コラチャーそばを食べてから帰ることにした。
前回はこちら↓
たかやまさん
「さーさちゃん、あれ見て。信玄公旗掛松(しんげんこうはたかけまつ)の碑。見つけたよ。私たち邂逅したよ。ほらあそこ」
わたしが振り返ると、たかやまさんは改札内外を隔てるフェンスの向こうを指差していた。駅前広場の脇に細長い石碑が立っていて、たしかに信玄公旗掛松碑と書かれている。

ささづかまとめ
「あー! 伊沢さんのクイズの!」
たかやまさん
「そうそう覚えてた? あの動画の8問目の答え」
ささづかまとめ
「8問目…? よく覚えてますね」
ときどきたかやまさんの記憶力は凄まじいのでびっくりすることがある。
たかやまさん
「答えが1文字ずつ増えてくルールだったから、8問目。信玄公旗掛松事件、で8文字」
ささづかまとめ
「そういう動画でしたっけ」
別に記憶力とかじゃなかった。いや、ルールを覚えているのがそもそもすごいか。
たかやまさん
「伊沢拓司、言葉の区切るところも読みかたも間違えてたけど、きっと自分で本読んで勉強したからだと思う」
ささづかまとめ
「この事件っていうのはたしか、公共の福祉みたいな、そんな感じの話でしたよね」
たかやまさん
「うん。国が汽車を走らせるという大義名分があっても、もともと住んでる人の土地に生えてる松を枯らしちゃうのはだめっていう。そういう内容の判決が大正時代の初めに出たのが画期的、みたいな話」
ささづかまとめ
「そういう話だったんですね。でも、こんなところで見つけられるなんて」
たかやまさん
「別の用事でこの駅に来てたまたま『信玄公旗掛松だ!』ってなった女二人組は史上初かもしれない。喜ぼう。いえーい」
ささづかまとめ
「いえーい」


跨線橋を渡った後は、線路が剥がされた旧4番線の跡を眺めたり、給水塔を間近で眺めたりした。うろうろきょろきょろしているうちに列車の到着が迫ってきた。暇つぶしに3番線ホーム上の名所案内を読みつつ列車を待つ。

たかやまさん
「名所案内のトップが駅自体なんだ。自信すごい」
ささづかまとめ
「この充実度ですもんね」
たかやまさん
「次が神代桜で、その次が消されてて…」
ささづかまとめ
「消えてるところは『舞鶴の松』って書いてありますね」
たかやまさん
「それも松なんだ。松で消えてるってなると……枯れちゃったか」
ささづかまとめ
「松を枯らしちゃう寄生虫みたいなのがいるんですよね?」
たかやまさん
「お、詳しい。そうだ、アイドルが松を語るのは許される気がするね?」
ささづかまとめ
「松に詳しいアイドルってことですか?」
たかやまさん
「うん。松のプロフェッショナル。松がテーマの動画とかもアップして」
たかやまさんの瞳がきらめく。ニッチな趣味のアイドルを生み出したくてしかたないようだ。
ささづかまとめ
「松がテーマの動画ってなんですか?」
たかやまさん
「松の廊下じゃなくて松の動画。くふふ…」
ささづかまとめ
「今ちっちゃーい声でくだらないこと言いましたね?」
たかやまさん
「たとえば『始球式に呼ばれたので手に松ヤニつけてすっごい変化球投げてみた』。これミリオン再生間違いなし」
ささづかまとめ
「その動画は全然許されない気がしますけど。炎上しません?」
たかやまさん
「ピッチャーだけにね。あとは、地形アイドルの子とコラボして三保の松原に行く動画とかどう? 動画の後半は別行動になっちゃうかもしれないけど」
ささづかまとめ
「コラボなのに別行動するんですか?」
たかやまさん
「別ジャンルのオタクあるあるでむしろ好感度上がるから。動画の最後で砂浜に合流して水着になるから許してもらって」
ささづかまとめ
「わざわざ賛否両論ありそうな要素を足さなくていいですって」
たかやまさん
「あとは、パインウッドキャンプ場で焚き火かな。松ぼっくりを着火剤にするゆるキャンスタイル」
ささづかまとめ
「 結局焚き火をやることになるんですね」
たかやまさん
「あそこなら、なにか落ち度があったら視聴者にツッコまれる前に管理人さんに注意されるから大丈夫。松ヤニくんたちも安心だ」
ささづかまとめ
「松ヤニくん?」
たかやまさん
「ファンネーム。その子はファンのこと松ヤニくんたちって呼ぶんだよ」
ささづかまとめ
「なんか変ですけど、松に詳しい人からしたら普通の呼びかたなんですかね?」
たかやまさん
「変に粘着してくるファンがいても、松ヤニだもんね、って受け流せていい」
ささづかまとめ
「それはさすがにエッジが効きすぎてますよね!?」
たかやまさん
「とんがってるのは針葉樹だから。これキャッチコピー。ダサいかな?」
ささづかまとめ
「はあ、よくそれだけ言葉が出てきますね。でも松に特化しちゃうとさすがにできること少ない気がします」
たかやまさん
「そんなことない。『各務原キムチを食べてみよう』とか『みどり摘みのお手伝いに挑戦』とか『トドワラ行ってみた』とか、まだまだいろいろ企画あるよ」
そういえばたかやまさんは岐阜の人だった。しかし各務原はわかるが各務原キムチとはなんだろう。
ささづかまとめ
「全部わからなくてファンの人ぽかーんってしちゃいません?」
たかやまさん
「アイドルとファンって、ファンが置いてけぼり食らうくらいがちょうどいい距離感だと思う。だからこれでいい」

