生成AI時代の「脳の使い方」|出張の下調べをやめたら、仕事のパフォーマンスが上がった話【記憶と記録・番外編】
「昔はちゃんと準備していたのに、最近サボってるな……」
そんな後ろめたさ、心当たりありませんか。私はずっと感じていました。でも研究者のクセで調べてみたら、それはサボりどころか、脳の賢い戦略だったんです。今日は創作大賞ビジネス部門にエントリーしている「記憶と記録」シリーズの番外編として、その話を書いてみます📝
記憶と記録本編はこちらから👇
駅のホームで、ふと気づいたこと
先日、ひさしぶりの遠方出張がありました。
新幹線を降りて、在来線への乗り継ぎ。改札の前でスマホの乗換案内をぽちぽちして、「3番線、次は12分後ね」と確認してホームへ。ここまで30秒もかかっていません。
そのとき、社会人になりたての頃を思い出したんです。
当時の私は、出張のたびに前日の夜、20〜30分かけて「下調べ」をしていました。乗り継ぎ駅、何番線か、発車時刻、乗り換えの所要時間、乗り遅れたときの次の便……。手帳に書き写して、当日はメモを見なくても動けるようにしていたんです。
それが、いつの間にか「だいたいの所要時間だけ把握して、あとは現地でスマホ」に変わっていた。
最初はこれを、少し後ろめたく感じていました。でも「これって本当にサボりなの?」と立ち止まって考えたら、まったく違う景色が見えてきたんです。
なぜ私たちは「覚えること」を手放すのか
実はこの現象、心理学ではちゃんと名前がついています。
グーグル効果(Google Effect)。2011年のスパロウたちの研究で、「あとから調べられるとわかっている情報は、人は内容を覚えにくくなる。かわりに"どこで手に入るか"のほうをよく覚えている」とわかりました。

脳が「これは外にあるから抱え込まなくていい」と判断して、覚える対象を切り替えているんですね。
もうひとつ「なるほど」と思ったのが**交換記憶(Transactive Memory)**という考え方です。もともとはチームでの記憶の話で、「自分が全部覚えなくても、"誰が知っているか"さえわかっていれば集団は機能する」というもの。
家族の「機械のことは兄に聞けば大丈夫」みたいな分担、ありますよね。あれの記憶版です。

そしていま、スマホは私たちにとって「記憶のパートナー」になっています。乗り継ぎ情報そのものは手放して、「スマホに聞けばいい」というアクセス先だけを覚えている。下調べをやめたのは、記憶を預けられる相棒が増えたから、とも言えるわけです。
浮いた時間と脳の容量は、どこへ行ったのか
ここが今回いちばん書きたかったところです。
研究の世界には**認知的オフローディング(Cognitive Offloading)**という概念があります。メモを取る、アラームをかける、スマホに保存する——処理を外部に肩代わりさせる行動のことです。

わかっているのは、抱える情報が多くて負荷が高いほど、人は積極的に外部化するということ。そして外部化すると、進行中の作業の成績そのものが上がるという報告もあります。
理由はシンプルで、私たちのワーキングメモリ(作業中に情報を一時保持する脳の領域)には限りがあるから。抱えるものを減らせば、その分ほかの作業に余力がまわるんです。
出張に当てはめると、こうなります。
昔の私は、移動中も頭のどこかで「次は3番線」「乗り換え5分」と気にかけていました。地味にワーキングメモリを使っている状態です。いまの私は、その情報をスマホに預けているので、移動中の頭がけっこう空いている。
その空いた容量で何をしているかというと——出張先で会う相手のこと、商談の組み立て、ふと思いついた研究のアイデア。つまり「いま、私にしか考えられないこと」に脳を使えているんです。

