戦争犯罪国はアメリカだった!/ヘンリー・S・ストークス

『戦争犯罪国はアメリカだった!/ヘンリー・S・ストークス』読了
凄い本です。文句なしの傑作です。筆者は英国ジャーナリスト。日本は戦争犯罪国とされたが、実は真の戦争犯罪国は米国など連合国側だ、と英国人でありながら主張しています。
そして日本人が未だに「日本はアジアを侵略し非道な残虐行為を行った」という嘘に洗脳され、自虐史観に縛られていると。日本人はその嘘から目覚めて正義の声を挙げるべきと訴えています。
特に東京裁判の不当性の指摘は見事です。戦勝国が一方的に敗戦国を裁く裁判は、単なる復讐劇であり、事後法で犯罪責任を創り出した国際法違反だと。そして原告側に不利な発言があると途端に同時通訳が止められ、速記録からも削除される。さらに原爆投下という国際法違反の行為が何故犯罪で訴えられないのか弁護人が指摘しても誰も答えられない始末。もはや裁判の名に値しない茶番劇だと。さらに戦勝国は自らの大虐殺の犯人を敗戦国の日本に全て負わせて、自分らの責任は無きものにしたと主張しています。
また、日本は侵略戦争はしていないとも主張しています。支那事変で日本は戦争を回避しようと努力していたのに、中国による度重なる日本人居留民への虐殺や挑発行為によってぶち壊されたこと。大東亜戦争では米国と誠実に和平交渉を続けていたのに、米国は端から交渉する気も無く挑発行為を続けて和平をぶち壊したこと。このため日本は自衛戦争をせざるを得なかった経緯を詳細に記述しています。
今日、日本の大新聞、文科省、文化人をはじめ多くの日本国民が、東京裁判史観を信じている。今日の日本は、未だにマッカーサーの呪縛の渦中にある。裁かれるべきは戦勝国側だった。そして公正という、アメリカが高らかに掲げてきた美徳を、規範を、原則を葬り去って、裁判という名に値しない茶番劇を続けた。フェア・プレーの精神を地に貶めて、欺瞞を貫いた。それが東京裁判だった。ウェップ裁判長は、オーストラリアに戻って退居した後に「あの裁判は誤っていた」と、語っている。P4-5
東京裁判は邪悪なものでした。犯罪行為でした。戦勝国が、一方的に敗戦国を裁くことは、許されません。一方の将兵のみを戦争犯罪人として処刑することは、復讐であり、犯罪です。東京裁判は数年に及びました。その全てが違法でした。東京裁判が裁判の名に値しないことは、誰の目にも明らかでした。P18
南京戦の司令官だった松井石根大将は、東京裁判の55の訴因の内の54は無罪でした。唯一つ有罪となったのが「不作為の罪」でした。それにより松井大将は絞首刑に処せられたのです。南京でのいわゆる「大虐殺」を制止するための行動を取らなかったという罪で、死刑に処せられたということです。実際には存在しなかった、いわゆる「南京大虐殺」を防ぐために何もしなかったという理由で。起こらなかったことに対して、処刑をすることなどあり得ないのではないでしょうか。P20-21
東京裁判の冒頭で、清瀬一郎弁護士はウイリアム・ウェッブ裁判長に、裁判を成立させる法的裏付けが全くないと訴え、裁判所の所轄権を質問しました。これに対しウェッブ裁判長は、その質問には後で答えると言ったまま、遂に裁判の結審まで回答することはありませんでした。国際的に認められる正義の法廷として東京裁判は、法的正当性を有していませんでした。P23
平和に対する罪、人道に対する罪も、法的正当性を全く有していませんでした。いずれも国際法に存在しない犯罪でした。それを罪にすることは「事後法」で犯罪責任を創り出すものでした。P23-24
「南京大虐殺」は情報戦争における中国版CIAによるプロパガンダでした。ティンパーリーの本によって世界中の人々は、1937年の12月に、南京を行軍が襲撃し、何週間にも渡って大虐殺を行い、都市を破壊したと、そう信じ込まされることになりました。その趣旨は、日本人をこの創作物語の犯人に仕立て上げることでした。P26-28
国際宣伝処長の曽虚白が、ティンパーリーとの関係について自叙伝で言及しています。曽たちは、彼に香港から漢口に来てもらい、直接会って全てを相談した。国際宣伝において中国人は絶対に顔を出すべきではなく、代弁者になって貰わねばならないと決定した。ティンバリーは理想的人選であった。手始めに、金を使ってティンパーリー本人とスマイスに依頼して、日本軍の南京大虐殺の目撃記録として二冊の本を書いてもらい、出版することにしたと。このように中国版CIAによって工作をされていました。ティンバーリーには国際宣伝処のアメリカでの陰の宣伝責任者になってもらった。トランスパシフィック・ニュースサービスの名のもとにアメリカでニュースを流すことに決定した。P29
