4万人のバトンを受け取って、34歳の朝に思うこと。
いつも大変お世話になっております!
こーきです!!😊
今日、僕はお陰様で34回目の
誕生日を迎えることができました🍀
無事にこの日を迎えられたこと、そして今、
この文章を読んでくださっているあなたと
繋がれていることに、まずは深く、深く感謝を
お伝えしたいと思います🙇♂️
いつもnoteでご縁をいただいている皆様、
本当にありがとうございます。
ここは僕にとって、
単なる情報発信の場ではありません。
時に励まされ、時に大切な気づきをいただき、
温かなエネルギーが循環する、
かけがえのない場所です。
けれど、この34歳という節目に立ち止まって、
自分自身に問いかけてみました。
「自分は、本当に大切なものに、
ちゃんと手を合わせられていただろうか?」
返ってきた答えは、少し申し訳ないものでした。
この半年間、僕は「忙しさ」という
もっともらしい理由を盾にして、
一番大切なことを置き去りにしていました。
それは、
ご先祖様への「感謝」と「ご挨拶」でした。
40,000人という、目に見えない応援団
僕が生き方について
動画で学ばせていただいている、
崔亮平先生のお話があります。
自分の命のルーツをずっと、
ずっと遡っていくと、
そこには約40,000人ものご先祖様が
存在しているのだそうです。
4万人。
想像してみてください。
ドーム球場が一つ埋まってしまうほどの、
圧倒的な数です。
その4万人のうち、たった一人が欠けていても、
今の僕はここに存在しません。
誰か一人が命を繋ぐことを諦めていたら。
誰か一人があの日あの場所で
出会っていなければ。
今の「僕」という存在は、
この世界に生まれていなかったのです。
この命は、4万人が必死に、
大切に繋いできたバトンの
「最新のランナー」に託されたものです。
今は、僕の順番です。
この複雑で、けれど光に満ちた時代を
生きさせてもらっている。
それは決して当たり前のことではなく、
4万人から託された「奇跡のようなチャンス」を
いただいているということだと思うんです。
なのに、僕はいつの間にかその重みを、日常の
喧騒の中に埋もれさせてしまっておりました。
目の前のタスクや、数字や、
時間に追われるうちに、
大切な視線を見失っていたんです。
かつて僕の日常にあった「静寂」
約2年前から、僕には大切に続けていた
ルーティーンがありました。
それは、朝の仕事が始まる前の数分間、
静かに目を閉じ、手を合わせることでした。
覚えている限りの名前を、
一人ずつ呼んでいきます。
父方、母方の両親、親戚。
会ったことのないご先祖様は
遺影を思い浮かべ、お墓の情景を描きます。
すでに空へ旅立った大切な存在、
私の双子の兄弟、息子の双子の兄弟、
そしてかつて家族として過ごした愛犬。
さらには、いつもお世話になっている神社や、
心の拠り所となっているお寺。
妻側の家族も同じように、
そこにいるイメージで語りかけます。
「こーき家を代表して、
今日も一日最高の仕事をしてきます。
今日を楽しんできます」
最初は、手を合わせてご挨拶をする。
手を合わせ始めて、心は落ち着くものの、
特別な感覚があったわけではありません。
けれど、毎日欠かさず続けていくうちに、
僕の感覚に変化が訪れました。
背筋に走る、心地よい鳥肌。
目に見えない存在と、
確かにコミュニケーションを取っているような
不思議な感覚。
それは決して特別なことではなく、
自分という存在が、大きな大きな「命の流れ」の
一部であると確信する時間でした。
瞑想も、当時は毎日深めていました。
真っ暗な部屋で静かに座っていると、
瞼の裏に鮮やかな虹が現れるんです。
それだけではありません。
紫、黄色、赤、青、緑、オレンジ、白。
大きな玉のような光が、
ぐるぐると僕の意識を駆け巡ります。
今まで見たこともないような美しい景色や形が、暗闇の中から浮かび上がってくるのです。