やってきた列車は15時51分発の塩山(えんざん)行き。この列車で東京に帰ることはできないので、甲府まで乗って特急列車に乗り換えることにする。甲府には16時17分に着いた。
接続する特急列車は16時31分発のあずさ42号だが、1本見送ることにした。なぜならたかやまさんが「甲府でごはん食べたい」と言い出したからである。
ささづかまとめ
「どこで食べるんですか?」
たかやまさん
「おそば屋さん」
ささづかまとめ
「『きり』はこの時間はまだやってないと思いますよ?」
たかやまさん
「ううん、丸政そば。お肉食べよう」
ささづかまとめ
「お肉?」
甲府駅の北口でごはんを食べるときは毎回ほぼ確実に「きり」というおそば屋さんに行くのだが、今回は丸政そばへ。丸政は小淵沢駅を拠点に駅弁の製造・販売や立ち食いそばのお店を手がけている、鉄道ファンとしても支えたい会社だ。わたしはお弁当は何度か食べているが(「高原野菜とカツの弁当」が好き)、おそばは初めて食べる。たかやまさんは何度か食べたことがあるらしい。わたしの地元なのに。

北口のペデストリアンデッキを下りたところに丸政そばはある。たかやまさんはひゃーと小さく歓声のようなものをあげながら、入店。ほかにお客さんは高校生の男の子がひとりだけだった。セルフ式のうどん屋さんの流れと逆で、トレーを持って先に揚げ物やおにぎりをとり、最後におそばを注文する。
たかやまさんは山賊揚げという大きな唐揚げを2個と半熟卵天をとり、「コラチャーそば」の大盛りを注文する。わたしは舞茸の天ぷらをとったが、
「さーさちゃんもおそばはコラチャーそばにして」
とたかやまさんが耳元でささやく。わたしはささやき声で命令されるのがすごく好きでまあそれはともかく言われたとおりにしてみるが、しかし一体コラチャーとはなんだろう?

これがコラチャーそばの全容…たかやまさんがセルフで勢いよく盛りつけた天かすがちょっと邪魔だが、コラチャーとは「コラーゲンたっぷりチャーシュー」を短くした丸政オリジナルの造語らしい。
いただきます、と手を合わせて箸が向かう先は当然コラチャー。煮こまれた豚肉のかたまりがおそばの上に鎮座している。つゆの上に落とさないように慎重に持ち上げ、かみついてみるとほろりとちぎれて、透きとおった軟骨部分が顔を出すが、それもくにゃりとかみきれる。咀嚼すると甘辛く煮こまれたお肉のうまみが、コラーゲンのねっとりした食感とともに口の中に広がっていく。脂っぽい見た目なのにまったく脂っぽくないのがうれしい。
「んーん、んんんーん!」
わたしの3倍くらいの量のお肉を一気に口に運んだたかやまさんが、封印された口で「おいしいね」みたいなことを言った。太めの麺とすっきりしたつゆでバランスもいい。コラチャーや山賊揚げをいっしょに食べることを前提としたようなおそばだ。これを家で再現するのは難しそうである。
ファストフードのゆるい世界観の中で、食べる人にカロリーを摂取させることを優先しながらも、限られた材料・手段の中で調和のとれた味を実現しようという懸命な感じが伝わってくる。こういうタイプのおそばだって、ある意味では意識の高い食べ物なのだ。
「また考えごとしてる」
たかやまさんはわたしを見てそう言って、山賊揚げにかぶりついた。相変わらずの大食いっぷり。わたしも舞茸天を食べたが、こちらもからっと揚がっていてなかなかおいしかった。

