妄想坂道 筒井あやめ『あやめと僕と猫 夢枕』後編
真っ白な世界だった。
どこまでも白い。
風だけが優しく吹いている。
「……ここ、どこや?」
辺りを見回していると。
「翼。」
後ろから女の子の声がした。
振り向く。
白いワンピース。
長い髪。
見たことのない女の子。
でも。
どこか見覚えがある。
「誰?」
女の子は微笑む。
「私。」
「バル。」
「……。」
「……は?」
「だから。」
「バル。」
「いやいや。」
「猫やん。」
「夢だから。」
「便利やな、その設定。」
女の子はクスクス笑う。
「翼。」
「なに?」
「前世。」
「うん。」
「私たち恋人だったの。」
「嘘やろ。」
「本当。」
「絶対嘘。」
「だから。」
女の子は一歩近づく。
「今も。」
ぎゅっ。
抱きついてきた。
「ちょっ!」
「待って!」
「一番好き。」
「いや!」
「俺!」
「彼女おる!」
「知ってる。」
「なら離れて!」
「前世では私が先。」
「順番ちゃうやろ!」
「ちゅー。」
顔が近づく。
「待て待て!」
「キスはあかん!」
「俺には!」
「あやめがおる!」
「裏切れへん!」
「夢でも無理!」
「絶対無理!」
その頃。
現実。
「……。」
「……。」
真夜中。
静かな寝室。
眠っている翼。
その隣で。
あやめがゆっくり目を開ける。
「……?」

翼が何か喋っている。
小さな声。
「……ダメ。」
「……。」
「俺には……。」
あやめは耳を近づける。
「……。」
「……あやめがおる。」
「!」
少し安心する。
……が。
次の瞬間。
「キスなんて……。」
「……。」
「できへん。」
「……。」
「裏切れへん。」
「……。」
あやめの顔色が変わる。
「……。」
「……誰?」

寝言。
完全に寝言。
でも。
彼女の頭の中では。
最悪の想像だけが膨らんでいく。
「翼。」
「……。」
「誰とキスするの?」
もちろん返事はない。
「ねぇ。」
「誰。」
ぷにっ。
ほっぺをつねる。
「いてっ!」
翼が飛び起きた。
「うわっ!」
「な、何!?」
目の前。
涙目のあやめ。
「……。」

「翼。」
「え?」
「誰。」
「……何が?」
「誰とキスするの?」
「え?」
「夢で。」
「浮気した?」
「は?」
「寝言。」
「全部聞いた。」
「え?」
「キス。」
「裏切れない。」
「彼女いる。」
「全部言ってた。」
「……。」
翼は頭を抱えた。
「終わった。」
「終わってない。」
「説明して。」
「夢。」
「うん。」
「猫。」
「……。」
「猫?」
「バル。」
「……。」
「バル?」
「人間になって。」
「……。」
「抱きついてきた。」
「……。」
「キスしようとしてきた。」
「……。」
「俺。」
「断った。」
「……。」
「夢でも。」
「お前しかおらん。」
「……。」
沈黙。
数秒。
そして。
「あはははは!」

あやめが突然笑い出した。
「え?」
「バル?」
「うん。」
「バルと浮気?」
「してない!」
「夢!」
「あはは!」
笑いすぎて涙が出ている。
「そんな夢ある?」
「俺も思った。」
「しかも。」
「ちゃんと断った。」
「そこ褒めて。」
「あははは!」
その時。
「にゃぁ。」
バルが目を覚ました。
眠そうな顔で。
俺のお腹へ乗る。
「ほら。」
「あ。」
「あやめ。」
「見て。」
「うん。」
「犯人。」
「にゃ?」
何も知らない顔。
「お前や。」
頭を撫でる。
「にゃ。」
ゴロゴロ。
すると。
あやめが俺の反対側から抱きついてきた。
「今日は。」
「私の勝ち。」

「何が?」
「夢でも。」
「私を選んだ。」
「当たり前。」
「でも。」
「バルも可愛い。」
「むぅ。」
「また嫉妬。」
「する。」
「猫やで?」
「猫でも。」
「翼が好きなんだもん。」
「……。」
「あ。」
「私も。」
「翼が好き。」
「知ってる。」
「だから。」
「夢でも。」
「浮気禁止。」
「了解。」
「約束。」
「約束。」
指切りする。
小指と小指。
すると。
バルがその指へ。
前足をちょこん。
「あ。」
「あ。」
「参加したいん?」
「にゃ。」
三人で笑う。
あやめはもう一度。
俺の腕枕へ戻る。
「ねぇ。」
「ん?」
「夢でも。」
「うん。」
「現実でも。」
「うん。」
「私だけ見て。」
「もちろん。」
「バルは?」
「家族。」
「私は?」
「恋人。」
「よし。」
満足そうに笑う。
「これで安心。」
「寝れる?」
「うん。」
「おやすみ。」
「おやすみ。」
部屋には。
寝息と。
小さなゴロゴロという音だけが響く。
エアコンはまだ壊れたまま。
それでも。
この部屋は温かかった。
恋人がいて。
猫がいて。
笑い合える夜がある。
それだけで十分だった。
夏はまだ続く。
でも。
この三人なら。
きっと毎日が賑やかになる。
翌朝。
「翼。」
「ん?」
「今日の夢。」
「うん。」
「ちゃんと私が出てきてね?」
「努力します。」
「努力じゃダメ。」
「命令?」
「命令。」
「はいはい。」
すると。
「にゃぁ。」
バルが俺の膝へ飛び乗る。
「あ。」
「あ。」
あやめは少しだけ頬を膨らませた。
「……嫉妬警報。」

「また?」
「発令中です。」
俺は笑いながら。
あやめの頭を撫でる。
その隣で。
バルも満足そうに喉を鳴らしていた。
恋人と。
一匹の家族。
今日もまた。
幸せで、ちょっと騒がしい一日が始まる。
💜 Fin




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