乗り継ぎ情報は、誰がやっても同じ答えにたどり着きます。でも「明日の打ち合わせをどう進めるか」は、私の頭のなかにしかありません。スマホに任せられることを任せたぶん、自分にしかできない思考に集中できるようになった。
下調べをやめたのは、サボりではなく脳のメモリの引っ越しだったんです🏠
これは、仕事での「AIとの付き合い方」とそっくり
ここまで読んで、ピンときた方もいるかもしれません。これ、いまの仕事で起きていることと同じ構図なんです。
私の職場でも、議事録の要約、資料のたたき台づくり、定型的な調べもの——こうした作業をどんどん生成AIに任せるようになりました。最初は「自分でやらなくて大丈夫かな」と思っていたのに、気づけば手放したぶん、自分は「その資料で何を主張するか」「実験をどう設計するか」に集中できている。
乗り継ぎの下調べをスマホに預けるのも、定型業務を生成AIに預けるのも、根っこは同じ「認知的オフローディング」です。DXの本質って、たぶんここにあります。ツールに作業を肩代わりさせることがゴールではなく、空いた脳の容量を"人にしかできない思考"に振り向けることがゴールなんですね。

ただし、ぜんぶ手放していいわけじゃない
研究者として、反対側もちゃんと見ておきたいんです。
認知的オフローディングの研究には、こんな注意も添えられています。カメラ撮影やGPSに頼りすぎると、内容そのものの記憶や、場所を把握する感覚が弱まる可能性がある、と。
私にも心当たりがあります。乗換案内に頼りきっていると、「自分が街のどのあたりにいるのか」という地理感覚が、昔より曖昧になった気がするんです。
仕事でも同じで、生成AIの出力を検証せずにそのまま使ってしまったら、それは外部化ではなく「思考の丸投げ」。手放していいのは"答えが決まっている作業"で、自分の判断や経験と結びつく部分は、やっぱり抱えておくべきなんです。
つまり外部化は、魔法ではなく使い分け。整理するとこうなります。
手放していいもの:調べれば誰でも同じ答えが出る、再現性のある情報や作業(乗り継ぎ時刻、定型業務、要約のたたき台など)
抱えておくもの:自分の経験や判断と結びつく記憶、その場の感覚、自分にしか生み出せない思考や検証

このシリーズで書いてきた「記憶」と「記録」の話に、きれいにつながりました。記録(外部)に預けられるものは預け、記憶(内部)に残すべきものは大事に抱える。その線引きを意識できる人が、いちばん上手に脳を使えるんだと思います。
空いた容量を、ぼーっとSNSを眺めて埋めてしまったら、ただの浪費。自分にしかできない思考に使えてこそ、外部化は意味を持つんですよね。
まとめ:あなたの「サボり」も、たぶんサボりじゃない
昔ちゃんとやっていた準備を最近やらなくなって、後ろめたさを感じているなら——それはサボりじゃないかもしれません。
脳が「これは外に置いていい」と賢く判断して、もっと大事なことのために容量を空けてくれている。そういう前向きな引っ越しの可能性が、けっこう高いんです。
大事なのは、空いた容量を何に使うか。そして、何を手放して何を抱えるかを自分で選べているか。そこさえ意識できていれば、私たちは「記憶」と「記録」のいいとこ取りができます。
次に改札前でスマホをぽちぽちするとき、「いま私、脳のメモリを上手に使えてるな」と思えたら、移動がちょっと楽しくなる気がしませんか😊

もっと深掘りしたい方へ📚
この記事を書くにあたって支えになった一冊をご紹介します。
『プルーストとイカ ― 読書は脳をどのように変えるのか?』(メアリアン・ウルフ 著/小松淳子 訳・インターシフト)
認知神経科学者の著者が、「人間の脳がどうやって"読む"能力を手に入れたのか」を、脳科学・心理学・言語学・考古学を横断して解き明かす一冊です。
直接スマホやAIを扱った本ではありませんが、**「文字という外部の記録装置を手に入れて、人間の脳がどう変わってきたか」**という視点が、今回の「外部化」のテーマと深く響き合います。
印象的なのが、ソクラテスが「文字に頼ると記憶力が衰える」と心配していたというエピソード。私たちが生成AIに作業を預けて感じる後ろめたさは、実は二千年以上前から続く、人類の問いだったんですね。
こんな人におすすめ
「外部化」や「記憶」を、もっと根っこから考えてみたい人
生成AI時代の自分の脳との付き合い方を、長い歴史のスケールで捉え直したい人
読書という当たり前の行為の奥深さに、あらためて惚れ直したい人
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
あなたが最近「やらなくなったこと」のなかにも、きっと前向きな引っ越しが隠れているはず。よかったらコメントで教えてくださいね🍀