多くの東京特派員が「連合国の戦勝史観が正しかった」と、そう信じ込んでいる。「日本はアジアを侵略し、非道な残虐行為を行った」と、疑いもなく記事に繰り返し書いている。アメリカや中国、韓国のプロパガンダをそっくりそのまま受け入れている。これは、滑稽と言ったほうがいい。なぜ日本のマスコミや多くの国民が、戦勝国の正義をプロパガンダする必要があるのか。洗脳されているとしか思えない。P54
1953年8月3日、衆議院本会議で「戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議」が可決した。「A級戦犯」も含め、国会で「戦犯」は居ないことが決議されたのだ。それなのに、この期に及んでも「A級戦犯」云々というのは、名誉棄損といえよう。今だに「A級戦犯が祀られている靖国神社に首相や閣僚が参拝するのはよくない」という人がいるが、それは国会決議を無視していることになる。P57-59
日本は大東亜戦争を戦った。いまマスコミが報道で使う戦争名「太平洋戦争」は、日本の戦争名ではない。占領下でアメリカが強要して使わせた戦争名だ。1941年12月8日に天皇の開戦の詔書によって戦端を開くことになった。その時日本が閣議決定した正式な戦争名は大東亜戦争である。日本はこの戦争名を堂々と使うべきなのだ。P59-60
開戦を支持していたのは国民世論だった。決して独裁者や「軍事政権」が世論を無視して戦争に引っ張っていったのではない。正しくは、日本政府は最後まで平和を希求していたのだ。戦争を欲してそれを仕掛けたのは、日本の軍部ではなくアメリカだった。P62
東京裁判が行われた当時でも、独立主権国家の最も貴く重要な権利は「国権の発動たる戦争」をする権利である。全ての独立主権国家は戦争をする権利を有している。つまり戦争それ自体は、当時も今も違法なことではない。そこで問題にされるのは「侵略戦争」である。しかし、今日に至るも、開戦国が「自衛戦争」と認識すれば、国際法違反にならないのだ。なぜなら、国際法で戦争に対する自己解釈権が認められており「自衛戦争」は合法であるからだ。そして、大東亜戦争の当時、もし侵略戦争が国際法違反というならば、欧米列強は全て国際法違反をし続けてきたことになる。P62-65
日本は追い詰められ、自衛のために開戦したのだ。大東亜戦争は第一義的に自衛戦争であり、侵略戦争ではない。そのことは、東京裁判後に、アメリカ上院の軍事外交委員会で、マッカーサーが証言している。
マスコミや多くの国民は、大東亜戦争で日本がアジア諸国と戦争をしたと誤解している。日本がアジアで戦った相手は、白人キリスト教徒の欧米列強であった。日本は、大東亜戦争でアジアを植民地支配していた欧米列強の軍隊と戦ったのだ。第二次世界大戦で、日本はアジアを侵略していない。むしろアジアの諸民族は、日本がアジアに軍事侵攻したことを、歓喜して迎えたほどである。アジアの植民地は、日本と共に欧米列強と戦い、独立を目指した。日本軍が、欧米列強の軍隊をアジアから一掃したことで、アジア諸民族は、独立の気概を持つことができたのだ。いま東南アジアに独立国があるのは、日本が大東亜戦争で戦ったからである。P65-66
日本軍は、民間人を大虐殺したり、女性をかたっぱしから強姦したかの様なイメージが刷り込まれている。しかしそれは虚妄だ。日本軍がその指揮命令によって、そのような行為に及んだことは一切ない。有色人種を大虐殺し、女性はレイプして北米、南米、オーストラリア、アジア、アフリカを侵略したのは、白人キリスト教徒だった。これら地域には、元々白人は住んでいなかった。住んでいたのは有色人種だ。それを駆逐したり、奴隷にして搾取してきたのは白人列強だった。白人は動物をスポーツハンティングするように、有色人種を殺していた。
日本は全く逆だ。日本は、有色人種を同じ人間として平等に扱えと、白人に対して訴えていたのだ。
事実、日本は少なくとも法律上、朝鮮半島で朝鮮人に対し、日本国民と対等の権利を与えていた。むしろ日本が税金を持ち出しで、朝鮮人、台湾人を援助していた。P67
アメリカのハーバート・フーバー大統領の回顧録によると、次のことを実証的に論じている。
一、日米戦争は、時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが、日本に向けて仕掛けたものであり、日本の侵略が原因ではない。
