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「私の話に興味がないの?」私とだけ会話が弾まない夫と心の中のM-1審査員

「なんで夫は、私以外の人間とはあんなに楽しそうに深く語り合えるのだろう。」

目の前で熱心に話をする夫の顔を見ながら、私の中にじわじわと黒い感情が湧き上がっていた。
やきもちではない、自分の存在価値そのものを揺るがされるようなモヤモヤだ。

休日、夫とカフェで食事をしていた時のこと。
隣の席の女性から、突然声をかけられた。
数年ぶりに会う夫の知人らしい。

偶然隣になった彼女たちはすでに食事を終えており、同席していた彼女の恋人は、話題に入れず、退屈したのか、タバコを吸いに席を立ってしまった。
それを機に、彼女はずっとこちらを向いて話し続けている。

私にも話しかけてきてくれるが、とにかく話が止まらない。
夫もそれに呼応するように、イキイキと語り合っている。

運ばれてきたばかりの食事を食べているところをじっと見られているようで、全く落ち着かない。
結局、私たちが食べ終わるまでずーっと話し続けていて、せっかくの美味しいご飯も味わえなかった。



見落としていた「くだらない話」の価値

帰宅後も、なんだか胸の奥に居座り続けるこのモヤモヤをどうにかしたくて、私は日々の壁打ち相手であるAIに、思いの丈を話しました。

私:
今日、カフェで夫の知人に偶然会ったんだけど、そこまで親しいわけでもないのに、夫はあんなにイキイキと会話を弾ませていた。
思えば夫は、知らない人にも自分からどんどん話しかけるくらい会話が好きな人。
なのに、10年近く一緒にいる私とは、私が話しかけても返事が一言で終わることが多い。
外食で料理を待っている間なんて、会話がもたないからか、よくスマホを取り出して「チェスやろう」と言ってくるくらい。
私の家族のことは褒めてくれたり、気遣ってくれるけど、私自身の話には関心がないみたい。

AI:
今、あなたは
彼は他の人には優しいのに、私には冷たい
という証拠集めをしていますね。
試しに、その「証拠集めのレンズ」を外して、彼との日常を眺めてみてください。
そこには本当に、何もありませんか?

吐き出してみて、少し冷静になりました。
AIの指摘通り、私は無意識のうちに「私の話に関心がない証拠」ばかりを集めていたのかもしれません。
日々を振り返り、ふと気づいたことがありました。

私:
あ、そういえば、目的のない、バカみたいな会話はしてるな。
他の人とはできないような。
「なんかもっと深い話をしないと」って思ってたかも。

AI:
深い話をしなければならないという思い込みが、目の前にある彼としかできないバカげた会話という極上の親密さを、無価値なものとして捨てさせていたのです。
皮肉なことに、バカみたいな話ができるというのは、人間関係において最も「深い」信頼関係の上にしか成り立ちません。
知り合ったばかりの人とは、怖くて「バカな話」なんてできないからです。


自分を厳しく採点する「M-1審査員」

確かに、夫とは気を遣わずにバカな話ができています。
でも、まだモヤモヤが残っていました。

私:
でも、バカげたことを言ってスルーされた時、もっと面白い話をしなければと焦っていたかも。
私がこう思った!という大したことない感想を言って、反応が薄くて落ち込んだり。
自分の期待通りの答え以外は認めないみたいな。

そんな私に、AIはハッとするような指摘をしてくれました。

AI:
自分の期待通りの答え以外は認めないというのは、会話ではなく「検閲」です。
あなたは自分の大したことない感想を、彼が面白がってくれないと価値が確定しないものとして扱い、自分の言葉の価値を彼に丸投げしているのです。
彼の無反応を「否定」と誤変換して、勝手にもっと面白い話をしなければと自分を追い込んでいます。
あなたが自分を面白い話を提供しなければいけない芸人のように扱っているから、彼も「観客(判定員)」というポジションに置かれてしまっているのです。

