。だが、その空気は驚くほど早く、こちらへ真実の方角を向けた。
最初の数日で、私は沈み方の悪い静けさに気づいた。客が帰ったあと、店内の温度がほんのわずかに下がる。大きな爆発が最初から起きるわけではない。怒声も、露骨な抗議も、毎回表に出るわけではない。だが、褒める声がない。満ちた男の、あの少し所在なく軽くなる足取りがない。かわりに、言葉にするほどでもない不満だけが、濁った水のように底へ溜まっていく。彼女は自分を達人だと言っていた。だが達人とは、自分で名乗る肩書きではない。終わったあと、相手が何かを言いかけて、ふと黙る。その沈黙の中にだけ、かすかな形で立ち現れるものだ。本人の舌の上に乗った時点で、それはたいてい、だいぶ軽くなっている。
彼女の場合、戻ってきた客の言葉は一様だった。痛い。雑だ。怖い。違う。そういう切れ端ばかりだった。こちらの客は、決して初物に怯えるだけの素人ではない。むしろ長く自分の嗜好を抱え込み、それをこじらせ、それでも捨てられずにこの世界へ辿り着いた者が多い。自分の快楽がどういう形で傷つき、どういう形でほどけるか、彼らは彼らなりによく知っている。その彼らが口をそろえて似たことを言うなら、それは相性や偶然では片づかない。ある客は二度目まで試した。私はそのこと自体が、ほとんど奇跡のように思えた。彼は相当な挑戦者で、多少ハードなものにも動じない人物だった。普通ならそこでようやく、試す、という言葉が生きるのだろう。だが二度目のあと、彼は静かに首を振った。あれは技術ではない。激情でもない。演出でもない。ただ、相手を見ていない力の押しつけだ。冷たいが、恐ろしく正確な言葉だった。
店で長く働いていると、ときどき、自分の頭の中でだけ完成している人間に出会う。自分の中ではすでに一流で、自分の中ではすでに特別で、自分の中ではすでに周囲を凌駕している。だが現実だけが、その認識に追いついていない。いや、追いついていないのではない。最初から別の大陸にある。その隔たりの大きさに、本人だけが気づいていない。彼女もまた、そういう人間だった。こちらが本当に薄寒くなるのは、能力がまるでないからではない。能力のない人間は、案外早く折れる。自分に無理だと知るからだ。だが彼女のような人間は違う。現実のほうが自分に追いついていないのだと解釈する。客が未熟なのだと思い、店が鈍いのだと思い、周囲の水準が低いから自分の真価が見抜かれないのだと思う。その自己解釈の強さが、失敗を失敗として受け取らせない骨になっている。だから厄介なのだ。
しかも彼女は、客を不快にさせる天性の“間”を持っていた。言葉を置く速度。視線を止める場所。沈黙を使う拍。自分の正しさを、相手に咀嚼させず流し込む速さ。それらが一つ残らず、微妙に人の神経を逆撫でする方向へ揃っていた。人を喜ばせる才能というものがあるなら、人を不快にする才能もまたあるのだと、私は彼女を見ていて初めて知った。その才能は派手ではない。だからこそ、余計に始末が悪い。明白な暴力ではない。だが、確実に相手の胸に小さな棘を残していく。別ブランドでも、短い期間のうちにいくつかの大きな不満が表へ出た。ここで見切るしかない、と私は思った。
写真が違うだけなら、まだ挽回の余地はある。どの店にも多少の誇張はある。実物以上に見せたぶんを、接客や技術で埋め戻す女はいくらでもいる。むしろ最後には、写真の印象そのものを塗り替えて好かれる者すらいる。だが彼女には、それがなかった。見た目で差し引かれ、接客でさらに削られ、技術で決定的に沈む。こういう人はいる。各店に一人や二人いるだけなら、それで終わる。問題は、彼女がそれで終わらなかったことだった。
あの頃、私は短期の出稼ぎをいくつか集中的に受け入れていた。ちょうど同じ時期、東京から週末だけ顔を出す女たちもいた。その一人を通じて、別の土地で働く者から妙な伝言が届いた。『気をつけたほうがいい。その人は、向こうでもかなり揉めている。』最初は、どこにでもある業界話だと思った。悪評は夜の商売のあいさつのようなものだ。辞めた女が前職を悪く言うことなど、珍しくもない。だが、話を辿るうちに、その広がり方が奇妙だった。一つの店の不和ではない。複数の県にまたがって、似たような苦情と倦みが流れている。接客した客の多くが腹を立てる。店側が持て余す。別の店でも同じことが起きる。さらに別の街でも、似たような火の粉が立っているらしい。私はそのとき、妙な気分になった。一人の女の不出来が、どうして地図の上をこうも移動していくのか。
しかし考えてみれば、時代が違う。いまはどこにいるか、何をしているか、誰とつながっているかが、すぐに見えてしまう。店を渡り歩く人間ほど、その足跡はかえって濃く残る。特殊な業界であればなおさら、話は狭く、深く、粘ついて広がる。昔なら一つの街角で風化した噂が、いまでは別の県の夜へ、そのまま湿ったまま運ばれていく。私はその話を、半分は笑い話のように受け取り、半分は本気で怖いと思っていた。なぜなら、彼女にはたしかに一つの才能があったからだ。
最初の一歩で、人を騙す才能。私も騙された。全国の店の人間も、きっと何人も騙された。客もまた、おそらく騙された。写真を見て、期待する。話を聞いて、なるほどと思う。経歴を聞いて、少し安心する。自信に満ちた口調に触れ、こちらの警戒がほどける。そこまでの流れを作る力だけは、彼女には本物があった。私は今でも不思議に思う。あれほど多くの写真を、どうやって同じ一枚の顔へ寄せていたのか。アプリなのか、技術なのか、執念なのか。知り合いに修整の巧い人間でもいたのか。それとも本人が、一枚ごとに自分の現実を削り、塗り直し、別の未来の顔を貼りつけていたのか。もし本当にそんな技術が自在にあるのなら、それは一種の魔術だと思った。そして魔術である以上、使う人間の魂まで変えてしまう。