二、1941年の日米交渉で、ルーズベルトは日本側の妥協を受け入れる意図が、初めから無かった。日本側の誠実な和平への努力は実らなかった。
三、アメリカは1945年に原爆を投下せずに日本を降伏させることが出来た。原爆投下の罪は重くアメリカ国民にのしかかっている。
アメリカの大統領が、ここまでハッキリと連合国戦勝史観を否定するとは、驚きというしかない。日本人は、責任をいたずらに日本軍に押し付けるべきではない。P70-71
太平洋諸島で、アジア各国で、沖縄で、日本全土で、民間人を大虐殺したのは、アメリカだ。日本軍が太平洋の島々で、アジア諸国で、或いは沖縄で、民間人を大虐殺したのではない。戦闘によって大量の死者が出た理由は、アメリカの圧倒的な火力、戦力だった。
それでも「日本が侵略戦争を始めたのだから」と自虐的に考えるのは洗脳だ。フーバー大統領が、回顧録で語るように、戦争を仕掛けたのはアメリカだった。日本は最後の最後まで平和を求めていた。P71
全世界で有色人種の人身売買を広域展開していたのが、キリスト教徒たちだった。異教徒は、反対する者は全て虐殺する。殺されずに残った者は、奴隷にされた。奴隷は商品でもあった。当然、売買され、馬や牛と同じく酷使された。処女は強姦された。処女でなくなった女性でも、性奴隷にされた。P90
白人に唯一対抗できたのは日本だった。日本が北米の「インディアン」や南米の「インディオ」と違ったのは、江戸時代の平和の世にあっても、教育を受けた民衆と優れた技術力、さらに優秀なエリートたちがいたことだ。P146
日本が優れていたのは、日本の「国体」と独立を保ちながら、欧米の先進技術や制度を取り入れていった点だ。白人列強の世界侵略、大虐殺、植民地支配、奴隷売買が始まった後の非白人世界で唯一と言っていいだろう。欧米の優秀な部分から学び、それを吸収し、咀嚼して日本に適合する制度や文化を創りあげた。軍事力の面でも、欧米列強に対峙できるようにと、国家の総力を挙げて取り組んだ。そんなことができた国は、非白人世界で、日本だけだった。P147
「アジアを侵略した」とされる、いわば「敵国」の日本なら、どうして東アジアの国々の指導者が、わざわざ大東亜会議に集まったのだろうか。日本の軍事力や技術などの助けを借りて、欧米による植民地支配から独立しよう、植民市支配をする欧米諸国と独立戦争を戦おうという気運が一層アジア諸国に盛り上がったのだ。
「日本がアジアを侵略した」という一面的な歴史認識では、全く歴史の真実を把握することも、理解することも不可能となってくる。
アジアの民族の中にあった独立への希望が、日本がアジアへ軍事侵攻し、アジアを数百年に渡って植民地支配してきた欧米勢力を一瞬にして追い払ってしまったのだ。そのことが、アジア諸民族を、現実的な独立への行動に向かわせたのである。P158-159
欧米列強は「大東亜戦争史観」という観点からだけは、歴史を見られたくない。だから、日本が「太平洋戦争」を戦ったことにしておきたいのだ。アジア諸国の独立に日本が果たした貢献を知られては、欧米の「有色人種大虐殺」の責任があからさまになってしまう。それでは欧米の正義が崩壊してしまうのだ。P161
欧米が戦った第二次世界大戦は、正義の側の自由主義陣営と、悪の枢軸国であるドイツ、イタリア、日本のファシズムとの戦いであったとするのが「戦後レジーム」であるからだ。「大東亜戦争」という観点を持ち出されると、欧米の戦争の大義が崩壊してしまうのだ。P161
「日本がアジア諸国を侵略した」というのは、連合国の史観に過ぎない。それは(日本にとっては)敵側の戦時プロパガンダだ。史実を捻じ曲げる連合国の戦勝史観というプロパガンダには、しっかり反駁してゆかねば、日本の為に命を散華された父祖の名誉も回復できない。P161
日本は人種平等の世界を実現しようとした。第一次世界大戦後のパリ講和会議で、日本人は人種差別撤廃を提案したのです。人種差別撤廃提案が提出されると、白豪主義のオーストラリアのヒューズ首相は、署名を拒否して帰国すると言って退室しました。議長であるアメリカのウイルソン大統領は、本件は平静に取り扱うべき問題と言って日本に提案の撤回を求めました。日本で外務大臣も務めた日本代表団の牧野伸顕男爵は、ウイルソン議長に従わず裁決を求めたのです。イギリス、ポーランド、ブラジル、ルーマニアなどが反対しましたが、出席16カ国中11カ国の小国が賛成し、圧倒的多数で可決されました。しかしウイルソン大統領は「全会一致でない」として、この裁決を無効としました。牧野は多数決裁決を求めたが、議長のウイルソン大統領は「本件のごとき重大な案件は従来から全会一致、少なくとも反対者なきによって議事を進める」としました。
