マホロバ怪異譚―無窓の家―
佐原の家には、窓が一つもない。
正確には――彼が全部、釘と板で塞いだ。
「外に出る理由が、もうないんだ」
そう言って、彼は人と話すことをやめた。
それでも近所の子供たちは噂話をする。
あの家には“鏡”が無数にあるらしい。
誰も見たことはない。
夏のある日、郵便配達が不在票を入れに来た。
玄関の隙間から、低い声が聞こえた。
「ああ……今日も、同じ顔だ」
そう言った後、ひどく幸福そうに笑った。
誰も気づかなかった。
佐原が毎日、鏡を通じて“家族”と話していることを。
壁いっぱいに掛けられた鏡の中には、
過去に失った人々――
妻も、子も、教え子も、
笑顔で並んでいた。
そして、その端に一つだけ。
小さな狐面の女の子が映っていた。
彼は鏡に向かって、うっとりした声で囁いた。
「ここはね、昨日も今日も明日も、ずっと幸せなんだ」
お稲荷ちゃんは、何も言わなかった。
その夜、家に近づいた住民が、壁の向こうから音を聞いた。
無数の声が、同時に囁いていた。
「ここにいれば大丈夫」
「ずっと一緒」
「もう誰もいなくならない」
翌朝、通報を受けた警察が家に入ったとき――
中は、空っぽだった。
ただ、壁一面に無数の鏡だけが吊り下げてあった
そしてその一枚に。
お稲荷ちゃんが、こちらを見ていた。
狐面越しにも彼女の表情は笑っているように見えた。
