僕がまだ小学校の頃、祖母がリウマチという病気で入院しました
№1018 今回紹介するお話
ここではネット上やnewsなどで話題になった涙話などをYouTubeなどでアップされている動画と共に「涙が出るほどいい話」として記事にしています。
今回紹介するのは、リウマチが原因で入院、そして死去した祖母の事を綴った男性の投稿です。
投稿時期に関して
転載元からでは投稿時期を確認することはできませんでした。
投稿内容
僕がまだ小学校の頃、祖母がリウマチという病気で入院しました。
僕は学校を休み、4ヶ月ほど実家にもどることになりました。
その病気はかなり進行していて体の間接が変な方向に曲がってしまって
歩くこともできないようでした。
祖母が元気だった頃はよく絵手紙を送ってて、そしたら数日後には必ず祖母からありがとうの電話がかかってきていました。
そして僕はいつも長生きしてね!と最後にいっていた気がします。
そして一度だけ祖母と僕の家族とで旅行にいったことがありました。
ヘリに乗ったり、夜景をみたりし、とてもいい思い出になりました。
その夜景を背景に全員で一枚だけ写真をとりました。
あとから聞いた話によると、このとき祖母はとても苦しそうにしていたと聞きました。
入院中、祖母の状態は悪化し、緊急治療室に運ばれ、面会することもできなくなりました。
祖母が入院したのはかなり病気が悪化してからだったそうです。
毎日のように祖父に罵声を浴びさせられて苦しんでいたようです。
その時のとてつもないストレスで病気が悪化し、寝込むようになってしまい、そこでやっと祖父は危ないと気づき救急車をよんだらしいです。
僕の母はもっと、もっと早く気づいてあげられればよかったと自分を責めていました。
祖母は苦しんでいるところを人にみせない、とても強い人だった。
だから、つらいことを一人でしょいこんでしまったんだと思います。
ある日、緊急治療室に家族や親戚がよばれました。
その時みた光景がいまでも信じられません。
祖母の皮膚は茶色く変色し、顔はまるでミイラのようになっていました。とても強い薬を投与されていたからでしょう。
祖母はもう自分の力では生きる事もできず、機械のチカラで無理やり生かされていました。
僕が話し掛けてもまったく反応せず、何もいってくれませんでした。
ただ、祖母の目からは涙がこぼれていました。
その時、医者が言いました。
「もう楽にさせてあげてもよろしいですね?」と、親戚に了解を得てから機械のスイッチをきりました。
母はなき崩れていました。
でも僕は不思議と涙がでませんでした。
身近な人がなくなったのが初めてだったからかもしれません。
そして病室からでた時に、親戚の方が、「○○ちゃんは泣かずに偉いねぇ。」
といわれた時、何かが崩れたように急に涙がこぼれ落ちてきました。
今思うと、元気な時にもっとしゃべっておけばよかったなぁと後悔しています。
さいごに
私のnote記事は営利を目的とはしておりません。
単純に涙した話を皆さんと一緒に共有したいと思い記事にしています。
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