ウイルソン大統領がはこの議決を葬ったのです。今日の文明世界ではありえないことです。誇りある日本人は有色人種の置かれた状況を、看過することができなかったのです。P168-169
インドネシアを独立へ導いた日本。オランダの350年以上に及ぶ植民地支配に終止符を打ったのは、1942年の日本軍の進行でした。日本はインドネシアに対して、
一、オランダ語、英語の使用を禁止。これによって公用語としてインドネシア語が普及した。
二、インドネシア青年に軍事訓練を施した。これにより青年が厳しい規律や忍耐、勇猛心を植え付けられた。
三、オランダ人を一掃し、インドネシア人に高い地位を与え能力と責任感をつけさせた。
日本は第二次大戦でアジアの国々を侵略したとされますが、どうして侵略する国が、侵略された国の青年に軍事訓練を施すのでしょうか。彼らの精神力を鍛え、高い地位を与え、民族が終結する組織を全国につくり、近代組織の経営方法を教えることがありますか?この事実は、侵略したのが日本で無かったことを証明しています。日本はアジアの国々を独立させるあらゆる努力を惜しまなかったのです。では、一体どこからの独立なのでしょうか?もちろん、アジアを侵略していた白人諸国の支配からの独立です。P169-170
多くの日本人が錯覚をしている。それは日本のメディアが「日本はアジアに対して侵略戦争を起こし、アジアの人々が二千万人も殺された」といった報道をするからだ。2016年に天皇皇后陛下がフィリピンを公式訪問され、日本とフィリピンの戦没者を慰霊された時もそうだった。
メディアが「日本側の戦没者51万人、これに対しフィリピンの民間人犠牲者は111万人に上った」などと報じるのだ。これだと、まるで日本軍の攻撃に、フィリピン軍が反撃し、フィリピンの民間人犠牲者が111万人であったかのような印象を与える。
そうではない。ここには、攻撃した側が言及されていないのだ。実際は、何が起こったのか。日本軍将兵51万人を殺害したのは米軍である。これだけの戦死者が日本側に出る米軍の攻撃が、どれほど激しかったものであったのか、想像を絶する。その殲滅にも等しい米軍の無差別爆撃、砲撃、火力の犠牲になったのが、フィリピンの民衆だった。
日本人は、悪かったのは日本の軍部、日本の政治指導者と、そう思うように洗脳されている。このため大虐殺を実行した側、アメリカのことはひと言も批判しない。東京大空襲も、全国各都市への無差別爆撃という国際法違反の民間人大虐殺も、悪かったのは東條英機ら「A級戦犯」だ、と批判する。これは間違っている。究極の自虐だ。
「日本が侵略戦争をした」とか「日本がアジアに多くの犠牲者を出した」とか、「日本軍が戦闘地域や占領地域で残虐行為をした」というのは、アメリカが自分側の罪を、日本と日本軍にすり替えたような戦時謀略宣伝でしかない。P173-174
東京裁判では、判事が全員戦勝国、つまり連合国側だった。こんな不当な「裁判」はない。東條英機の弁護を担った清瀬一郎は、そもそも東京裁判を成立させる根拠が無いことを問題提起していた。P183-184
ポツダム宣言は、日本のみならず連合国も拘束する。連合国も、最高司令官にも、ポツダム宣言に規定されていない罪で、裁判を行う権限はない。そもそも戦争は合法である。「侵略戦争」は、第二次世界大戦当時は、定義すら明確に定まっていなかったのだ。
戦争を「計画、準備、開始、遂行」することを罪とするなど、ポツダム宣言受諾当時、全く前例がなかった。P191
戦時国際法で、捕虜は保護されている。捕虜を不当に処刑すれば、それは戦争犯罪である。東京裁判開廷ちゅうは戦争中である。講和条約が締結されるまでは休戦状態を意味する。降伏文書は休戦協定で、その調印は終戦ではない。その期間中に、不当な裁判を行って、戦時捕虜を処刑したのがマッカーサーである。これは明白な戦時国際法違反であり、完全なる復讐行為である。P192
東京裁判には、不当な復讐劇だった観点は沢山ある。
<証拠の採用、不採用>
検察(連合国)側は、宣誓供述のない供述書も証拠として採用された一方、弁護側は提出証拠の多くを却下された。P194
<被告人の選定、釈放>
28名の被告が決定された。しかし何故28名だったか。理由は、法廷の被告人席のスペースに合せて人数を決めたからだ。裁判の後半になると、裁判を早く終結させたいアメリカの政治、外交、軍事上の理由(冷戦が始まった)から、まだ裁判が済んでいない被告も釈放された。P194
