生き埋めになった2歳の男の子を励まし続けた母の声
№600 今回紹介するお話
ここではネット上やnewsなどで話題になった涙話などをYouTubeなどでアップされている動画と共に「涙が出るほどいい話」として記事にしています。
2004年10月23日に新潟県中越地方を震源とする地震が発生しました。
この地震で車ごと土砂崩れに巻き込まれ、約92時間後に救出された皆川優太君という当時2歳の男の子がいました。
優太君はレスキュー隊に助けられた時に「お母さんと一緒で、ずっと励ましてくれたから怖くなかったよ」「お母さんが歌を歌ってくれてたんだよ」と話したということが伝えられています。
しかし・・・お母さんは車が崩落した岩石や土砂の下敷きになった時に「即死」していたことが判明しました。
お母さんは亡くなっていたのです。
投稿内容①
この救助の事に関しての掲示板への投稿の一部をまとめサイトで見つけましたので掲載いたします。
115: おさかなくわえた名無しさん 2013/10/24(木) 03:49:05.60 ID:6nxhGULv
きのうが中越地震の記念日で、あの地震の崖崩れで母と姉が亡くなり、一人だけ生き残った幼児が小5になってた。
祖父母に育てられて元気にしているのをさっき知った。
確かあの地震で車ごとまる2日くらい生き埋めの中から救出されて、
「ママが一緒だから怖くなかった」って言ってたけど実は母親は即死だった、っていうのがすごく衝撃だった。
元気に育ってて良かった…。
122: おさかなくわえた名無しさん 2013/10/24(木) 07:54:24.27 ID:ww2yAibU
>>115
お昼の番組か何かで救出される中継見た気がするんだけど「女性の声が聞こえます」「子供がいる、と言ってます」と言ってた覚えが。
2人助かったと思ってたら、夜のニュースで母親が即死だったと聞いて衝撃的というより、信じられなかった。
127: おさかなくわえた名無しさん 2013/10/24(木) 08:30:16.71 ID:7ZHgXr8p
>>122
そうだよ、女性の声って言ってたよ
母親の気持ち考えると涙出た
126: おさかなくわえた名無しさん 2013/10/24(木) 08:22:09.72 ID:TUD7on/U
>>122
なんかそれには不思議な話があってレスキュー隊委員はたしかに母親の声を聞いたんだそうな
車の下に男の子がいると。
それで隊員も車内にいなかった男の子の存在に気づいた。
だから第一報は母親と男の子は生存だったという。
128: おさかなくわえた名無しさん 2013/10/24(木) 08:52:13.23 ID:YlFeKGsQ
私も覚えてる。
生中継で確かに「母親の声」と「男の子が下にいると言っている」ってテロップも生存者2名、だったんだよね…
その後の母親即死も衝撃だったけど、男の子の聞き取りで「ママがそこの隙間に入っておとなしくしてなさいって言った」とか「ずっとママが話しててくれたからこわくなかった」「歌を歌ってくれた」ってなんかその辺りでニュースにもならなくなったんだよな確か
何年か後になって思い出して検索してみたけど、やっぱりこの辺まではあるけどそれ以上踏み込んだ記事はないみたいだ
129: おさかなくわえた名無しさん 2013/10/24(木) 09:10:22.11 ID:WMePDYlQ
死しても子を守る母の愛か・・・
オカルトの類ははなから信用しないたちだが、こういうことってあるんだろうな、と素直に思ってしまう。
確かこの件に関しては美智子さまが和歌を詠んでて、それにもぐっときた記憶がある。
132: おさかなくわえた名無しさん 2013/10/24(木) 09:35:19.45 ID:YlFeKGsQ
>>129
最初はマスコミもえ?女性の声って言ってましたよね?とかレスキューの人もインタビューで変な顔で「声が…確かに…」みたいなのを流したけど
わりとすぐ気のせい扱いっていうか、奇跡の生還!
男の子だけでも助かってよかったね!!
な空気になってうやむや。
なんかある意味「あー…」みたいな空気だったね。視聴側も
あの時、女の子は見えてるのに出してあげられなかったんだよね
後になってからでも出してあげられたんだろうか、それは気になってたけど、なにしろ続報がなくてさ
投稿内容②
ある企業サイトのブログに救助された男の子のことについて、どこからか転載した文を掲載していましたのでご紹介いたします。
☆皆川優太君のこと
2004年10月23日に新潟県中越地方震源とする地震が発生しました。
最大震度7を観測した大地震だったのですが、この時のある救出劇が感動を呼んだことを憶えてられるでしょうか。
「平成16年の新潟建中越地震」で車ごと土砂崩れに巻き込まれ、約92時間後に救出された皆川優太君(11)は小学校6年生になった。
友達と野球をしたり、祖父、敏雄さん(77)と将棋をさしたり、残り半年となった小学校生活を楽しんでいる。
優太君の家の客間には、13日亡くなった漫画家やなせたかしさんから贈られた色紙が飾られている。
「優太君へ。はやくげんきになってね。アンパンマンがついてるよ」とのメッセージとともに、赤いマントを羽織ったアンパンマンが描かれた色紙は宝物だ。地震から1週間ほど後に郵送されてきたという。
現在は新潟県魚沼市で祖父母と暮らし、慎重は150㎝を超えた。
車に同乗して亡くなった母、貴子さん(当時39歳)と姉、真優ちゃん(当時3歳)の思い出話に聞いていることもあるが、祖父の敏雄さんは「寂しい様子をみせたことはない。
じいちゃんとばあちゃんと3人でいるのが当たり前だと思っているんじゃないかな」と話す。