あの時間は、僕にとって最高の「整い」でした。
夜、仰向けのまま瞑想をし、
その光の球体たちを眺めながら眠りにつく。
それは、不思議な世界にいるような
何とも言えない至福のひとときでした。
忙しさという名の「言い訳」
それがどうでしょうか。
半年ほど前、仕事が繁忙期に入りました。
朝から晩まで対応に追われ、
心に余裕がなくなってしまいました。
「今日は時間がないから、明日やろう」
そのたった一日の綻びが、
一週間の空白を作りました。
そして一週間やらなくなった頃には、
「まあ、今はいいか」と自分を納得させて
しまっていたんです。
気がつけば今日まで、
僕はあの静寂の時間を忘れたまま
走り続けていました。
やらなくなったことで、
自分の中に「決定的なデメリット」が
蓄積されていることにも気づかずに。
• 常に何かに追われ、心が落ち着く場所がない。
• 五感が鈍り、小さな変化に気づく
「感じる力」が落ちる。
• 思考がノイズに支配され、
自分の内側が整わない。
• 本質的な「閃き」が、降りてこなくなる。
これらはすべて、
忙しいことだけが原因ではありません。
その「忙しさ」の中でも、
自分を整える時間を強制的にでも作らなかった、
僕自身の慢心にあるのだと思います。
いつも見守ってくれていたご先祖様や、神様。
彼らへの感謝とお礼を、
僕は完全に怠っていたんです。
生き急ぐ足を止めてみる
振り返れば、今の僕は少し
「生き急いで」いたのかもしれないと感じます。
家族を守るため、目標を達成するため、
完全な休みは月に一度もないような日々。
それは一つの情熱かもしれませんが、
どこか自分自身を置いてきぼりにしていました。
「正しいこと」だけを追い求めるのが、
本当に正解なのでしょうか。
効率や成果だけを評価軸にして、
心から幸せと言えるのでしょうか。
34歳になった今日。
僕は、一度立ち止まろうと思います。
今日だけは、仕事のスイッチを完全に切ります。
メールも、通知も、数字も、
すべてから離れてみます。
その代わりに、目の前にある小さな幸せを、
じっくりと味わう時間に使おうと思います。
窓から入る風の心地よさ、家族の笑い声、
何気ない生活。
そんな、普段見過ごしてしまいそうな断片に、
心を向けてみたいなと思いました。
また明日から、迷いながら歩く
何が正解で、何が不正解かなんて、
結局のところ何にもわかりません。
正解は人それぞれ違っていい。
置かれている環境、考え方、心境、捉え方。
みんなそれぞれ違うと思います。
10人いれば10通りの考え方、
生き方があっていいと思うんです。
僕たちはいつだって、
正解のない問いの真ん中に立っています。
しかし、一つだけ思うことがあります。
それは、「元気に生きること」そのものが、
何よりのご先祖供養になるんじゃないか。
ということです。
4万人の先祖たちが、苦しい時代も、
悲しい出来事も乗り越えて繋いできたバトン。
そのバトンを握っている僕たちが、
今、この瞬間を精一杯に、
そして健やかに生きる。
それ以上に、
彼らが喜ぶことはない気がするんです。
熱さだけでは、突破できない壁もあります。
正しい理屈だけでは、救えない心もあります。
それでも、ちょっとだけ歩き続けること。
迷いながら、揺れながら、
一歩ずつ前を向くこと。
34歳の朝。
僕はもう一度、静かに手を合わせます。
瞼を閉じれば、あの頃のような虹は
すぐには見えないかもしれません。
ですが4万人の視線が、
温かく私を包み込んでいることはわかります。
「お帰り、こーき。またここから始めよう」
そんな声が聞こえたような気がしました。
感謝を深く噛み締めて。
明日からまた、自分らしい歩幅で、
光の差す方を探しながら、
少しずつ進んでいこうと思います。
34歳の僕へ、そしてこの文章を
読んでくださっているあなたへ。
今日という日が、それぞれの素敵な
新しい始まりになりますように😊🙏🌈