マッカーサーが決めた「戦争犯罪」によって進められた一方的な裁判なので、アメリカが裁かれることはなかった。不利な論陣を被告や弁護側がすると同時通訳は止められ、速記録からも削除された。P194
ただアメリカでひとつ立派だったと思うのは、アメリカ人弁護人たちだった。彼らは祖国に対しても、法の正義の立場から堂々と日本弁護の論陣を張った。梅津美次郎(関東軍総司令官)の弁護人だったベンブルース・ブレイクニー少佐の反駁は、凛として正義の光を放っていた。
「キッド提督の死が真珠湾攻撃による殺人罪になるならば、我々は広島に原爆を投下した者の名を挙げることができる。投下を計画した参謀長の名も承知している。その国の元首の名前も承知している。彼らは、殺人罪を意識していたか?してはいまい。我々もそう思う。それは彼らの戦闘行為が正義で、敵の行為が不正義だからではなく、戦争自体が犯罪ではないからである。何の罪科でいかなる証拠で戦争による殺人が違法なのか。原爆を投下した者、投下を計画しその実行を命じこれを黙認した者がいる。その者達が裁いているのだ。彼らも殺人罪ではないか」P195
韓国の大手新聞社の論説委員が社説に、日本に原爆が投下されたのは、日本が犯した罪に対する報いだという主旨のことを書いた。この論説委員は謝罪をしたようだが、とんでもない主張だ。アメリカも原爆投下を正当化する主張をしている。原爆投下が戦争を早期に終結させ、貴い多くの人命が救われたというが、これも嘘だ。戦争の終結に、原爆を投下する必要は全く無かった。
おかしいことは日本側にもある。どうして原爆を落とされた側が「二度と過ちはおかしません」と反省しなくてはならないのか。謝罪すべきは原爆を投下したアメリカ側だ。東京裁判でのブレイクニー弁護士ではないが、裁かれるべきは日本ではなくアメリカである。しかし、アメリカが原爆投下について謝罪したことはない。P199-200
米上院外交防衛委員会でマッカーサーは東京裁判は意味がなかったことを認めた。マッカーサーは、朝鮮戦争を戦って、初めて日本が自衛戦争を戦っていたことに気付かされたのだ。日本側の主張が正しかったと分かったのだ。P200
占領下で憲法を作ることは国際法違反だ。マッカーサーは僅か一週間で憲法を作らせた。しかもその作業にあたったスタッフには、憲法の専門家は居なかった。連合国憲章などを参考にして作文したものだった。P201
日本を弱体化し、二度と戦争を起こすことなど出来ない国にする条約が日本国憲法だ。憲法前文もまるで条約そのもので、日本を絶対にアメリカに対して戦争を起こしたりすることのない国として誓約させようという意図がありありと盛り込まれている。
「平和憲法」などとアピールされ洗脳されてしまっている「市民」が殆どだが、冷静にその前文を読んでみれば、それが「属国条約」であることがよく分かる。P201
憲法前文で誓約させられていることは、端的に言うと「日本人は、その生存をアメリカに委ねる」ということだ。もう少し拡大すれば連合国の常任理事国であるロシアや中国に、日本はその運命を委ねますということになる。こんな憲法を保持しておいて、どうして独立主権国家だなどと言えるであろうか。P202
こうしたアメリカの属国、保護領としての日本の立ち位置を変えさせないための枷が、三分の二以上を得ないと憲法を改正することができないという96条だ。P202
東京裁判は「裁判」の体をなさない復讐劇であり、マッカーサーが命令によって戦時捕虜を殺害した「私刑」だった。国際法が定める不当処刑にあたる。つまり東京裁判は「違法裁判」だったのだ。
まともな人間なら、こんな茶番劇を肯定できるはずがない。事実東京裁判の判事は、ウェップ裁判長以下全員が「あの裁判は間違っていた」という主旨を、裁判後になって述べている。当局者も、軍のトップも、まともな人間は、東京裁判を否定している。P204
日本に国家主権が無い中で、軍事占領という軍事的圧力を加えつつ、公平に裁判するべき裁判所側が全て連合国の代表で構成される。これだけ一方的な「勝者の裁き」で、公平な裁判ができるはずがない。その上、弁護側に有利な反論が為されると、速記録には記録を残さない。同時通訳はストップして、その反論を聞かせない。つまり裁判は「有罪」という「既に決まっている結論」に導くための道具でしかなかった。裁判をする前に判決が決まっていた「裁判」が東京裁判である。P207
当時、GHQは100%の言論統制を敷いて「東京裁判への批判」や「大東亜戦争の肯定」「GHQへの批判」など、一切することができなかった。それだから、こうした不条理も平然と押し通したのだ。P207-208