新潟県長岡市の事故現場は11年にメモリアルパークに整備された。時々敏雄さんらと手を合わせているという。
この感動的な救出のニュースを息を呑んでご覧になった方もいらっしゃるのでは内でしょうか。
通常は土砂に巻き込まれたりして生き埋めになった人の救出は、72時間(3日間)が生死の境目になると言われています。
しかし優太君が救出されたのは92時間、4日後だったのです。救出されて本当に良かったですね。
ここからが今日の記事のメーンになるのですが、優太君がレスキュー隊に助けられた時に、「お母さんと一緒で、ずっと励ましてくれたから怖くなかったよ」「お母さんが歌を歌ってくれてたんだよ」と話したということが伝えられています。
崩落現場に到着した隊員が「女性の声が聞こえます!」「子供がいると言ってます!」と言ったことでテレビの中継画面には「2名生存」というテロップが流れました。
しかし・・・お母さんは車が崩落した岩石や土砂の下敷きになった時に「即死」していたことが判明しました。お母さんは亡くなっていました。
では、優太君が「お母さんがずっと一緒いて怖くなかった」「お母さんが歌を歌ってくれていた」というのはどう理解したらいいのでしょう。・・・
そして現場に到着した隊員がはっきりと女性の声を聞いたということ。それで子供がいることが分かったことはどう理解したらいいのでしょう。
死してもなお愛する子供の傍に留まり励まし続け、隊員に「子供がいます!」と伝えたお母さん。
母の愛が92時間もの間、子供が生き続ける力になったことは明らかですね。
それともう1つ・・・。
優太君が、なぜ車の外に居たのかもわかっていないそうです。
車と、岩石の僅かな空間に居たことも生き延びる原因になったということです・・・
この世界には、人間の知恵では理解出来ないことが起こるということを教えられた出来事でした。
最後になりますが、私達が、今日朝を迎えることが出来たことも、大きな奇跡かもしれませんね。2013/10/31
※「15日 3月 2015 母の愛・・・皆川優太君の奇跡」より一部を転載致しました
新潟日報 2024年10月23日の記事
92時間後に奇跡的救出の男児は今…「あの子がいたから生きてきた」祖父が振り返る“希望”と“悲しみ”抱え続けた日々【中越地震20年】
「この悲しみを一日も忘れたことはない」。
新潟県中越地震で長岡市妙見町の土砂崩れに巻き込まれ、娘の貴子さん=当時(39)=と孫娘の真優ちゃん=同(3)=を亡くした魚沼市の皆川敏雄さん(88)が、新潟日報社のインタビューに応じた。
地震では、もう一人の孫の男児(22)=当時(2)=が約92時間後に救助された。
「3人とも助からなかったら、今ごろ生きてはいない。あの子が俺の支えだ」。
希望と悲しみを胸に抱えてきた20年を振り返った。
あの日を鮮明に覚えている。
当時、ラーメン店を営んでいた敏雄さんは10月23日午前9時ごろ、忘れ物を取りに店から自宅に戻ってきた。
ちょうど貴子さんが真優ちゃんと男児を連れて、新潟市へ出かけようとしていた。
「真優は保育園に入って半年、お母さんと一緒ということで、それは本当にうれしそうだった」
しかし、その姿になぜか不安と寂しさを感じ、涙がこぼれた。
「気を付けて行ってこいよ」。
貴子さんと真優ちゃんに最後にかけた言葉だった。
午後5時56分、震度7の揺れが中越地方を襲った。
自宅に戻っても3人はいない。
翌日、翌々日、小千谷市の体育館や3人が通ったと思われる道で写真を見せながら、行方を尋ねて回った。
警察から3人が乗った車が妙見の崩落に巻き込まれたと伝えられたのは26日だった。
27日、現場に向かうと、救急車や重装備の工作車が何台も並んでいた。余震も続く中、救出作業が始まった。
男児が救出された瞬間 を「言葉に表せられない。うれしいなんてものじゃなかった」と振り返る。
「あの子を助けてもらったおかげで希望を持たせてもらった」
敏雄さんは、妻のミハルさん(2022年死去)と2人で成長を見守ってきた。
「健康に、寂しさを感じさせないように」育ててきた。
自宅には、男児が子どもの頃に描いた絵など「かけがえのない宝」が飾られている。
そこに真優ちゃんの作品はなく、あるのはクレヨンで描いたふすまの落書き。
「真優の作品がないのが寂しいんです。もっといっぱい落書きをしてもらえばよかった」と声を落とす。
男児は3歳の時、ミハルさんに「僕も我慢しているから、ばあちゃんも泣かないで」と励まし、周囲を驚かせた。
貴子さんと真優ちゃんの話を嫌がる時期もあったが、いつしか「心配させたくない。安心させてあげたい」と思うようになっていった。
今春、東京の大学を卒業し、関東で就職した。
時々電話をしており、最近では「コメを送ってほしい」と話していたという。
敏雄さんは「家のことなど、教えたいことがいっぱいある」といい、いつか時間をかけて伝えるつもりだ。
今は「あの子が結婚するまでは元気でいたい」と思っている。
※上記事は新潟日報2024年10月23日7:02配信を転載致しました。
動画
この救助の状況を元に作られた動画がありましたので紹介します。
(2ch)泣き笑いほっこり『LAN』様
さいごに
私のnote記事は営利を目的とはしておりません。
単純に涙した話を皆さんと一緒に共有したいと思い記事にしています。
しかしながら「著作権」などの問題がある場合は削除致しますのでお知らせください。
最後までゆっくりお付き合いいただきありがとうございます。
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