運慶とNIRVANAとジョジョの奇妙な冒険
現在、東京上野にある東京国立博物館にて、特別展「運慶 祈りの空間 - 興福寺北円堂」が開催されている。
奈良・興福寺の北円堂(ほくえんどう)は、本尊の国宝 弥勒如来坐像(みろくにょらいざぞう)と両脇に控える国宝 無著(むじゃく) ・世親菩薩立像(せしんぼさつりゅうぞう)が、鎌倉時代を代表する仏師・運慶晩年の傑作として広く知られています。運慶の仏像が安置される空間をそのまま伝える貴重な例である北円堂は通常非公開ですが、修理完成を記念して弥勒如来坐像の約 60 年ぶりの寺外公開が決定いたしました。
本展は、弥勒如来坐像、無著・世親菩薩立像に加えて、かつて北円堂に安置されていた可能性の高い四天王立像を合わせた7軀の国宝仏を一堂に展示し、鎌倉復興当時の北円堂内陣の再現を試みる奇跡的な企画です。国宝7軀のみで構成された至高の空間をご堪能ください。
私と仏像との出会いは、いつだっただろうか。
私が生まれたのは和歌山県南部、熊野古道の片隅の、なんというか、ある意味では閉鎖的というか、時代の流れから取り残されているというか、そのような農村であった。
和歌山県には熊野古道の他にも、弘法大使空海が開山した高野山など、霊験あらたかな場所が多く存在し、信仰というものが割と違和感なく身近にあったように思う。
私が仏教や仏像を好きなことに、それらの影響は決して小さくはないだろう。
それから「ファイト・クラブ」のタイラー・ダーデンに衝撃を受けたり(この映画は資本主義社会の物質主義に対する批判がテーマで、個人的には非常に仏教的だと感じる)、京都の東寺で立体曼荼羅にさらなる衝撃を受けたりしいるうちに、こんなになってしまった。
このあたりのことは、また改めてどこかで(需要があれば)。
さて、運慶である。
運慶ってよく聞くけど、何がすごいのか。
仏像を時代順に見ていくとよくわかるのだが、奈良時代くらいまでの仏像には、怪獣のソフビ人形やキン消し(若い人は知らないか)のように、これといったポーズも取らず直立していたり、ただ座っていたり、決して写実的とは言えないようなものが多い。
私はむしろ、そういうブツが好みだったりもするのだが。
それが、運慶仏からは顔の表情や衣類や筋肉の表現がリアルになり、直立不動だった人体に「ねじり」の表現が加わり出す。
以降、ソフビ人形のように直立不動の立ち姿だった仏像たちが、海洋堂などの最近のフィギュアのようというか、ミケランジェロの彫刻のような写実的なものになっていくのである。
それは、NIRVANAの登場以降、それまでどこかステレオタイプ化していた「ロックバンドってこういう感じだよね」というフォーマットが変化してしまったことに似ているかもしれない。
別にここでNIRVANAを使わなくとも、他にもっと適した例えがあるのかもしれないが、何しろNIRVANAとは「涅槃」という意味の仏教用語である。
まあ、仏教つながりということで。
運慶など慶派の人体「ねじり」表現は、東大寺南大門の仁王像などでお馴染みであるが、それらを見る度にあることを連想するのは私だけかと思ったら、インターネットで検索してみたところ、どうやら私以外にもけっこういるようだ。
それは「ジョジョの奇妙な冒険」でお馴染みの、いわゆる「ジョジョ立ち」と言われる独特の立ち方である。
今回、国立博物館で見られる興福寺北円堂の四天王像などは、ジョジョ立ちに加え、その独特のデザインの鎧姿(それ自体は運慶以前からあるものだが)なども含め、そのままスタンドとして作品に出てきても違和感がないのではないかと思えるほどである。
荒木飛呂彦先生の描くスタンドやキャラクターの衣装のデザインは、妙なところが開いていたり、変なところに顔があったりするが、それらはまさに仏的表現と言えるかもしれない。
(仏様はとても多くの人々の願いを叶えたり苦しみから救ったりしなければいけないので、顔や手がいっぱいある姿で表現されがちである)
荒木飛呂彦先生は西洋美術などからの影響については言及しているようだが、仏像からの影響はどうなのだろう。
知っている方がいたら、是非教えてください。
というわけで、国立博物館にて久しぶりに摂取した運慶のブツはやはり極上で、大満足の展示だった。
もっとブツが欲しくなったので、家族には何の相談もせず、今年は奈良に行くことを決めてしまった。
仏像の聖地である奈良にて、極上のブツをガンガンにキメてきたいと思います。
俺は奈良に行くぞ! ジョジョーーーーーーッ!!
ではまた。
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