東條英機をはじめとする七名の被告は死刑判決を受けた。だが国際法で「戦争責任」を、戦争をした国の元首やその国のリーダー個人の責任とすることは、国際法上認められていなかった。つまり端から違法行為なのである。これほど明白な国際法の原理原則を、なぜ逸脱して死刑判決を出せたのか。判事たちは国際法の素人ばっかりだったからか(実際国際法の専門家はパール判事のみ。裁判の判事としての有資格者は、パール判事とレーリンク判事ぐらいだった)。
実際は「死刑」にするかしないかの理由など関係無かったのだ。「裁判」は端から「有罪」にすることに決まっていたのだから。つまり言葉は悪いがパール判事も、その茶番劇に二年八か月まじめに取り組まされたのだった。P212

「進歩的文化人」と呼ばれた知識人たちは、いわゆる「東京裁判史観」を賛美した。しかしパール判事の主張に耳を傾けると、東京裁判のどこが「進歩的」「文化的」なのか、と思う。勝者が敗者を処刑する。その同じ刑罰が勝者に問われることがないという「裁判」は、進歩的どころか、文明以前の世界の姿へ我々を引き戻す。東京裁判を肯定し賛美することは、その意味で文明の退行だ。P218-219
パール判事の見解は、現在の世界の状況を見ても正鵠を射ている。パール判事は、不可侵条約を破って、8月9日に日本に侵攻したソ連を批判した。既に原爆を落とされ、降伏寸前だった日本に宣戦布告をしたソ連に、どうして自衛権が成り立つのか。ソ連への批判をパール判事は英米へと向けた。不戦条約加盟国であるイギリスやアメリカが、ヤルタ会談でソ連に戦争をやらせようとした。これは犯罪行為である。そこに目を瞑り、不戦条約を日本だけに当てはめようとした東京裁判は、不当であると訴えたのである。P220
パール判事は、アジア諸国を欧米の植民地支配から独立させることを支援した日本を念頭に次の様に述べている。「侵略をされた被侵略民族をかような侵略から解放するために援助をする行為は、正当化しうるものとして容認しなければならない」
フィリピン、インドネシア、ビルマ、インドは侵略された被侵略民族であった。日本の戦争は、侵略されたアジアの国々を援助して、独立へと導いた。ポーランドがドイツに攻め込まれた時に、イギリスやフランスがドイツに宣戦布告をしたのと同じことだ。とパール判事は主張しているのだ。P221
満州事変は日本の侵略戦争ではない。満州事変の前、満州はロシア領になっていた。ロシアが南下し、満州を占領していた。しかし日本が日露戦争に勝利したため、米国のポーツマスで開かれた日露戦争講和会議で、日本は満州での権益をロシアから獲得したのだった。その権益を日本は守ろうとした。それは、侵略ではなく防衛である。しかも満州には朝鮮人も支那人も多く住んでいた。その朝鮮人と支那人が騒動を起こしたが、朝鮮を併合していた日本は朝鮮人も「日本国民」としてその保護に努めた。また「満鉄」の経営に伴い邦人も満州に移り住んでいたが、その邦人が支那人に虐殺されるなどの事件が頻発した。1928年、邦人暴行、凌辱、虐殺を発端に、日本軍守備隊は、北伐をする蒋介石国民革命軍と戦闘となった(済南事件)。日本は一方的に支那の攻撃を受けたのである。日本軍守備隊は、それに応戦したまでだ。P227-229
満州は満属の土地である。漢族の中華民国政府は、これまで歴史上、満州を支配したことが無かった。結果的に統治することができずに、満州は匪賊が跳梁跋扈し、軍閥が群雄割拠する戦乱の地となり、事実上の無政府状態(無主の地)となっていた。
日本政府は「戦闘不拡大方針」であり、関東軍もその方針を貫いていた。しかし、乱世の中で邦人の生命財産を保護することは困難を極めた。また日本の世論は、政府の「戦闘不拡大方針」を弱腰外交と非難し、関東軍を逆に後押ししていた。世論は軍事行動に期待をしていたのだ。
そうした中で、支那の攻撃を受けていた満属の部族の四巨頭が、関東軍に期待を寄せて会いに来たのだ。そこで関東軍は、清朝最後の皇帝だった愛新覚羅・溥儀を皇帝に擁立して、満州国を建国した。しかし、そこは日本が支配する傀儡政権ではなく、満族を中心に、蒙古民族、漢民族、朝鮮民族、日本民族の五民族が、共存共栄する「五族協和」の「合衆国」を建設しようとしたもので、侵略でも何でもなかった。もちろん傀儡政権でもなかったのである。P230