17時2分発のあずさ44号に乗って帰路につく。たかやまさんは今シーズン初の天然水ゼリーを買って飲んでいる。天然水ゼリーはJR東日本の自販機で売っているゼリー飲料で、たかやまさんの大好物である。舌がびりっとするくらい甘いがミントの爽やかさで飲めてしまう悪魔のような飲み物だ。
列車は甲府盆地の東縁を大回りしながら標高を稼ぎ、勝沼ぶどう郷の駅に近づく。ここで車掌さんから甚六桜が見頃であるというアナウンスが入る。今まであずさやかいじに乗っているとき、観光案内や車窓風景を解説するアナウンスは一切聴いたことがなかったので驚いた。
列車はまもなく勝沼ぶどう郷駅を通過いたします。ただいま勝沼ぶどう郷駅付近。……甚六桜が大変満開に咲いております。通過駅のため、お時間わずかではございますが…、桜がお楽しみいただけると思います。まもなく通過いたします。
ちょっと不安定なアナウンスだったが、台本のない中がんばったのだろう。わたしが勢いでアナウンスしたらもっとひどい気がする。そう思いながら眺めた車窓の甚六桜はあっという間に流れ去っていき、列車は容赦なくトンネルに入った。
今日で蔵書点検は5日目だ。思ったよりも作業は簡単で、おそらく人を用意すれば1日か2日で終わるところを、司書の先生とわたしのふたりだけでやっているので時間がかかっている。棚から本を取り出し、先生は本棚の清掃をして、わたしは端末で本につけられたバーコードを1冊ずつ読んでいく。棚から本を何冊かまとまった状態のまま取り出して積み上げ、本を少しずつずらしてバーコードを読み取り、元に戻すと大げさにならず効率がいい。
1時間半くらい作業をして、休憩する。水筒から温かい紅茶を蓋に注いで飲む。進捗状況を確認すると、残るはどうやら漫画とライトノベル、雑誌のバックナンバーの棚だけらしい。雑誌は薄いので見た目のわりに数はありそうだが、それでも昼すぎには終わるだろう。
「あなたのおうちは、春休みどこか出かけたりしないの?」
「うち農家なので、なかなか。仕事に区切りがないんだと思います」
水筒の蓋を戻す。くるくる回して締めようとするが、ひっかかってうまくいかない。
「そう。おうちは忙しいけどあなたにできる仕事は少ないから、その代わりにここを手伝ってくれてるのね」
「そんな罪滅ぼしみたいな理由じゃないですよ」
蓋を開けて、もう一度締め直す。
「でもあなた、本のことも図書室のことも別に好きじゃないでしょう」
ひんやりとした声音にはっとして顔を上げる。司書の先生はそれと裏腹ににこにこしていた。
「こういう作業も、普段の貸し出しも手伝ってくれるからありがたいけど、本当に好きなことはちがうんでしょう?」
「そんなこと、ないと思いますけど」
「私は小さいころから本が好き。大学生のころ付き合った男の子も、結婚相手も、好きな作家がだれかで決めたようなものよ。大人になってもこの仕事して、本のことばっかりで。当たり前のことばっかりしてて、いい意味でも悪い意味でも迷いがないの。だから、あなたみたいな子が羨ましい」
「羨ましい?」
「ええ。私はなにかを真剣に悩んだこともない、心底困ったこともない。みんなくらいの歳の子どももいるけど、すごく素直でいい子に育っちゃった。どうやらうまく生きてるらしいの、私は。だから、本当にこのままでいいのか、って今考えてるところなのよ」
「それっていいことじゃ、ないんですか?」
「愛すべき単純な人生。そんなふうに思う?」
そう問いかける先生の穏やかな表情から感情が徐々に引いていっているような気がして、わたしはどう返したものかと考える。でも、なにもわからないのに共感するのは嫌だ。それなら……
「……さーさちゃん。もう着くよ、ねえねえ、さーさちゃん」
たかやまさんがわたしの身体を揺すっている。声のするほうを向きながらまぶたを開けるとたかやまさんの顔が思ったよりも近かった。思わず、わ、と声を出して起きる。八高線は下りたホームの向かい側前方1番線、横浜線は5番線6番線です。車掌さんのアナウンスも車内に響いている。支度をしなければ。
18時11分、八王子で下車する。プラットホームはもわんと生暖かい。でもなんだか安心する暖かさだ。北口に出て京王八王子駅に向かって歩く。京王八王子の駅ビルのマクドナルドで、たかやまさんはハンバーガーをいくつも買った。さっき食べた大盛りのコラチャーそばは消化済みらしい。
京王線の車内を満たす春の夜のやわらかな空気に、ほのかにファストフードと紙袋の香りを漂わせながら、わたしたちは笹塚に帰った。
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