第10話|すべては、はじめから一つだった
ここまで、このシリーズでは、
空海の生き方を手がかりにしながら、
在り方、言葉、関係性、祈りと行動について見つめてきました。
一つひとつは、別のテーマとして語ることもできます。
けれど読み進めるうちに、
それらは本来、切り分けて扱うものではなかったのだと、
私の中では、はっきりしてきました。
空海が生きていた世界では、
在り方が言葉となり、
言葉が関係性を生み、
関係性が行動を呼び、
行動がまた祈りへと還っていく。
その循環は、とてもシンプルでした。
◆分けない、という選択
現代の私たちは、
理解するために、物事を分けて考えます。
仕事と心。
理想と現実。
祈りと行動。
個人と組織。
それは、決して悪いことではありません。
けれど空海の思想に触れていると、
分けることで、かえって見えなくなってしまうものがある、
そんな感覚も立ち上がってきます。
空海にとって、
祈りは現実から離れることではなく、
行動は精神性を失うことでもありませんでした。
どちらも、同じ一点――
「どう在るか」から自然に立ち上がってくるものだった。
そう考えると、
在り方・言葉・関係性・行動は、
はじめから一本の線の上にあったのだと思えてきます。
◆空海が示していた前提
空海の思想の根底には、
ある前提が一貫して流れています。
人は、何かに成ろうとして完成する存在として
捉えられていなかった、という前提です。
足りないものを埋めていく存在でもなく、
外から何かを与えられて初めて意味を持つ存在でもない。
すでに内に持っているものがあり、
それが、関係性や行為を通して
自然に現れていく。
空海は、人を「導く対象」として見るよりも、
本来の力が現れていく過程に、
そっと関わろうとしていた。
そんな風に思います。
だからこそ、
教えは押しつけにならず、
行動は支配にならず、
組織は管理ではなく、文化として根づいていったのでしょう。
◆すでに、始まっているという感覚
この視点に立つと、
リーダーであるかどうかも、
特別な資質や肩書きで決まるものではなくなります。
今、どんな姿勢で人と向き合っているか。
今、どんな言葉を選び、どんな沈黙を引き受けているか。
今、どんな場を生んでいるか。
その一つひとつが、
すでに、周囲に影響を与えています。
それは、
特別な決断の瞬間に現れるというより、
日々の関わりや、何気ない振る舞いの中に、
すでに息づいているもののように思います。
◆ここまで読んでくださった方へ
最後に、ひとつ補足させてください。
私は修行者でも、専門の研究者でもありません。
ただ、ある一時期、大学院という場で、
空海の思想を集中的に学ぶ機会を得ただけです。
その解釈が、どこまで正確なのか。
学問的に見れば、異なる読みもあるでしょう。
それでも、当時感じたこと、
そして今も手放せずにいる感覚があります。
それは、空海の思想が、
私自身が向き合っている健康経営やウェルネスの現場で、
人の在り方や、組織の空気を考えるときに、
不思議なほど深く響き合っている、という実感です。
このシリーズは、
正解を示すためのものではなく、
その響きを、言葉にしてみる試みでもありました。
ここまで読み進めてくださった方が、
もし、自分自身の在り方を重ねながら
読んでいてくださったとしたら、
それはとても嬉しいことです。
私自身、このシリーズを書きながら、
何度も立ち止まり、
自分の足元を確かめてきました。
内側に戻れているだろうか。
外側へ踏み出せているだろうか。
その往復は、無理なく続いているだろうか。
空海の生き方は、
答えを与えるというよりも、
そうした問いを、静かに差し出してくるように感じます。
◆おわりに
在り方、言葉、関係性、祈りと行動。
それらは、どれか一つを選ぶものではなく、
すでに一つの流れとして、
私たちの中でも動いているのかもしれません。
空海が生きたのは、
特別な悟りの世界ではなく、
人が人と関わりながら生きる、この現実でした。
その現実のただ中で、
どう在るかを問い続けた宗教者の姿は、
1200年を経た今も、
私たちの足元を静かに照らしているように思います。
このシリーズが、その光に触れる、
ほんの小さなきっかけになっていたなら嬉しく思います。
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