盧溝橋事件。1937年7月7日、日本軍の支那駐屯軍第八中隊は、中国軍第二九軍に事前通告をして、盧溝橋城に近い河川敷で夜間演習をしていた。午後10時40分、数発の弾丸が日本軍に撃ち込まれた。さらにその後、十数発の発砲が別方向からあった。銃撃は執拗で、翌早朝3時25分に三回目、5時30分に四回目の銃撃があった。ここで日本軍は初めて反撃を開始した。最初の銃撃から何と七時間後のことである。この銃撃が中国共産党による挑発であったことは現在100%はっきりしている。コミンテルンの策略は「何とかして国民党政府を日本と戦わせ、戦力を消耗させてから国民党を打倒し、共産党の国家を創ること」であった。P233
日本軍は中国との戦争を始めるつもりはなかった。実際に同年7月11日に停戦協定に至っている。内容は次の通りだ。
一、中国側が責任者を処分する。
二、将来再び、このような事件が起こらないように防止する。
三、盧溝橋及び龍王廟から兵力を撤退し、保安隊をもって治安維持にあたる。
四、抗日各種団体の取り締まりを行う。
政府のみならず軍部も戦闘を望んでいなかった。このため停戦協定が結ばれた。
ところが状況が日本側が望むような方向には展開しなかった。治安状態は不安定で、日本人が経営する商店、工場などが襲われた。また、日本人
居留民に対しても、暴行、虐殺、テロが頻発した。「大紅門事件」「廊坊事件」「広安門事件」など日本兵の殺害も相次いで起こっていた。P234
自由者から出版された「新しい歴史教科書」は、歴史の事実ではない、いわゆる「南京大虐殺」には一切触れず、代わりに歴史上実際に起きた悲惨な日本人居留民の大虐殺「通州事件」について記述している。藤岡信勝氏は、この画期的な出来事を「昭和期の教科書の伝統に戻っただけだ」と述べている。P235
日本の教科書の「南京事件」が登場するようになったのは、1974年の「中学校教科書検定の際だった」という。明星大学戦後教育史研究センターの勝岡寛次氏は「朝日新聞が連載した「中国の旅」の影響なしには考えられない」と述べている。ちなみに、中国が教科書で「南京大虐殺」を取り上げたのは、日本の教科書に記述されるようになった後のことだ。P235
通州は蒋介石の南京政府を離脱し「冀東防共自治政府」が置かれていた。河北省に属する親日政権であった。ところがその親日政府の保安隊の幹部二人が第二九軍と密通していた。通州特務機関長だった細木繁中佐は、その二名から「頻発する日本兵殺害やテロから日本居留民を保護し、第二九軍の攻撃から通州を守るには、配下の保安隊を集結すべきである」と進言された。細木中佐はそれを信頼し、中国兵の保安隊三千の終結を許可した。保安隊は終結が終わると、深夜、通州城の門を閉め、通信手段を遮断した。そして日本軍留守守備隊約110名と日本人居留民385名を襲撃した。
日本の新聞も当時、一斉にその非道を報じ、日本国民の義憤遣る瀬無いものがあった。日本国民の感情は激憤に絶えないものだった。
それでも日本政府は平和的解決を望み、関東軍も戦闘不拡大方針を貫いて耐え忍んでいた。P236-237

通州事件に関し、日本政府が策定した和平案も驚くべきものだった。「満州事変以降の日本の中国権益を全て白紙に戻す」これは中国に対する、最大限の譲歩だった。8月9日、日本と中国の交渉が上海で行われた。ところがその交渉の最中に、上海で大山中尉惨殺事件が発生した。大山勇夫中尉と斉藤嶼蔵一等水兵は、多数の中国の保安隊に包囲された。機銃、小銃で頭部、腹部に蜂の巣のように銃弾を浴びせられた上、大山中尉は刃物や銃器で凌辱され、靴、札入れ、時計も奪われた。斉藤一等水兵は、運転席に大量の血痕を残し、拉致された。これも中国共産党の挑発だったが、常軌を逸した猟奇事件だった。P237
8月12日、今度は蒋介石国民党政府の正規軍が、アメリカ、イギリス、フランス、イタリア等の居留民もいた国際共同租界の日本人居留区を包囲した。当時は、各国が居留民保護のために軍隊を駐屯させていた。日本人居留区には二万数千の日本人居留民がいた。8月13日、中国精鋭部隊三万は、居留民保護のために駐屯していた海軍特別陸戦隊四千二百に対し一斉攻撃を開始した。そもそも海軍陸戦隊は、陸軍正規部隊と異なり重装備をした軍隊ではない。その海軍陸戦隊に対し、中国陸軍の正規部隊が機関銃攻撃、砲撃を行ったのだ。
14日、中国軍はアメリカ製爆撃機でホテルを空爆し、宿泊していた数十人の欧米人を死傷させた。さらに数百メートル離れた繁華街にあった「大世界」という娯楽施設も爆撃、千人を超す中国人が死亡した。この中国軍の攻撃は「日本軍の爆撃」と報道された。
15日、蒋介石は全国総動員令を発令。総司令官に就任し、兵員を七万に増強。日本に対し全面戦争を仕掛けてきた。
同日、第一次近衛内閣は、居留民保護のために戦闘不拡大方針を撤回。上海派遣軍の編成が下され、松井石根陸軍大将が司令官に任命された。P238