鏡の中の自分を少し良く見せたい、という願いは誰にでもある。人は誰でも、自分の欠けたところを知っている。出来ることなら、その傷に薄い金箔でも貼って、少しだけ見栄えよく生きていたい。だが、その願いが毎回うまくいきすぎると、人は現実のほうを誤り始める。加工された像に、自分の本体まで引っぱられていく。いつしか「見せたい自分」が「実際の自分」を追い越し、追い越された現実のほうが、むしろ偽物のように思えてくる。この女は、写真を修整していたのではなかったのかもしれない。先に自分の信じたい人格を作り、その人格に、現実の肉のほうを無理やり従わせようとしていたのかもしれない。そう考えると、少しだけ哀れでもあった。もちろん、こちらにとっては地獄だった。短期であろうと、一度こちらの店に立てば、その肩には看板が乗る。店名というのは、名札ではない。湿った布のように人の輪郭へ貼りつき、その人が去ったあとも、しばらく匂いだけを残していく。だからこちらとしては、なるべく早く縁を切りたかった。だが、一度でも店にいた人間を完全に笑い話にしてしまうのは、どこかで自分の判断の愚かさまで笑うことになる。私はそれが嫌だった。
彼女だけが滑稽だったのではない。最初に見抜けなかったこちらの目もまた、同じだけ滑稽だったのだ。商売をしていると、人を見る目が養われると言われる。半分は本当で、半分は嘘だ。何年やっても、騙されるときは騙される。こちらの「見抜ける」という自負を、相手の「見せかける」という執念が上回ることがある。人を見る目とは、見抜く力ではなく、見抜けなかったあとで、自分の眼差しの浅さを引き受ける力のことかもしれない。彼女は三か月もいなかった。だが三か月という短さのわりに、店には妙に長い影を残した。客の帰り際の顔。戻ってきたあとの、湿ったような言葉の重さ。キャストのあいだを流れた困惑。別の土地から届く噂の異様さ。そして、あれほど違う写真を前にして、初手で頷いてしまった自分の間抜けさ。それらは一つの出来事ではなかった。むしろ、店の中にしばらく貼りついて離れない、薄い膜のようなものだった。目には見えない。だが確かにそこにある。人がその話題を避けるたび、あるいは逆に軽口に紛らせて持ち出すたび、膜はまだ破れていないのだと分かった。
私はときどき思う。人を騙すのに必要なのは、美しさではない。ほんの少し先の理想を、本人が誰より強く信じていることなのだ、と。他人は、その信仰の熱にあてられる。目の前の現実より、本人が差し出してくる未来図のほうを、つい信じてしまう。彼女には、それがあった。そして、信じさせる力と、支える力とは、まるで別の器官なのだ。夜、店の灯りを落とす前に、私は鏡を見ることがある。受付の奥にある、少し歪んだ古い鏡だ。そこに映る自分の顔は、疲れていて、思ったより老けていて、若い頃より確実に愛想がなくなっている。瞼は重く、頬の線は正直で、夜ごとの疲労が薄い砂みたいに堆積している。それでも、そこに映るもののほうを信じるしかない。照明が悪くても。角度が冴えなくても。まずはそこから始めるしかない。
あの女は今、どこか別の店で、また別の写真を送り、また別の肩書を名乗っているのだろうか。それとも、ようやく鏡の側へ戻ってきただろうか。分からない。ただ、もううちの名だけは肩から下ろしていてくれればいい。それだけで充分だと思う。人はときどき、自分を飾る技術のほうだけが先に育ちすぎてしまう。中身が追いつく前に、看板だけが立派になる。技術も、言葉も、肩書も、写真も、すべて本体の代わりにはならないのに、ある瞬間から、本人だけがそれを本体だと信じ始める。そういうとき、人はただの嘘つきになるのではない。もっと厄介なものになる。自分の虚像に殉じようとする人間になる。それは少し滑稽で、かなり危険で、そしてどこか、見ていて悲しい。
伝説という言葉は、敬意のためだけにあるのではないのだと、あの春、私は知った。近づけば怪我をするもの。なぜそんな姿になったのか、本人にすらうまく説明できないもの。それでも人の記憶に、妙に鮮やかな棘として残ってしまうもの。そういうものにもまた、人は伝説という名を与える。店の外へ出ると、夜気が頬に触れた。駅前のネオンは少し白み、ロータリーには迎えを待つ人影がぽつぽつ立っていた。私はあの最初の夜を思い出した。写真の中の女と、現実の女。そのあいだに横たわっていた、見えない段差。そして、その段差に最初に足を取られたのが、ほかでもない自分だったことを。
いまなら分かる。あれは“伝説の地雷”などという、威勢のいい言葉だけで片づくものではなかった。もっと静かで、もっとありふれたものだった。誰の中にもある、現実より自分を少し先に置きたがる心。まだそうでない自分を、もうそうであるかのように信じてしまう幼い虚栄。鏡の中の願望へ、現実の肉体を追いつかせようとする無理。それが極端な形で現れただけなのだ。だからこそ、笑い話だけでは終われない。あまりに遠い怪物の話ではなく、ほんの少し角度が違えば、誰の胸の底にも芽を出しかねない、暗い虚栄の話だからである。
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