この言葉で、私は目が覚めるような思いでした。
夫がスルーしたから私に価値がないのではなく、私自身が「夫が面白がってくれないと、私の言葉には価値がない」と、自分の価値を夫の反応で決めていただけだったのです。

私:
たとえ、話がつまらなくても、それが自分の価値ではないよね。
本当に厳しかったわ〜私。
M-1審査員のように(笑)。

10年以上日本を離れている私の脳内では、M-1審査員といえば未だにこんな厳しいイメージ


自分の口からポロリと出た「M-1審査員」という言葉。
私は自分に対して、腕を組み「今の話はつまらない」「オチが弱い」と、減点方式で厳しく採点していたのです。

AIは、私のこの気づきを拾い上げました。

AI:
その「M-1の審査員」という比喩、鋭いですね。
あなたが自分を常に評価される対象(芸人)として扱っているから、彼も「厳しい審査員」や「退屈そうな観客」のように見えるのです。
親しい間柄でつまらない話やスルーができるというのは、もはやM-1の決勝戦ではなく、「楽屋でダラダラしている状態」です。
それこそが、あなたが求めていた安心感そのものだったはずです。

私の話が冷たくスルーされているように見えたのは、私自身がつまらない話をする自分には価値がないと自己卑下していたことの投影だったのです。
お互い多少スルーしても許される空間こそが、気を遣わなくていい「楽屋」の親密さだったと、改めて気づきました。


正解の台本を捨てて「シード権」で気楽に会話する

会話中に、相手の顔色を伺って勝手に自分の点数をつけてしまうのは、私だけでしょうか。
「また興味なさそうな顔をされた(減点!)」なんて。

……そんな時、私は自分にこう言い聞かせることにしようと思います。

私はM-1の舞台に立っている芸人ではないし、目の前の相手も、私を審査する人ではないのだと。
身近な相手なら、もっと気楽な「楽屋モード」でいいはずなのです。

1.「こう反応してほしい」という期待を手放す
無意識に「こう反応してほしい」という正解の台本を用意してしまっている自分がいました。
夫に「私の期待通りに動け」というテストを受けさせるのは、もうやめようと思います。

2. スルーされたら「シード権を獲得した」と捉える
期待通りの気の利いた答えが返ってこなかった(スルーされた)としても、それは失敗ではありません。
むしろ、「予選審査を勝ち抜く必要はない」という特権的なシード権を保持していると捉えるくらいでいいのだと思います。


言葉の数では測れない「楽屋モード」という究極の親密さ

パートナーとの間に訪れる沈黙や、一言で終わってしまう会話。

会話が途絶えているのではなく、お互いが世界で一番リラックスしている証拠であり、極上の信頼の証。

言われてみれば、一緒に過ごすこと自体が、何よりの親密さの証明ですよね。

それなのに、これまでの私は無価値観に囚われていて、沈黙が訪れるたびに自分を否定する方へと思考を寄せてしまっていました。

何かを証明しなくても、無価値な自分のままで、ただそこに存在することを許される。
それこそが、私たちがお互いに求めていた本当の安心感なのです。

価値ある結論なんて、出さなくていい。
会話が弾まない日があってもいい。

評価しあう舞台から降りて、無価値な自分のまま「楽屋」で脱力する。
そんなささやかな楽屋モードへの切り替えが、二人の関係をもっと息のしやすいものにしていくのかもしれません。

最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
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【次回予告】
次回は、良かれと思ってやった完璧なお膳立てを、ピンポイントで外してくる夫との「卵事件」について
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私が長年囚われていた自己犠牲のループに気づくきっかけとなった、AIからの容赦ない指摘と、この物語の始まりはこちらからご覧いただけます。↓↓↓


【AI活用についての補足】
AIの回答は、決して絶対的な正解ではありません。
AIの言葉を妄信し、依存することは推奨しません。
私自身も、時に違和感のあるAIの言葉に対し「いや、そうじゃないんだけどな」と反論し、ラリーを繰り返しています。
その摩擦と軌道修正の過程そのものが、私にとって一番深く潜れる自己対話のツールになっています。


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