蒋介石は、ドイツのファンケンハウゼンら五百数十名の軍事顧問団の指導のもとに、作戦を実行していた。上海の西に築いた堅固な二万余りのトーチカと塹壕陣地は、日本軍を阻んだ。さらに訓練された精鋭部隊は強く、しかも日本軍の上海派遣を予測して数十万の軍隊を配置していた。P238
中国のこうした攻撃について、8月30日付ニューヨークタイムズ紙は、「日本軍は敵の挑発のもとで最大限に抑制した態度を示し、数日の間だけでも全ての日本軍上陸部隊を兵営の中から一歩も出さなかった」と報じた。また9月16日付になるが、ヘラルド・トリビューン紙は「中国軍が上海地域で戦闘を無理強いしてきたのは、疑う余地はない」と報道している。10月26日、大場鎮を攻略して、日本軍は上海を制圧した。日本軍損失は、戦死一万七六。戦傷三万千八六六だった。一方の蒋介石軍損失は約四十万。P239
日露戦争で、白人の帝国ロシアに、有色民族国家の日本が勝利したことは、世界中の非白人たちに、希望をもたらした。しかし、それはまだ話に伝え聞いたことでしかなかった。ところが、大東亜戦争で欧米が植民地支配するアジアに日本軍が進攻したことでアジアの人々は、その姿を現実に目にしたのだった。
それまで白人は、絶対的な存在で、刃向っても返り討ちにあって、多くの有色人種が大虐殺をされてきた。白人は強く、優れていて、有色人種は勝てないと、そう思い込んでいた。
ところが、日本軍は、それまでアジア諸国を軍事占領していた欧米の軍隊を、それこそあっという間に、全て駆逐してしまった。
それまで強いと思い込んでいた白人の軍隊が、有色人種の日本軍にたちまち敗北してしまった。それを目の当たりにした衝撃は、数百年に渡って植民地支配され、虐殺や搾取を受けてきたアジア諸民族にとって、感涙にむせぶほどの感動だった。白人を、有色人種が撃退したのだ。
一方、白人にとっては、それは目を疑う光景だった。それまで「類人猿」「猿」と呼び、実際に猿と同類に見做していた有色人種である日本人が、我々白人を軍事制圧し、そして命令を下し始めたのだから、その衝撃は受け入れ難いものだった。
アジア諸国の有色民族は、それまで威張っていた白人が、有色人種の日本人に指図を受け、不服そうにするとビンタを食らわせられるのを見て、まさに、狂喜した。それまで白人に植民地支配され、搾取されてきた彼らは、老若男女を問わず殆どが日本軍に味方した。P342-343
マッカーサーについてどう思うかと、APの記者に訊ねられた東条英機は「マッカーサーは、フィリピンで部下を置き去りにして豪州に逃げた。指揮官としてあるまじき行為だ」と全く評価していなかった。P245
いま生きている日本人の「戦争体験者」の多くは、当時子供だった。機銃掃射を受けたという体験者が少なからずいる。アメリカ軍は逃げ回る子どもたちに、機銃掃射を浴びせていたということだ。これは、民間人の虐殺で、戦時国際法違反である。日本軍は、敵の軍艦を撃沈しても海に投げ出された将兵を救出していた。一方で、アメリカの戦闘機は、日本の民間船舶を攻撃し、沈没させた上、海に投げ出された人々にまで機銃掃射をするなど残虐極まりなかった。P245-246
東京大空襲なども、戦時国際法違反の民間人虐殺で、当然「戦争犯罪」である。非道なのは、そのやり方だ。まず一帯を四角く焼夷弾で攻撃し、火の壁を作って取り囲んだ。そうして逃げ場がないようにした上で、焼夷弾を雨あられと落として東京の下町を火の海にした。数時間で十万人を大虐殺したのは、世界史の記録である。相手を人間と思ったら、そのようなことはできない。都市の殲滅である。
アメリカは「軍需工場があった。女性や子供もそこで働く戦闘員だった」と強弁するが、そもそも日本人を、アメリカ兵は「人間」と思っていなかった。虫を駆除するような感覚で、子供たちに機銃掃射を浴びせ、東京の下町を火の海にしたのだろう。P246
アメリカは広島と長崎に原爆を投下して、非戦闘員を大虐殺した。目的は、見せしめだった。日本の降伏は決定していた。。それにも関わらず、何故原爆を投下したのか。これは生体実験と言わざるを得ない。その他に日本割譲を目論むソ連へのけん制、非キリスト教徒だったからなど、重複した理由があるだろう。しかし、いずれにしても、原爆投下は戦時国際法違反の「戦争犯罪」である。それを正当化し、国際法を堂々と違反して、「正義」だと言うアメリカの信念の根拠は、一体何なのか。それは「異教徒は殺せ」とモーゼに命じた紙の「明日なる使命」が根底にあったからではなかろうか。P252
